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良き指導者とは・・・ [ちょっと、一息 13]


[ゴルフ]良き指導者とは・・・



    「名選手、名監督にあらず」


    スポーツ界では、こんな言葉を良く聞きますよね。

    野球やサッカー、水泳などなど・・・各種スポーツで名選手と呼ばれた人が監督やコーチに就任しても、指導者としては必ずしも優秀とは言い難い----そんなジンクスから生まれたフレーズですよね。

    どうして、そういうことが実際に起きやすいのかといえば、理由の一つに名選手と言われるような人は、もともと親から受け継いだ天性の体質や素質があるために、ある一定のレベルまでは特別な訓練や頑張りなしにたどり着けてしまうこともあり、努力して上達する一般の選手の気持ちや必要な練習過程について勉強不足であるとの難点があるからだそうです。

    また、それに加えて、名選手と呼ばれる人の中には、人の何十倍もの過剰な訓練を自らに課すという練習オタクのような性格の人間も少なくないため、自分に出来ることが教え子たちに出来ないはずはない----との自分本位の指導の仕方を強要する癖があるともいわれています。

    そして、最も問題なのが、そうした過去に名選手としての名声を得たことのある指導者は、教え子を指導する傍らで、自分自身もさらに競技者として成長しようとの貪欲さを捨てきれない----ということだといいます。

    「教え子とともに自分も成長することの何が悪いのか?」

    と、いう反論もあるでしょうが、指導者自身が成長するのは、あくまでも精神的な面に留めるべきであり、競技者として自分の成績を上げようという意欲が捨てきれない人に、心から教え子たちのことを考えることは出来ないというのがその理由なのです。

    そういう自らの競技者としての成長を諦めきれない指導者の中には、時に、日々腕をあげる教え子に嫉妬する人も少なくありません。

    ですから、自分は指導者になろうと決めた時から、本来監督やコーチは競技者としての将来をすべて諦める必要があるのだそうです。

    そして、教え子が自分の指導者としての能力を凌駕する域に達した場合は、自分以上に力量のある指導者に教え子を託す度量を兼ね備えるべきなのです。

    もちろん、名選手の中には名指導者になる人もいます。

    しかし、そういう人に共通していることは、やはり自分が選手だった頃の過去の栄光をいつまでも引きずらずに、今目の前にいる選手の力量を正確に把握して、それに合った指導方針を構築出来るという心の柔軟性を有しているということのようです。

    もしもあなたが何らかの指導者を頼まれ、でも未だに自分自身の成長に未練があるのだとしたら、指導者を引き受けるのは一考した方がよいかもしれませんね。

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信州から偉人が出ないわけ [ちょっと、一息 13]


[喫茶店]信州から偉人が出ないわけ


    長野県から有名人や著名人があまり出ない理由には、長野県人の気質が大きく関係しているといわれます。

    たとえば、お隣の群馬県からは歴代総理大臣が多数出ているにもかかわらず、長野県からは今のところ羽田孜元総理一人だけという寂しさです。

    タレントや俳優、歌手にしても、飛びぬけて有名な人は出ていませんし、そういう有名人を輩出した地元の反応も、かなり冷やかなものなのです。

    それも、あえて無関心を装っているのではないかと思うくらいに・・・。

    そういう実に不可思議な県民気質が、ブログ内でも見て取れます。

    実は、わたしが書いているもう一つの地方ブログサイトを見ていると、それが如実に判るのですが、いわゆる県内の有名人ブログというもののアクセス数は決して高くないという状況があるのです。

    たとえば、これはある県内ブロガーの例なのですが、最近までまったくの一般人ブロガーとして記事を書いていた場合のアクセスランキングは上位にあったのに、何かのきっかけでそのブロガーが本当はかなり著名な人物だったと知れた瞬間、そのブログのアクセス数が急降下するという現象もあるわけで----。

    ある専門家に言わせると、「長野県民気質の中に、地元関係の有名人を嫌うという素地があり、それは多くの場合、嫉妬心から出ているものである」と、いうことのようなのです。

