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あまり年とったから・・・ [ちょっと、一息 12]


[時計]あまり年とったから・・・


    高齢者にとって気になる言葉は、色々あると思いますが、ある女性は、

    「あまり年とったから、判らなかった・・・」

    と、言われたことがショックだと言います。

    この女性は、いつも髪の毛を染めて綺麗にしてたのですが、このところ風邪が長引いていたせいもあり、髪を染めるのがおっくうで、しばらく白髪を放置していたところ、久しぶりに会った50代の知り合い女性から、

    「やだ、〇〇さんじゃない。あまり年とったから、判らなかった。白髪染めないと、誰だか判らないよ」

    と、言われたのだそうです。

    髪など染めても染めなくても年は相応にとっているんだから、ああいう言い方は失礼だと、高齢女性は話します。

    若い人が今までの長い髪を切ってショートヘアにしたからといって、あまり年とったから----などとは言われないはずですよね。

    月日が経てば年は誰もがとるものですから、もしも、高齢女性が誰だか判らなくても、「年とったから」は、必要のない言葉ではないかと思います。

    「髪、染めていないから、見違えちゃった・・・」

    ぐらいなら、たぶんその女性もさほど傷付かずに済んだのではないでしょうか。

    まだ、50代ぐらいの若さの人は、老人の気持ちが判らないためにとかく配慮に欠けた言い方をしてしまいがちですが、

    「今のうちに見ておいた方が・・・」とか「今度~~することが出来るかどうか判らないよ」などという言葉は、高齢者には実にショックな言い方なのです。

    「冥土の土産に」などということを高齢者はおどけて口に出すことがありますが、これは本心から言っている言葉ではないと考えるべきです。

    ましてや、若い人が口に出すのは極力控えるべき一言だともいえるのです。

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ネット依存症 [ちょっと、一息 12]


[携帯電話]ネット依存症



    インターネットなしでは生きて行けないというほどの、いわゆるネット依存症に罹患する日本人が急増中だそうだ。

    あえて罹患と書いたのは、韓国など海外では既にこの症状を病気と認定し、精神科医やカウンセラーなどが患者の診療に当たっているというテレビニュースを観たからである。

    ある女子高生の一日をグラフにしてみると、なんと、二十四時間のほとんどを携帯電話片手に過ごしていて、夜眠る時間までもが削られていた。

    教室でも友人たちとおしゃべりしながら携帯をいじる。

    家へ帰り食事をしながら、やはり携帯を見ている。

    その後、自室へ入りテレビを観ながら携帯で友人とメール。

    彼女の手が携帯から離れることは、ほとんどない状態だ。

    今、こうした携帯電話やスマートフォンを手から離せないという若者やビジネスマンが急増しているのだそうである。

    また、ネット依存症は携帯電話に限らず、パソコンでも起きることがある。

    何十時間もネットカフェでチャットなどをしていた男性が、座りっぱなしのためのエコノミー症候群で急死したというような事例も報告されているらしい。

    ネットゲームにはまり、昼夜の感覚がなくなったという若者も多く、家の中でご主人が携帯ゲームに熱中するあまり家族間の会話が激減したと嘆く女性もいる。

    海外では、こうしたネット依存症は、アルコール中毒や薬物中毒などと同じく病気であると認識されていて、多くの患者が精神科医やカウンセラーを受診しているそうである。

    このネット依存症を治すために一番手っ取り早い方法は、インターネットがつながらない環境に患者を置くことだとか。

    そのため、韓国ではネット依存症の子供たちを集め、携帯電話もパソコンもない場所で長期間の合宿生活を送らせるのだそうだ。

    そこでは生身の友だち同士で体験できるキャンプや力仕事をして、インターネットよりも楽しいことが世の中にはあることを知ってもらうのだそうだ。

    インターネットの世界だけが唯一の自己表現の場だと思い込んでいる人は、逆に生身の人間の方が信じられないという傾向が強いのだという。

    ネット依存症を克服するには、こうした意識を変えさせるのが最も重要なのだそうだ。

    しかしながら、自分または子供が本当にネット依存症なのか、それとも単なるネット好きなのか、その境界が判らないというのがこの病気を発見するうえで難しい問題なのだともいう。

    ブロガーの中にも他のブロガーと毎日コメントのやり取りが出来ないと不安で寂しいとか、自分だけが仲間外れにされているような気がするなどという人が時々いるが、これもある意味ネット依存症の予備軍と考えられるそうである。

    あなたは、仕事の合間でも携帯電話が気になることはないだろうか?

