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自分を褒める人の心理とは?★ [心理の不思議 15]


自分を褒める人の心理とは?★



    「初めて自分で自分を褒めたい」とは、アトランタ五輪で銅メダルになった元女子マラソン選手の有森裕子さんの言葉だったかな?

    こうした自分を褒めるという行為は、あまり普段、他人からの褒め言葉をもらったことがない人がすることなのだそうだ。

    有森さんは、おそらく「頑張って!」とか「おめでとう!」という言葉は大勢の人からかけてもらうことがあっただろうが、「頑張ったね」「偉かったよ」「立派だったね」という褒め言葉をもらうことは、あまりなかったのではないかと推察する。

    そこで、色々な意味で五輪出場までの辛い道程を振り返り、つい口から出たのがこの言葉だったのだと思われる。

    つまり、つい自分を自分で褒めてしまう人は、それまでの人生の中で、あまり他人から褒め言葉をかけてもらったことがない人が多いそうだ。

    「あたしって、いい女だからさ~。あんまりいつまでも放っておくと、誰かと結婚しちゃうよ」

    こんな冗談を言う女性もいるが、おそらくこういう女性は、これまで男性から、

    「きみって、美人だよね~」「料理もうまいし、気配りもあるし、良いお嫁さんになるんだろうな」

    なんてお世辞を言われることも、ほとんどなかったのではないかと思われる。

    「もう、何人からもプロポーズされて、ホント困っているの」

    こんな自慢話をついしてしまう女性も、結局は想像上のプロポーズで自分を鼓舞することで、誰も相手にしてくれない寂しさを紛らわせているのだそうである。

    しかし、こういう自分褒めをするのが癖になっているような女性は、本音の部分で自分はいい女だと思っているもので、あながち自虐的な気分でいるわけではない。

    「どうして、周りの男性は、こんないい女に気付かないのかしら?」

    と、いつも心の中に思い通りにならない不満を抱えているものなのだそうだ。

    そして、そんな自分の周りの現実を何とか変えようとして、自分褒めを繰り返すのである。

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優越感と疎外感 [心理の不思議 15]


[ハート]優越感と疎外感



    「何故、街の小さな商店ではなく、大規模スーパーマーケットで買い物をすることが多いのか?」

    こんな質問を主婦たちにぶつけたところ、彼女たちが異口同音に言うことが、

    「街の商店には、既に以前から行きつけている常連さんたちがいて、そこへ新参者が入り込むのは居心地が悪い」

    と、いうものだった。

    如何にも、「わたしたちは親しい間柄なのよ。何よ、昨日今日買い物に来たばかりの新参者が」とばかりに、お店の経営者と話し込んでいる常連主婦たちの白い目が気になって、買い物どころではないというのが本音のようである。

    要するに、公園デビューをする時の若いママのようなプレッシャーを覚えるのだそうだ。

    それに比べて大規模スーパーでは、特別な疎外感もなく、会話など一切誰ともしなくても品物を買って帰ることが出来る。

    余計な気遣いがいらないので、気軽に買い物が出来るのだそうだ。

    人はグループを形成する際、そこに「自分たちだけは他の者と違う」という内集団的優越感を懐くのが普通である。

    それが延いては「仲間外れ」を作って楽しむという、いわゆる「いじめ」にも発展して行くのである。

    いや、たとえ、優越感を持つ側に「いじめ」の意識はなかったとしても、優越感を持っているということ自体が、既に「いじめ」の一部となっていることに気が付かないのである。

    わたしが大学生の時、寮生に対して大学側からあるお達しがあった。

    それは、朝夕の食事をする際の食堂内では、大人数が一つのテーブルを囲んで食事を摂ることを禁止するというものである。

    要は、「一つのテーブルに気の合った仲間が集まって食事を摂ると、周囲の独りもしくは二人の少人数で食べている寮生たちに、いらぬ威圧感や疎外感を覚えさせる可能性があるので、集団での食事をするな」というものなのであった。