    そのため、選挙などでも最高得票で当選させた政治家を、次の選挙では最下位得票しか取らせずに落選させるというような不思議な現象も、長野県では十分起こり得るのです。

    つまり、万が一才能や技能が特出した人物が現われても、その人物を応援するどころか、地元民自身が足を引っ張るというケースも多いため、信州からは偉人が出にくいというジンクスも、あながち嘘ではない----と、いうことのようです。

    そう考えると、長野県民気質を一口で言えば、「自尊心が強いわりには、横並びを好む排他的県民性」ということになるのではないでしょうか。

    かなり、厄介な気性を持った人々の集まりと言えなくもありません。

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女性が占い好きなわけ [ちょっと、一息 13]


[黒ハート]女性が占い好きなわけ



    この間、ニュース番組の中の特集で、「何故、女性は占いにはまりやすいのか?」と、いう話題を取り上げていました。

    番組には占い師の女性も何人か登場していて、一人の女性占い師が説明することには、

    「占いは、ある意味女性にとって心のサプリメントのようなものなんですよ」

    と、語っていたのが印象的でした。

    確かに、そうなのかもしれませんね。

    占いは、それを信じる人にとっても、決してはっきりと効き目が判る医薬品のようなものではなく、飲んでいると安心出来るとか、ちょっと調子が良いような気がする----と、いった具合の、あくまで個人の微妙な感覚で評価出来る程度の心の栄養剤なのかもしれません。

    「〇月が誕生月のあなたの今日の運勢は、何事にも前向きに取り組むことで交友関係も好転し、仕事も順調に進むでしょう」

    たとえば朝のテレビ番組の占いコーナーでこんな結果が出たとしたら、何とはなしに、

    「よし、今日も一日前向きに頑張ろう」

    という気合いも入りますよね。

    それにしても、どうして男性に比べて女性の方が占いを信じやすいのでしょうか?

    いや、頭から信じないにしても、占いが好きな人が女性には多いように思います。

    それは心理学的に考えても、男性よりも女性の方が物事を受け身に捉える人が多いことと関係があるようです。

    また、女性はたとえ男性と職場が同じでも、事務職や専門職などで働く割合が高いために、日々限られた人同士の交友関係しか体験できず、世間が狭いということにも理由があるようで、さらに、家庭の主婦ともなると、家族以外の他人との接触はますます少なくなるはずです。

    となると、単調な毎日の退屈さを紛らわせるもっとも手っ取り早い方法が、いわゆる「空想」とか「想像」の類です。

    人は、「もしも----が起きたら・・・」と、空想や想像といった仮想世界を思い描くことで明日への活力を養おうとする生き物ですから、結局は「希望」とか「夢」というものも、この未来の仮想世界に向かって歩もうという意志の表われと考えるべきなのです。

    つまり、占いは、そうした仮想世界を思い描くための入口を示してくれる道しるべの役目を果たすものだといえるわけで、毎日の仕事で目の前の現実と向き合う必要に迫られる男性よりも、女性の方がより空想を巡らせる時間が多いということに、主な理由があるのかもしれません。

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ママ友はママライバル [ちょっと、一息 13]


[カバン]ママ友はママライバル



    ママ友はママライバル----。

    これって、子供を持っている母親にとって永遠の命題のようですね。

    殊に同じ学年同士の子供を持つ母親にしてみれば、自分の子供と相手の子供をどうしても比べずにはいられないようです。

    それでも、同学年同士とはいっても、まだ男女の違いがあれば少しはその対抗意識も薄れるのかもしれませんが、同学年でしかも同性同士となれば、お互い黙っていても自然とそうした気持ちが母親同士の間で芽生えて来てしまうもののようです。

    最近、始まったお昼の連続ドラマでも、そんなママ友同士のライバル心のあり方を問題視したPTA物がありますよね。

    まあ、PTAなどでは子供の成績の良し悪しがそのまま親の評価につながるような奇妙な現象を生む場合も無きにしも非ずだそうですから、必然的に親同士間に派閥が出来てしまうのかもしれません。

    でも、思うんですけれど、特に小学生の間の成績なんて人間の出来不出来にさして影響を与えるものではないんじゃないかと・・・。

    わたしの経験からいえば、地方のド田舎の小学校出でも、大都会の有名私立小学校をお受験合格した人間でも、結局入学した大学は同じ----などということって良くある現実なんですよね。