    ブロガー同士のコメント会話に入れずに悩んだことはないだろうか?

    仕事で使用しているわけでもないのに、気が付いたらパソコンの前から何時間も動いていなかった・・・などということはないだろうか?

    もしかしたら自分はネット依存症なのでは・・・?

    そんな風に感じた時は、一度携帯電話やパソコンから徹底的に離れる生活を送ってみるのも一つの方法だと思う。

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救急隊員も大変です。 [ちょっと、一息 12]


[車(RV)]救急隊員も大変です。



    近所に救急車が止まった。

    ところが、いつになってもその救急車が発車する気配がない。

    急患の受け入れ病院が見付からず困っているのかと思いきや、そうではなかった。

    どうも、救急車を呼んだ方が、いざ到着した途端に乗るのを渋り始めたようなのだ。

    その乗車を渋る男性を相手に、救急隊員たちは事情を聞いたり搬送するための説得をしているらしいのだが、男性はそれを拒否し続けている。

    「余計なことするな!」

    「関係ねェ!」

    と、いうような声も聞こえてきた。

    どうやら、酔っ払っていたようだ。

    救急車を呼んだ人物と急患は別の人間だったのか?

    男性は結局最後まで乗車するのを拒否。

    仲間らしき人物が運転する車に乗って、その場からいなくなってしまった。

    かなりの時間を説得に要したのち、救急車も急患を搬送することなく、その場から去って行った。

    まあ、そんな一部始終を見ていたわたしも、暇っちゃァ暇なんだが・・・。(~_~;)正直、野次馬です。

    それにしても、急いで駆けつけてきたうえに相手に怒鳴られては、救急隊員もたまったものではない。

    でも、おそらく、彼らにとってはそんなことは別に取り立てていうほどのこともなく、こんな経験はしょっちゅうなんだろうなァ・・・と、思う。

    悪態をつく男性に対しても、実に冷静な対応だった。

    とはいえ、ふと考えた。

    もしも、こんなことにかかわっている間に、本当に一分一秒を争う急患の搬送要請が来た時はどうするのだろうか・・・と。

    おそらく、今回救急出動を要請した人は、その男性の泥酔ぶりに手を焼いて思わず119番通報してしまったのだろう。

    だが、こういう時に通報するべきは、消防署ではなく警察なのでは?

    詳しいことは判らないが、春先ともなると色々なお騒がせ人間が出没し始めるようだ。

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いったい、誰!? [ちょっと、一息 12]


[がく~(落胆した顔)]いったい、誰!?



    先日、某スーパーで、偶然知り合いの主婦に会いました。

    「ねえ、聞いてよ。この間さァ・・・」(゜o゜)

    その主婦が話すには、

「独りで外湯に入っていた時に変なことがあってね。お風呂の入口のドアの鍵が開けられるブザー音がしたのに、いつまで経っても誰一人入って来ないのよ。そうしたら、また、何度か音がして・・・。それでも、誰も入って来ないから、気味が悪くてね・・・」(-_-;)

    「何なんですか、それ?悪戯ですか?」(・_・)

    わたしが訊ねると、

    「こっちも、そうかもしれないと思って急いで湯船から上がって、身体を洗うのもそこそこに脱衣所へ出たのよ。もう、気持ち悪いから、誰か男の人でも入って来たら嫌だと思って急いで服を着てね。そうしたら、入口の外の方で、大勢の人のしゃべり声までするじゃない。ますます、気味が悪くなってさ・・・」(・_・;)

    主婦は、外の人たちに顔を見られないようにしようと、頭からバスタオルをかぶって外湯を出たのだそうです。

    すると、そこにいたのは数人のテレビ番組のロケ隊で、彼女はカメラ撮影でもされたら嫌だと思い、大急ぎでその場から走り去ったのだと言いました。

    「それは、災難でしたね。外湯は誰が入って来るか判らないですから、ブザーが鳴るばかりで誰も入って来なければ、何があったんだろうと気が気じゃないですよね」(ー_ー)!!