    派閥や徒党が生まれると、その周囲には必ず「いじめ」が発生するとの、大学側の懸念があったのである。

    人間は、とかく大勢の中の一人になると、自然と自分自身が強くなったような錯覚を覚えるものだ。

    故に、自分と相手は特別な関係なのだと、周囲の人たちに思わせたいという欲望が頭をもたげる。

    そこで行なわれるのが、自分たちだけしか判らない共通の話題で盛り上がるという姑息な連帯意識の構築である。

    しかし、もしも一方にそれなりの配慮があれば、「それはここで話すことじゃないから」と、相手の口をふさぐことも出来るのだが、今の社会、そうした極めて常識のある人はほとんどいないのが現状だ。

    そして、こうした配慮に気付かず、自ずから優越感を得ようとする者も、また極めて幼児性の強い人間といえるのである。

    「いや、わたしは、友人と話をしていてもそんな優越感など感じたことはない」

    と、いう人がいたとしても、それは本心ではない。必ず、周囲に自分たちが特別親しいということをアピールしたいという気持ちは、少なからずあるはずなのである。

    ご近所全員が親しい付き合いという時代は、既に過去のものである限り、主婦たちの集まるところ、その集合体に入れない人が出て来るわけで、そこには紛れもない陰湿な無言の疎外感が生まれざるを得ないのである。

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あなたの中の幼児性 [心理の不思議 15]


[アート]あなたの中の幼児性


    ある心理学者が説くには、「幼児性とは、相手のことを思いやれない自意識である」ということだそうだ。

    相手のことを「思いやれない」ということは、すなわち「相手を理解できない」もしくは「理解しようとしない」ということだという。

    では、「理解する」とはどういうことか?

    それは、「相手の身になって考え行動することが出来る」ということに他ならない。

    ところが、「幼児性」の強い人は、この「相手の身になって」ということが不得手なのである。

    そのため、かかわる人すべてに対して、自分の感情を投影させてしまう訳で、必ず好きか嫌いでくくりを付けたがるのである。

    そして、相手が自分を嫌がろうが無視しようが、自分の気持ちを優先するために、どうしても絡み付かねば気が済まない。

    嫌いだといっては絡み付き、好きだといっては絡み付く。

    相手の感情などお構いなしである。

    それでいて、そういう幼児性が強い人に限って、逆に自分は極めて大人だと思い込んでいるから始末が悪いのである。

    そのために、相手の気持ちなど考えずに、「お前のためだ」とか、「きみを心配しているんだ」「わたしがいないとダメなんだ」などと勝手な理屈を付けては関わりたがるのだ。

    しかし、そうした幼児性の強い人の本音の部分は違う。

    「自分という人間を理解して欲しい」とか、「自分を誤解して欲しくない」という極めて利己的な執念を押し付けようとしているに過ぎないのである。

    たとえば、ストーカーの心理状態などが、正にそうした幼児性人間の典型だそうだ。

    「自分は、もう、きみのことなどなんとも思っていない」

    ケンカ相手に、そんな寛大さを見せる人がいたとしよう。

    だが、そういうことを相手に伝えること自体が、既に「自分は今でも、きみに悔しい思いをさせられたことを忘れてはいない」という、絡みなのである。

    本当にきれいさっぱり忘れ去っているのなら、相手に会ってまで気持ちを伝えることなどどうでもいいはずなのだ。

    「一言言っておかねば気が済まない」

    つまり、それこそが幼児性の証なのだそうである。

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幸運を招きやすい人とは? [心理の不思議 15]


[黒ハート]幸運を招きやすい人とは?



    あなたは、何かに失敗した時、どんな考え方をするだろうか?

    「きっと、あそこが悪かったんだろうな。あそこさえ間違えなければ、完璧だったのに」

    そんな風に、失敗したことを反省し続ける方だろうか?それとも、

    「今回は、残念だったな・・・。でも、今度はきっとうまく行くはずだ」

    そんな風に、起きたことはさっさと忘れて気持ちを切り替え、次のことに目を向ける方だろうか?