    子供の成長にはそれぞれ個性があります。

    早くから知能が発達して勉強も運動もそれなりに器用にこなす子供もいれば、それこそ高校生になってから一気に目が覚めたように成績が伸び始める子供だっています。

    中学卒業までは勉強もスポーツも負け知らずだった子が、高校生になった途端、自分よりも成績が良いクラスメートに囲まれてしまい、これまで負けるということを知らなかったばかりにその打たれ弱さ故に挫折感を払しょくしきれず、ついには登校拒否になってしまうなどということだってあるのです。

    親である大人は、子供が小学生ぐらいの時は、自分の子供の成績や順位を伸ばすことを考えるよりも、その子にどんな才能や興味があるのかを見極めるといった程度の関わり方で良いのではないかと思うのです。

    わたしは、甥っ子の一人が小学生の時、身体が小さくスポーツの成績があがらないことを悩んでいたので、こんなアドバイスをしました。

    「サッカーの中村俊輔選手だって、高校生になるまでは背が低く身体が小さいためにサッカーのテクニックだけでは通用せず、チームメートにドリブルで追い抜かれたり当たり負けしていて悩んでいたけれど、身体が大きくなった頃から更に才能が開花した。子供はいつか必ず大人になるから、今は、じっくりと基本に取り組む時期で、強くなるのはもっと後でいいんだよ」

    その甥っ子も高校生の今では身長175センチになりました。

    たぶん、まだ伸びるでしょう。

    体力もつき、スポーツの成績も十分人並です。

    親御さんたちに言いたいことは、「とにかく焦らない」ということです。そして、自分の子供を他人の子供と無暗に比較しないということ。

    もしも、どうしても比較することがやめられず、悩んでしまう時は、こう思って下さい。

    「いいの、うちの子供は大器晩成型なんだから。勝負は、二十歳すぎてからよ!」

    と----。

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花壇が消える・・・ [ちょっと、一息 13]


[かわいい]花壇が消える・・・



    二、三年前から感じていたことなのですが、街の中の花壇が少なくなったなァ・・・と。

    十年ほど前までは、各家の前には必ずというほどプランターが並び、季節の花々がところせましと咲き誇っていたものです。

    しかし、花を育てる人たちが次第に高齢になり、花の苗を植える体力がなくなって来ているせいか、これまで丹精込めて自慢の花壇の花を育ててきた人たちが、次々と花作りをやめてしまっているようなのです。

    一頃、ガーデニングを楽しむという趣味が主婦の間で流行したこともありましたが、それも現在は、リーマンショック以降の不況でかなり下火になってしまいました。

    花を育てるという趣味には、必然的にお金がかかります。

    園芸雑誌、肥料、苗などを購入するにしてもお金も手間もかかりますし、根気も必要です。

    そして、ガーデニングを趣味にしている人たちの情報交換のための集まりに費やす食事代などもバカにならないのではないでしょうか。

    昨年の東日本大震災がそんな不況に追い打ちをかけたがために、趣味に回せる家計の余裕もなくなり、花壇の手入れが出来なくなったという人も多いのだと思います。

    街中を散歩して歩くと如実に判るのですが、一昨年まではスイセンやパンジーを美しく咲かせていた家の花壇が、今年は跡形もなく壊されている----などということも少なくないのです。

    既に庶民の暮らしが、花をめでるという余裕さえ失い始めているという証拠ではないでしょうか。

    しかも、この長期に渡った厳冬が、人々の気持ちにある種のうつ状態をもたらしているようにさえ思われます。

    街から花壇が消えるということは、それだけ街が高齢化しているということに加えて、社会経済や人々の精神をも疲弊させつつあるということの証拠なのではないかと・・・そんな一抹の危惧感に襲われるこの頃です。

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話の内容、判っていますか? [ちょっと、一息 13]


[電話]話の内容、判っていますか?



    雨降りですね~。

    春雨にしては、かなりの大降りです。

    このところ、天気の悪い日が多いですね。

    明日は、長野マラソンだそうですが、果たして晴れるのでしょうか?