    わたしが言うと、主婦は本当に不愉快そうな表情で話します。

    「嫌だよね~~。ロケをするなら、いついつやりますから、その時間は入浴しないでください----ぐらいの連絡をしておいて欲しいもんだわよ。もう、あのあと一日変な気分だったわ」(>_<)

    「お風呂上がりなんて、人に見られたくないですよね。顔、撮られちゃいましたかね?」(・_・)

「バスタオルをかぶっていたから大丈夫だと思うけど・・・」(T_T)

    確かに、話を聞けば気の毒としか言いようがありません。

    入浴中の女性を驚かすようなことは、たとえテレビ局でも遠慮して欲しいと主婦は語っていました。

    わたしだったら、たぶん大爆発だな。(ーー;)

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『相棒ten』最終回 [ちょっと、一息 12]


[TV]『相棒ten』最終回



    『相棒ten』の最終回は、クローン人間誕生か?----という話でしたね。

    二人目相棒の神戸尊もこれで警察庁官房付きとなり、特命係を去りました。

    神戸役の及川くんに関しては、ようやく彼らしい演技が観られたような気もしました。

    あの切羽詰まった演技を観てしまうと、もう少し続けて欲しかった・・・とも思ってしまうのですが。

    これまでの間に、どうしてああした彼の演技力を引き出すシナリオが書けなかったのかなァと、残念です。

    ミステリーのトリックやプロットにこだわり過ぎたせいで、俳優の演技への演出面がおろそかになっていたのかもしれませんね。

    それにしても、「クローンとは、遅れて生まれて来る双子の一人」という杉下右京の説明で、なるほどと思いました。

    ただ、クローンとして生まれて来るということは、クローン胚性幹細胞組織は体細胞提供者の年齢ということなので、誕生の瞬間既に0歳ではないということになるという話を聞いたことがあります。

    つまり、それだけ短命だということなのかな?

    また、クローンには世間の風当たりもさることながら、その他色々な障害をもつ可能性もあるのだとか・・・。

    そう考えると、確かにそうなることが最初から100パーセント判りながら、人間として誕生させるのは酷なような気もします。

    物語では、結局最後は生まれなかったという形になりましたが、ただ、これが『相棒』という特異な刑事ドラマのストーリー上よかったのかどうか・・・。

    案外、制作スタッフの間でも意見が分かれたのではないでしょうか。

    今後、杉下右京の新しい相棒が誰になるのかも興味がありますが、こうした一般人ではあまり知ることが出来ない職業や業界の人間を犯人にするようなストーリー構成を期待したいと思います。

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地域ブログの難しさ [ちょっと、一息 12]


[カラオケ]地域ブログの難しさ



    こちらのソネットブログとは関係ないのですが・・・。

    地域ブログを書いていると、時々実に面倒くさい現象に悩まされます。

    それは、地域の狭さが原因なのですが、簡単には他のブロガーの記事にコメントが出来ないというものなのです。

    ですから、わたしは最近、安易に他人のブログにコメント書き込むことを控えています。

    つまり、裏を返せばわたしがコメントを書き込ませてもらうブロガーさんは、それだけ地域ブログの中では限られているということにもなるのです。

    では、何故、地域ブログではコメントの書き込みが容易ではないかというと、ブログサイト内の世間が狭いということに尽きるのです。

    気に入った記事があって思わずコメントを残したあとで、その記事を書いたブロガーが、実は以前こちらの記事に対して敵愾心むき出しのコメントを書き込んで来たブロガーと大の仲良しだった----などとういうことが度々起きることもあるわけで、

    「誰が何処でつながっているのか判らない」

    という懸念が常に付きまとうのが、地域ブログの怖いところでもあるのです。

    もしも、間違ってそんなブログにコメントを残してしまえば、自分のコメントだけに返事がもらえなかったり、書き込んだ記事を書いたブロガーの友人ブロガーたちの格好のターゲットにされて、嫌みの言いたい放題のレスをもらう破目にもなりかねません。

    つまり、コメントを書き込もうとするならば、相手のブロガーがどんな人たちからコメントをもらっているのかを徹底的にリサーチした上でなければ書き込めないということなのです。

    しかも、地域ブログの不思議なところは、ブログの記事の書き方だけで相手の性格やら時には人相までも把握しきってしまったような錯覚に陥るブロガーさえいるということです。