    心理学的に考えると、常に失敗したことを反省し続けるような人は、次のしくじりを恐れ、新しく行動を起こすことを躊躇してしまうきらいがあるため、何かを成し遂げるには不向きなのだということである。

    マイナス思考ばかりを引きずることで、それがいつしかトラウマになり、失敗した時と同じような状況にぶち当たると、過去のことが頭によみがえって、せっかくの積極性を鈍らせてしまうのだとか・・・。

    それよりも、プラス思考であまり過去を振り返ることなく、

    「自分は、必ずできる!」「失敗も経験のうち。次は、絶対にやり遂げられる!」

    というように、前向きな思考で突き進む人の方が、幸運を自ら招き寄せる力を持っているのだそうだ。

    ただ、もちろん、それにはちゃんとした日々の努力や鍛錬が必要で、何も努力しないくせに、成功だけを得ようとしても、漫画のような奇跡が起きるわけではない。

    料理などしたこともないのに、「簡単!全然できる」と言うような、今時の口先女の開き直り的ポジティブとは意味が違う。

    「人一倍の努力はしているから、成功する自信はあるのに、どうしても結果が付いてこない」

    と、悩む人は、今までの反省思考を、ちょっと前向き思考に替えてみるのも、新たな道が開けるきっかけになるのかもしれないな。

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時間に几帳面な人は・・・ [心理の不思議 15]


[時計]時間に几帳面な人は・・・


    あなたは、待ち合わせ時間をしっかりと守る方だろうか?

    そういう人は、得てして時間にルーズな人を嫌うものである。

    待ち合わせ時間に五分遅れただけでも、烈火のごとく怒る人もいるが、こういう人は、何も相手が五分遅れたことだけに怒っている訳ではないのだそうだ。

    こういう時間に対して異常に几帳面な人というのは、自分の思い通りに物事が進まないと、身の周りにあるすべての物事に対して、怒りを覚えるという人なのだそうである。

    自分は道路をまっすぐ歩きたいのに、正面から太った女性が歩いて来て、道を譲らなければならないとなると、それも腹が立つ。

    待ち合わせ時間までに、まだ少し間があるので、途中で喫茶店へ入ったが、自分のところへ注文のコーヒーが来るのが少し遅れただけで、我慢がならない。

    会社で自分が取ろうと思っていた得意先からの電話を、同僚が先に取っただけでも怒髪天突きとなる。

    そんな風に、すべてのことが気に入らない人なのだそうだ。

    つまり、それは、その人物が、時間にルーズな奴が嫌いなのではなく、自分の人生そのものが気に入らないということなので、希望通りの道を歩んでいないという証拠でもあるのだと、心理学者は言う。

    人は、本当に好きなことをしている時は、むしろ、時間などない方が良いとさえ考えるもので、待ち合わせに相手が遅れたとしても、必ず来ることさえ判っていれば気長に待ち続けられるのだそうだ。

    そういえば、わたしも昔は相手が待ち合わせ時間に一分遅れたというだけで、帰ってしまったことがあったほどのイラチだったのだが、自分の身体があまり自由に言うことをきかなくなってからというものは、少しは悠長に構えられるようになったかもしれないな。
  
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謙遜する女性の心理 [心理の不思議 15]


[カバン]謙遜する女性の心理



    「あたしって、全然可愛くないし・・・」

    「スタイル悪いし、こんなんじゃ彼氏なんか出来ませんよ~」

    このように、如何にも悩んでいるような謙遜をする女性は、意外に多いものだ。

    ただ、こういうことを言う女性に本当に可愛くなかったり、スタイルの悪い女性はあまりいないのも事実である。

    では、彼女たちはどうしてこんな自らを卑下するような言葉を平然と吐くのか?