    ホテルや旅館には、参加ランナーたちが大勢宿泊しているとのことですが、街中が活性化するなどの経済効果があまり表面化しないので、いま一つピンと来ません。

    まあ、元々が彼らは観光目的の宿泊客ではないので、それなりに潤うのは宿泊施設関係者のみということでしょうか・・・。

    スタート地点が長野市内へ移ってしまい、NHKでの生中継もなくなってからは、地元の関心も年々薄れて来ているようで、明日がマラソン当日だということを知っている人は、わたしの周囲には一人もいませんでした。
    
    長野マラソンも、近頃は局地的関心事になってしまっている感が否めませんね。





    ところで、以前、このブログにも書いたのですが、最近の日本人はとみに他人の言葉の真の意味を理解する能力----いわゆる『読解力』が衰えているそうです。

    まあ、わたしも人のことは言えないのですが、役所などから届けられる細かな文字がびっしりと羅列している調査票など、開いただけで読む気をなくします。

    書かれている文章が役所独特の言い回しであったりするので、何度読み返しても確実な意味が伝わらないのです。

    もしや、住民にわざと判らないように書いているのではないかとさえ勘繰りたくなるほど、難解な言い回しを使用しているようにも思えるのですが、たぶん、こうした書類の文章を考える職員自身が、どう書いたら相手へ伝わりやすい文面になるかが理解出来ていないのではないかとも推測されるのです。

    役所から送られて来る書類だけではありません。

    普段の会話の中にも、こうした『読解力』の低下は見受けられます。

    たとえば、他者への忠告が、何と相手には激励の言葉のように受け取られていることもあるのです。

    「そういう意味で言っているわけじゃないのに・・・」

    と、思わず凹むことはありませんか?

    人間は、耳の痛い苦言でさえも自分に都合の良いように解釈してしまうという習性があるため、オブラートに包んだようなどっちつかずの言い方などは、読解力の乏しい相手には、時に真逆の意味で伝わってしまうことさえあるのです。

    ストレートに「そういうことは不愉快だからやめなさい!」といえば角が立つ。

    しかし、「そういうことは不愉快に思う人もいるので、考えものですね」などとやんわり注意しても、「でも、愉快に思う人も大勢いるわけよね」と、相手が解釈する可能性もあり、そういう場合は、相手がどれほど言葉の真意を汲み取る力があるかと見極めたうえで、忠告の方法を変えなければならないのです。

    では、『読解力』を鍛えるためには、どうしたらいいのでしょうか?

    それは、やはり多角的な視点でものを見たり考えたりするという習慣を身に付けることだといわれます。

    一昨日、京都で起きた自動車暴走事故を例にとってみましょう。

    加害者が病気であるという報道がなされたとしても、「本当に報道は正しいのか?」という視点が大事なのであり、加害者が病気であった場合の社会的波紋と、そうではなかった場合の周囲への影響の違いなどを、様々な方向から考察する意識が必要なのではないかと考えます。

    あなたは、他人からの指摘を内容通りに把握する力を持っていますか?

    一方的な思い込みだけで、相手の言葉を解釈してはいませんか?

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平家の落人伝説 [ちょっと、一息 13]


[本]平家の落人伝説




    信濃毎日新聞を読んでいたら、昨年大地震に襲われた栄村の復興が足踏み状態だという記事があった。

    村内四つの温泉施設を運営する村振興公社の売り上げも減少が止まらず、村営さかえ俱楽部スキー場の経営もかんばしくないという。

    小滝集落の住民らは、昨秋、古道を歩くツアーを企画し、地元食材の郷土食を提供して参加費収入の一部は運営にかかわった住民らで分けたそうである。

    村内には高齢者を中心に県の伝統工芸品の桐下駄や、わら細工、おやきに似た長野、新潟県境の郷土食「あんぼ」の作り手もいて、こうした地域産業や観光資源を積極的に活用すれば、生活に必要な収入も得られるのではないか----との見方もあるようだが、復興元年と位置付けた今年は、これまでの発想を転換し、さらに新しい村の産業起こしが求められるということであった。

    「コメはおいしいし、景色も良く、夜は星がきれい。驚くことばかり」

    と、古道ツアーの参加者には高評価だそうだが、そういう場所ならば栄村に限らず全国各地にもあるだろう。

    復興に結びつく観光を根付かせるためには、その土地にしかない独自性を打ち出す必要があるのではないかと思う。

    栄村にしかない独自性とは何なのか?