    ほとんどが勝手な妄想に過ぎないのですが、信州人のいわゆる内弁慶的性格がそんな錯覚を起こさせるのかもしれません。

    ブログはあくまでも一記事に過ぎません。

    ブログ記事だけで書き手の性格など判るはずはないのです。

    実際に会ってみたら、記事の内容とは似ても似つかない人だった----などということはいくらでもあります。

    しかし、地域ブログは世間が狭いだけあって、古参ブロガーの中には先輩風を吹かせてほとんどのブログにコメントを書き込んでいるというコメント好きもいるわけで、そういう古参ブロガーはこれまた機嫌を損ねると実に厄介なものなのです。

    ですから、ブログは出来れば自分の気持ちをつづるだけで、よほど気心が知れた相手以外とは余計なコメントのやり取りはしない方が、安心して続けられるというものなのです。

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日照不足が・・・ [ちょっと、一息 12]


[晴れ]日照不足が・・・



    天気が悪いと、気分的に調子が出ない人は多いですよね。

    わたしも、モロこのタイプです。

    しかも、ここに寒さが加わったらもうダメですね。

    思考回路まで停滞して、ほとんどうつ状態に近くなってしまいます。

    北日本では西日本にくらべて自殺者が多いというのも、案外そういう日照不足や寒冷が大きな原因なのかもしれません。

    先日のテレビ番組でも、この太陽光が不景気と密接な関連性があるということを伝えていました。

    過去にも太陽の力が弱くなった時期と、世界恐慌などが起きた時期がしっかりと重なるのだとか。

    以前、当ブログに現在の太陽で磁場を構成する黒点の数が減少しているということを書きましたが、黒点が少ないということは、すなわち太陽の力が弱まっていることを意味するのだそうです。

    太陽の力が弱くなると太陽が自力で周りに張り巡らせているバリアーの威力も弱まるということで、宇宙放射線がまともに地球へ降り注いでしまうのだといいます。

    降り注ぐ宇宙放射線は、地球の上空にたくさんの雲を生みだすため、地球上は必然的に日照不足に陥るのだそうです。

    すると、太陽光が雲によって遮られることで地球は寒冷化し、これらが連動することで人間の脳内物質に影響が及び、うつ状態を引き起こすため、やる気や楽観という気分が阻害されて人々の生産力や購買力が低下、景気にも悪影響を及ぼすことになるのだというのです。

    しかも、この脳内物質への悪影響は、殊に女性に強く出ることで少子化を加速する原因にもなるそうです。

    わたしの好きな映画に「デイ・アフター・トゥモロー」という地球に氷河期が訪れるというSF作品がありますが、今は正にこんな状況の始まりなのかもしれないという説もあるのだとか・・・。

    そう考えると、今年の寒冷化も自然と人々の気持ちを消沈させる要因となっているわけで、もう一つ世の中が活性化しない理由なのかもしれません。

    人の気持ちをウキウキさせてやる気を起こさせるためにも、早く春が来て暖かい日光が降り注ぐ必要があるのでしょうね。

    景気を左右する力が太陽光にあるのだとしたら、この不景気を吹き飛ばす秘策は光にあるのかもしれません。

    しかしながら、今の日本は昨年の大震災の影響で節電意識が支配していますから、安易に電気照明に頼ることは出来ません。

    では、どうしたらいいのか?

    これを打開する方法は、「色」にあるという専門家もいます。

    太陽光や照明に頼れない場合でも、街に出来るだけ多くのカラフルな色彩を生み出すことが出来れば気持ちの活性化率も上がるのではないでしょうか。

    ビタミンカラーと呼ばれる赤やオレンジ、黄色などのライト・トーナス値の大きい色をファッションに取り入れることで気分も明るくなれるのだと思います。

    それにつけても、早く本格的な春が来ることを祈りたいものですね。

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靴がはけた! [ちょっと、一息 12]


[野球]靴がはけた!