    それは、彼女たちが、本心からそう思っているわけではないから言える言葉なのである。

    明らかに太り過ぎだと思われるような女性は、決して自分のことを、「あたしって、太っているからモテないのよね」などということは言わない。

    何故なら、彼女にとって「太る」という言葉は、自らに課した絶対的禁句なのだから・・・。

    昔、わたしがかなりぽっちゃり気味の友人女性と買い物をしている時、別にさほど気にも留めずにわたしが放った一言に、その友人は俄然噛みついたことがあった。

    「こんな細身のジーパン、あたしたちには穿けないよね」

    わたしが言った途端、友人の顔色が変わり、

    「わたしたちって、あたしも入っているわけ?」

    と、言うのだ。

    当然だろう----と、わたしは思ったが、どう見ても彼女はわたしよりも太っているにもかかわらず、同じ種類の人間とは思われたくなかったようなのである。

    これが本当に自分にコンプレックスがある人の反応なのだ。

    では、さほど見た目も悪くないにもかかわらず、あえて謙遜する女性心理とはどういうものなのか?

    つまりは、彼女たちはそういう言葉を投げかけることによって、相手が、

    「そんなことないでしょ。全然、スタイル良いじゃない」

    と、言ってくれることを期待しているのである。

    そう言ってもらうことで、安心感を得ようと謙遜という餌を投げているに過ぎないのだ。

    たとえば、160センチの女性が体重55キロになったからといって、「あたし、太っちゃった」なんて言ってもそんな言葉は別に取るに足りない『謙遜の餌』と思えばいい。

    その女性が80キロにもなったら、ようやくその謙遜にも現実的な深刻さが見えて来るというものである。

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ぜ----という語尾が意味するもの [心理の不思議 15]


[カラオケ]ぜ----という語尾が意味するもの



    男性が時々使う「ぜ」という語尾には、どういう意味が含まれているのだろうか?

    「今度、飲みに行こうぜ」

    「よかったら相談に乗るぜ」

    近頃はお笑いピン芸人のスギちゃんも、この「~だぜェ」を連発している。

    「ワイルドだぜェ~。最終回の登板が残っているのに阪神ファンが、どんどん席を立って行ったぜェ~」

    (スギちゃんは、プロ顔負けのマジックの腕前を持っているのに、どうしてこんな芸で人気を集めているのか不思議なのだが・・・)

    どうやら、この「~ぜェ」には、相手に対する男性特有の優越感や寛大さを見せるという意味があるようで、下目に見ている相手にほど、使いたくなってしまう語尾なのだそうだ。

    つまり、スギちゃんの芸が可笑しいのは、スギちゃんというどう見てもうだつの上がらなそうな滑稽な風体の男性が、その事実に気付かないまま、観客に向かってさも自分の方が立派な人間なのだとアピールするところにあるのだが、その効果を倍増しているのが、この「~だぜェ」なのである。

    しかも、この「~ぜ」には、相手に対して「きみだけなんだ」という切迫感がない。

    「きみの相談は受けてやるよ。でも、こっちもそう必死になって相談に乗るわけじゃないからな」

    と、いう気持ちがやんわり透けるのが、この「~ぜ」なのである。

    こういう語尾を頻繁に使う男性の性格は、どちらかというと親分肌の兄貴風を吹かすタイプだから、こういう男性の気を惹きたいと思うのならば、逆に、

    「自分にとっては、あなたこそ特別な人です」

    的な態度や言葉使いをすることで、好感度は上がるそうである。



    因みに、この間の「(笑)の考察」に補足するのだが、この(笑)には、本心をカムフラージュするという役割があるのだが、冗談ぽい事柄のあとに(笑)が来ていた時は要注意である。

    たとえば、「きみに対して良からぬ気持ちなんか持たないから。(笑)」のような場合は、「持つかもしれないぞ~」という気持ちが十分に隠れていると思った方が無難だとのことである。

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イエス、ノーの見分け方 [心理の不思議 15]