    おそらく、歴史がその答えを持っているように考える。

    平家の隠れ里ともいわれる秋山郷を抱える栄村には、古くから平家の落人伝説が語り継がれていて、かつて秋山郷では、郷以外から入って来た者に対して、「未だ、源氏は栄えているか?」と、訊ねた者もいたそうである。

    今年は大河ドラマで「平清盛」を放映していることも、何かの縁なのかもしれない。

    栄村には、まだ発掘されていない知られざる観光資源が眠っているようにも思われるのだが、こうした歴史遺産をうまく活用する術はないものであろうか?

    村のボランティアの人たちが、平家の家人に扮して村内を案内したり、村の歴史にまつわる昔話を語り聞かせるだけでも歴史好きにはたまらない観光ツアーとなるような気がするのだが・・・。

    記事を読んでいて、そんな素人考えがふと頭に思い浮かんだ。

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怒りのコントロール方法? [ちょっと、一息 13]


[時計]怒りのコントロール方法?



    わたしの知り合いに不思議な女性がいる。

    その女性は、どんなに人から嫌がらせをされても、その時はものすごく落ち込むのだが、一日も経てばまたその嫌がらせをした相手のところへ手土産を持って、いそいそとおしゃべりに出かけるのだ。

    そんな彼女に友だちは呆れ返り、

    「あれほど、『あんな言われようはない』って怒っていたはずなのに、どうしてまたご機嫌伺いになんか行くわけ?」

    と、訊いても、彼女は一言、

    「だって、あの人とおしゃべりしたいんだもの」

    と、あっけらかんと答えるのだ。

    このおそるべき神経の鈍さは何なのだろうと考えたところ、一つの結論に達した。

    女性は、何も嫌がらせをした相手を許しているわけでも、大人の理性で悔しさを我慢しているわけでもなく、ただ単に、

    相手が自分にした嫌がらせを忘れるほど、外出とおしゃべりそのものが大好きなのだ。

    おしゃれをしてお出かけしたい----と、望む気持ちがあまりに強いために、たとえ会話の相手がどれほど嫌な人でもそんなことはどうでもよく、何度でも同じ相手のところへ出かけて行ってしまうのである。

    つまり、彼女は、言わば他人が簡単には真似の出来ない「怒りのコントロール方法」を身に付けているといっても過言ではないのである。

    そして、その秘策が、

    「嫌なことは絶対に思い出さない」

    と、いうものなのであった。

    彼女は、今が大事なのだ。常に、今しか見ようとしない。

    それが、彼女の中の怒りの感情を消し去ることにつながるのである。

    人は、過去の出来事を思い出すから腹も立つし落ち込みもするが、端から忘れ去って行けば何の気苦労もないはずである。

    彼女の場合は、そのどちらかといえばおおざっぱな性格も相まって、他人から受けた嫌がらせでさえも一瞬のうちに忘却するという特技を持っているわけである。

    思い出さないということは、確かに気持ち的には楽になるだろう。

    しかし、それが果たして脳のために良いことなのであろうか?

    過去の出来事を思い出すことで悔しさや怒りを蒸し返し、ストレスを溜めることは身体に良くないようには思うのだが、記憶を維持するという点から考えれば、思い出さないということは、感情の起伏を自ら放棄するという作用にもなるため、ほとんど脳細胞を活用していないということになりはしないだろうか?

    とはいえ、彼女のように悩みなく生きることが出来れば、どんなにか幸せだろうとは思うのだが・・・。
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こんな名前でいいのかな? [ちょっと、一息 13]


[リボン]こんな名前でいいのかな?



    近頃の子供の名前って、すぐには読めない難解なものが多いですよね。

    今日、何気に新聞を読んでいて、そこに赤ちゃんの名前が並んでいたので見ていたのですが、ほとんど読み方が判りませんでした。

    律希(りつき?)

    玲來(れき?)

    歩夢(とむ?)

    天那(てんな?)

    柊音(しゅうと?)

    義仰(よしゅあ---だそうです)

    正直、良く判りません。(?_?)

    ご両親は、一生懸命考えて命名されているのだと思いますが、果たしてお子さん自身の気持ちはどうなんでしょうか?