    以前もブログに書いたのだが、足が極度に浮腫んでからというもの、それまではいていた靴が尽くはけなくなってしまった。

    その靴が最近になって、またはけるようになった。

    わたしは靴が大好きで、過去には何足も買っていたのだが、足が浮腫んでからはそれらが一足もはけず、流行遅れでもあるので、もう捨ててしまおうかと思っていたのだ。

    しかし、先日、どうせ捨てるのならと思い、そんな古い靴の中でもやや大きめの物を試しにはいてみたところ、これが何と足がすんなりと入ったのである。

    「おお、ラッキー!!」

    流行遅れでも何でも構わない。

    はけるとなれば、捨てるのは惜しい。

    まだ、何度もはいていたわけでもない靴なので、見たところは新品も同然なのだ。

    もしかしたら、他の靴もはけるのではないかと思い、二、三足試してみたところ、やはりはくことが出来た。

    早速、その靴をはいて散歩に出ると、意外に歩きやすい。

    そういえば、身体がガタガタになりつつあった頃、もしかしたら靴が悪くて足が痛むのかと勘違いしていて、次から次へと靴を買い替えた。

    結局、原因は靴ではなかったのだが、考えればとんだ散財をしてしまったものである。

    手術のあとは両足が異常に浮腫んだので、もう、かつての靴ははけないものだと思い込んでいたのだが、捨てずにいてよかった。

    流行遅れの靴ばかりだが、これからは気にせずはこうと思う。

    普通にお気に入りのおしゃれ靴がはけて歩けるということは本当にすごいことなんだと、今更ながら実感する。

    皆さんは、階段の上り下りや日々の歩行を何の気なしに行なっていることと思うが、これって奇跡的なことなんですよ。

    足が萎えてしまうと、たった10センチの段差も人の支えなしには上れなくなるのだ。

    そんなバカな・・・と、思うかもしれないが、百歳を実体験したわたしにははっきり言える。

    また、今日は、ゆっくりだが階段を手すりにつかまることなしに下りることが出来た。

    こんな感覚は、十年ぶりぐらいだな。

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歌詞の意味が判らない [ちょっと、一息 12]


[るんるん]歌詞の意味が判らない



    近頃の歌謡曲の歌詞は、理解不能なものが多くて、作者は何が言いたいのか良く判らないことが度々あります。

    この原因は、曲が先に出来ていて、そこへ歌詞をあとからあてはめるという近年の曲作りの主流である「曲先」の手法にあるのだと思うのですが、それにしてもこういう疑問を持つのは、わたしだけではないようです。

    インターネット上にも、歌詞の意味が判らないという苦情が意外にあることに気が付きました。

    その中でも、特に判らないと皆さんが首を傾げるものが、巷では「名曲」と呼ばれている一青窈さんの「ハナミズキ」。



    空を押し上げて

    手を伸ばす君 五月のこと

    どうか来てほしい 水際まで来てほしい

    つぼみ をあげよう 庭のハナミズキ



    「水際まで来て欲しい」の「水際」は、おそらく何かの比喩的に使われているのだと想像出来ますが、具体的には何を指すのかは定かでありません。

    でも、この辺りまでならば、何とか理解しようと思えば出来ないこともありません。

    問題は、この後です。



    薄紅色の可愛い君のね

    果てない夢がちゃんと 終わります ように

    君と好きな人が 百年続きますように



    「薄紅色の」----が、いったい何処へつながるのか?「可愛い君」ですか?それとも、「果てない夢」へつながるのでしょうか?

    さらに「果てない夢」とは何でしょうか?それが「終わる」とは?最終的に好きな人と結ばれることを意味するのでしょうか?

    夢が終わってしまったのに、「好きな人と百年続きますように」とは、どういうことなのでしょう?

    考えれば考えるほど意味不明です。

    一説には、この歌は結婚適齢期を迎えた娘へ贈る父親の心情を歌ったものだということですが、せっかくの父親の気持ちが、これでは娘に伝わりませんよね。

    ところが、一箇所歌詞を替えてみると、案外判りやすくなるのです。

    

    「果てない夢がちゃんと終わりますように」を、「果てない夢がちゃんと叶いますように」と替えてみただけで、どうでしょうか?