[バー]イエス、ノーの見分け方



    人と話をしている時、「この人、わたしの意見に賛成なのかな?それとも、反対なのかな?」と、気になって仕方がない時ってありますよね。

    そんな時は、相手の手の仕草を見ていると、意外にその本音を知ることが出来るんだそうですよ。

    たとえば、相手が自分の顎に片手を添えてあなたの話に頷いている時や、テーブルの上に両の手のひらを開いたまま載せているとか、テーブルの上にある湯呑み茶碗などを手で横へよけたりする時は、たいてい、あなたの話をもっと聞きたいと思っている証拠だそうです。

    顎に片手を添えて頷くということは、神経を集中しているということであり、手のひらを開いたままテーブルに載せているということは、あなたに対して気持ちを開いているという証拠なのだとか・・・。

    また、テーブルの上の湯呑茶碗などを横へ片付けているということもまた、あなたとの間に垣根を作りたくないと思っている無意識の行動なのだそうです。

    ところが、その逆に、相手が、顎の前で握りこぶしを作るとか、両手を頭の後ろで組む、両手で顎を支える、テーブルの上を指でコツコツ鳴らす、テーブルの上の湯呑茶碗やペンケースなどを頻繁に手で移動させる、指先で額の真中を押すなどの仕草をしているような時は、あなたの話に否を唱えたいと思っている証拠なのだそうです。

    顎の前で握りこぶしを作ったり、顎を両手で支えるなどの仕草の場合は、あなたに対する防御姿勢であり、両手を頭の後ろで組むというのは、既にあなたの話に飽きている証拠。

    テーブルの上でコツコツ指を鳴らすのは、あなたの話が長いのでイライラしている意味であり、テーブルの上の湯呑茶碗やペンケースなどを頻繁に移動するのは、あなたの意見に反論したいという気持ちの表われであり、額の真中を指先で押している時は、あなたのアイデアには無理があると言いたいような場合だということのようです。

    脚の組み方や置き方にも人の気持ちは大きく表われますが、手の仕草からもやはり同じように気持ちの動きは見えるもののようですね。

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本心を隠す人 [心理の不思議 15]


[メール]本心を隠す人



    大人になると子供の頃と違って、簡単には本音で欲求が表現できなくなるものだ。

    たとえば、先の料理研究家・園山真希絵さんの例もそうだが、彼女は本心では塩谷瞬が大好きで仕方がないのだが、それを口に出すのは照れくさいし、子供っぽい女性だと軽んじられても面白くないと思うあまり、

    「わたしをお嫁さんにして下さい!」

    という、直接表現が出来ずにいたのではないかと思われる。

    つまり、彼女は、単に自分本位の暗黙の了解のうちに、彼の妻になったような錯覚を懐いていたのだと推察される。

    ところが、当の塩谷瞬は園山さんはあくまでもごく親しい友人の一人だという認識だったわけで(たぶん)、内心では薄々、「彼女、もしかしておれと結婚したいなんて思っているのかな?」との思いはあったにせよ、園山さんが自らの意思をはっきりと口に出さないために、なあなあの関係を続けるしか仕方がなかったのではないかと思われる。

    ところが、二股問題が浮上した途端、園山さんは自分が塩谷の本命ではなかったと知り、その醜態を払拭するために、色々な言い訳を用意する破目になったのである。

    「最初から、バカでアホな男だと知っていた」「私しかこの人を再生させるのは無理」などの言葉を並べたて、あくまでも自分は彼のことが見捨てられなかったわけで、彼に惚れていたわけではないと自身も周囲も納得させようとしているのである。

    しかし、それが彼女の本心ではないため、そんな言葉を百万遍重ねたところで、彼女の気持ちは納まらないはずなのだ。

    たった一言、「わたしは塩谷に騙された!本当は大好きだったのに、どうして、結婚相手がわたしじゃなかったの?」と、言えるならば、園山さんの気持ちもかなりすっきりするだろうに・・・と、番組視聴者は思いながら観ていたに違いない。