    必ず「どう読むんですか?」と、名前を呼ばれる度に質問されることになるでしょう。

    わたしなど、こうした難読名は一度呼び方を教わっても、すぐに忘れてしまうような気がします。

    何だか、とても「?」に思うこの頃です。

    ご両親は、お子さんがいずれはおじいさん、おばあさんになることを想定しているのでしょうか?

    お子さんが高齢になってから病院の待合室にいる時、たとえばこう呼ばれるんですよ。

    「山本風愛斗(ふぁいと)さ~~ん(仮名)、一番診察室へお入りください」

    椅子から立ち上がる老人を見た周囲の人たちの反応は・・・?

    名前をつける時は、親の趣味や希望だけを優先するのではなく、お子さんの将来を考えてある程度の想像力を働かせることも大事なのではないかと思う、この頃です。

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いびきの不思議 [ちょっと、一息 13]


[家]いびきの不思議(?_?)



    あなたは、睡眠中にいびきをかく方ですか?

    「よくかく方だと思う」

    と、いう人も、それはおそらく自分でいびきをかいているという自覚があるわけではなく、家族からの指摘で、「たぶん、そうなんだろう」・・・と、思っているということなのではないでしょうか。

    「お父さん、いびきがすごくて眠れないから、今夜から寝室を別にしてくれない」

    などと、奥さまから言われたことのあるご主人も多いのでは?

    でも、そんなご主人の方こそ、

    「何言っているんだ。いびきがすごいのはお前の方だろう。おれだって今までずっと我慢して来たんだぞ」

    と、むしろ奥さまのいびきに悩まされ続けていた----という場合もあるのです。

    そういえば、ある有名な女優さんへのインタビューでも、その女優さんがこんな話をしていたことを覚えています。

    「〇〇さんは、どうしてそんなにお綺麗なのにご結婚されないんですか?独身主義とか・・・」

    すると、その女優さんが言うことには、

    「実は、あたし、いびきがすごいらしいんですよね。自分では自覚ないんですけれど、ドラマのロケなんかで同宿したスタッフさんに言われちゃって・・・。それが恥ずかしくて、結婚なんかしたら相手の人が迷惑だろうなって思うし・・・。だから、結婚願望はあるんですけれど、結婚しないと決めているんです」

    そんな訳で、その女優さんは、大好きな独身男優さんがいてもその想いを告白できないため、

    「あの人、早く誰かと結婚してくれないかなァ。そうすれば、こっちも諦めがつくのに」

    と、思うのだそうです。

    いびき対策として、就寝中のスタイルを仰向けではなく横向きにすると良いとか、体重を落として顎周辺の贅肉を落とせば気道が広がりやすくなりいびきが軽減できるとか、鼻呼吸を心がけるとか、枕を高めにすると良い、いや気道を広げるためには逆に低めの方が良いなど、様々な方法があるそうですが、やはりいびきをかく人はかきますよね。

    以前、わたしが短期入院した時、夜中、病室の隣のベッドの高齢女性がものすごいいびきをかいていたのですが、看護師さんが何度女性の体勢を変えても、やはり止まりませんでした。

    わたしは、とても眠れたものではなくほぼ徹夜状態だったので、夜の見回りに来た看護師さんは、「うるさくて、ごめんなさいね」と、謝っていました。

    ところが朝になると、その女性は看護師さんに、「隣の人が一晩中いびきをかいていてうるさくて眠れなかった」と、訴えたのです。

    どうやら、彼女はあのすさまじい自分のいびきの音を、隣のわたしがかいているものだと思いながら眠っていたようでした。

    これには、看護師さんも同室の患者さんたちも苦笑いでしたけれどね・・・。

    いびきをかいている人は、自分のいびきには気付かないくせに、他人のいびきや話し声にはやたらに敏感だともいいます。

    いびきをかいている時は、眠りも浅い状態なのだと思いますから、たぶん無意識下で、自分のいびきの音をそばにいる別の人の発する音声だと勘違いしてしまうのではないでしょうか。

    とにかく、いびきをかく人は、まずは、自分がいびきをかく癖があるということをしっかりと自覚するべきだと思います。

    自分のいびきをいつまでも他人の発する音だと勘違いしている分には、決して治すことは出来ないのですから。

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