    俄然、意味がすんなり通って来るように思うのですが・・・。

    


    まだ、あの頃幼かったきみが、五月の空へ思い切り手を伸ばす。

    ハナミズキの枝が欲しかったんだよね。

    ほら、頑張ってこっち(池のほとり?)まで来てごらん。

    ハナミズキのつぼみのついた枝をあげるよ。

    

    薄紅色のほっぺたをしていた可愛いきみ。

    そのきみが手を伸ばして欲しがったハナミズキのつぼみのように、今は彼との恋を手に入れたいと願っている。

    そんな果てない夢がちゃんとかないますように・・・。

    ぼくはいつも祈っているよ。

    きみとその彼の愛がこれからもずっと長く続いて行くことを、いつまでも。



    歌詞の一番だけを解釈すると、ざっとこんな感じになるのではないでしょうか?

    これならば、娘の成長を喜びつつも何となく一抹の寂しさも拭えない父親の心情が理解できるような気がします。

    もちろん、作者の本当の意図がどういうものなのかは判りませんが、第三者が何とか頑張って内容を忖度(そんたく)すれば、こんなところが妥当でしょう。

    歌詞の意味を考える時、この一言をこう替えたらもっと判りやすいのになァ・・・と、思うことって良くありますよね。

    それに比べて「おひさま」の主題歌は、本当に気持ちにすんなりと入り込んで来ます。

    最後の、「それだけでいいのよ。それだけがいいのよ」は、正に名文だと思いました。

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腹の立つしゃべり方 [ちょっと、一息 12]


[ファーストフード]腹の立つしゃべり方



    会話をしていると、とかく腹の立つしゃべり方ばかりする人って、いますよね。

    何かにつけて上げ足をとるとか、相手の話についてはほとんど上の空でまともに聞いている試しがないとか、皮肉ばかり言うとか、やたらに「嘘~」を連発するとか、などなど。

    また、何かを教えてあげた時、「そうなんだ」という返事を返す人もウザいという意見が多いです。

    教えてもらったのならば、返事は「そうなのか」が礼儀ですよね。

    「そうなんだ」というのは、「だいたい判っていたけれど、やっぱりそういうことなんだ」という意味で、初めて聞いたという素直な驚きがそこにはないのですから、教えた方にしてみれば、「何だよ!せっかく話してやったのに」ということにもなるわけです。

    これに似ている反応の仕方に、

    「そんなの決まっているじゃない」

    と、いうものがあります。

    自分が発見したことや初めて知ったことを他人に話したいという気持ちは、誰もが持っている衝動ですよね。

    ある人が何か珍しい物を見て、そのことを友人などに教えてやった時、

    「へ~~、そんな物があるんだね」

    と、素直に驚いてくれれば話した方も話がいがあるというものです。ところが、相手がそういう珍しい物を知るはずがないにも関わらず、

    「そりゃ、そうだろうね。そんなもんだよ」

    などという如何にも知ったかぶった返事を返して来たら、やはり話した方としては面白くないと思うのは当然です。

    でも、何を言われてもそういう返事しか返せないという癖を持った人も時にいるようで、どんな話題に対しても、すべて自分の想定内だと主張するのです。

    これは、相手よりも自分の方がものを知っているとか、バカにされたくないという虚栄心の表われなのですが、あまり頻繁に使うがために、いつの間にか無意識下でそういう反応をしてしまっている場合があるようなのです。

    しかし、やはりこういう返事を聞いた方は、「そんなに物事に詳しいのなら、もう何も教えてやらない!」と、腹を立てるのは当たり前で、そうした癖を続ける人は、知らず知らずのうちに友人や味方を失って行くものなのです。

    高齢者になった時、誰も話し相手がいないと嘆く人の中には、若い時分常にこうした「知ったかぶり」をしていた人が少なくないとか。

    あなたの周囲にも、「そんなの決まっているじゃない」「そんなことも知らないの?」というような口癖の人はいませんか?

    実は、わたしの身近にもそういう人が何人かいます。

    でも、不思議なことに、そういう口癖の人は、同じ口癖の人のことが大嫌いなんですよね。自分にもそっくりな癖があることにまったく気が付いていないのです。

    知らないことまでも「知っている」というあの見栄っ張り根性は、何処から生まれるのでしょうか?

    知らないことを知るということは、楽しいことだと思うのですが、そういう人たちはおそらく新しいことを知るのが怖いのだと思います。

    知らないことを知って驚くことが、自分の無知をさらけ出すことだとでも思い込んでいるのでしょう。

    つまり、そういう人ほど、実は何も知らない人なのです。

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