    これもまた、神経症の一種といえるようである。

    「ママ、あれ買って!」「パパ、あそこへ連れてって!」

    子供ならば、駄々をこねても周囲は許してくれるが、大人がそんなことは恥ずかしすぎて口が裂けても言えない。

    だから、自分の気持ちを納得させるための理屈を必死になって考える。

    「きみが前から欲しいと言っていたから買おうっていうんだ」「子供たちが行きたいって言うから仕方なしに行くんだよ」

    ところが、それを聞いた周囲や家族がそれに理解を示さず、

    「別に、わたしは欲しくないわ」「ぼくたち、勉強があるから行きたくない」

    などと言おうものなら、言い出した本人は引っ込みが付かなくなってしまい、「おれがこんなに親切に言っているのに、何だその態度は!」ということになってしまうのである。

    ただ一言、「本当はおれが欲しいんだよ」とか「おれが行きたいんだよ」と、素直に言えれば人生も楽なのだが、子供の頃から優等生の我慢強い子などという評価をもらって生きて来た人には、この本音がどうしても言えず、結果自分を偽り続けることになってしまうのだそうである。

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狭い世界しか見えない人 [心理の不思議 15]


[TV]狭い世界しか見えない人



    人は、自分が生まれ育った環境だけが現実であるかのような錯覚をしがちである。

    まったく異なる環境に生きて来た人の話を聞いても、架空の出来事を聞かされているようにしか受け取れないという者は多い。

    これが芸能人とか政治家のように、一般人とはかけ離れている世界の人間の話なら、「そういうこともあるだろう」と、いう開放的な視野を持つことも出来るのだが、こと相手が自分とさほど変わらない境遇にいると思い込んでいる人間だった場合は、その想像力がほとんど働かなくなってしまうことがあるのだ。

    たとえば、数十年前まで自分の家の近くに住んでいた人の情報が新聞に掲載され、それが何と大会社の新社長に就任したというような内容だったとする。

    こんな時、人はまず、「そんなバカなことがあるわけがない。あんな奴が大会社の社長になんかなれるものか」と、考える。

    自分の中にあるその人物に関する情報は、ごく普通のしがない学生だったに過ぎないからだ。

    そこで、「きっと同姓同名の似たような誰かに決まっている」と、思い込もうとさえするのである。

    この他にも、こんな例もある。

    普通に家業を継いで小さな商店の経営者に納まった男性には、絵画などの芸術は決して日常的に身近にあるものではなかった。そのため、彼には絵の価値というものがさっぱり判らない。

    ある日、そんな彼の店へ、道を訊ねるために偶然にも有名な日本画家が立ち寄った。

    画家はある画廊へ自分の描いた絵を持って行くところだったので、道を訊く間その絵をそばの壁に立てかけておいた。すると、その店の主人はそれを見て、「おじさん、そんなところへ絵ぼっこ立てかけないでくれないか。邪魔でしょうがない」と、言ったのである。

    つまり、自分が生きて来た狭い世界しか知らない商店主にしてみれば、絵画などというものはどんな有名な画家が描いた作品でも、単なる「絵ぼっこ」にしか見えなかったのである。

    人は、とかく物事を自分だけの目線や尺度で考えたがるものだが、それがとんでもなく失礼なことであるという場合も多いのだ。

    ほとんど本を読まない人にとっては、作家などという仕事は子供のお話作り遊び程度にしか思えないだろうし、クラシック音楽など聴いたこともないという人にとっては、日本を代表するような名作曲家だってただの暇人としか認識し得ないのかもしれない。

    そういえばかつて、こんなエピソードを聞いたことがある。

    ある有名な時代劇の大スターが夜中に酔っぱらって自宅マンションの近くで大声をあげた。

    すると、突如、近くの安アパートの窓が開いたかと思うと、男性が一人顔を出して叫んだのだそうだ。

    「バカ野郎!いったい今何時だと思っているんだ?こっちは、お前みたいに毎日遊び呆けているわけじゃないんだ。睡眠妨害するんじゃねェ」

    その大スターはこれを聞いて思ったそうである。

    「おれの仕事など、テレビドラマや映画に興味のない人にしてみれば、単なる遊びに見えるんだろうな・・・」
      
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