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雑感いろいろ [日々の雑感 16]


[ファーストフード]雑感いろいろ



    おとといだったか・・・、テレビニュース福島県の原発事故の影響で、同じ福島県内のホテルへ避難している人たちの様子を放送していた。

    朝食時のバイキング風景だったのだが、ホテルの広間には浴衣姿の観光客もチラホラいたが、そこで食事をしている大半の人たちは、避難住民だった。

    一般観光客は、「福島県がこういう状態なので、少しでも復興のお役に立てればと思い、こちらのホテルへ泊ることにしました」と、話していた。

    この一般宿泊客たちは、一泊1万円以上の宿泊費を支払って避難住民の人たちと同じバイキング料理を食べているのだ。

    しかし、その避難住民の一人の年配女性は、「ここにいれば温泉にも入れて、本当に快適です。食事もおいしいし、孫娘は、楽しみにしていた歌手のコンサートへも行きます」と、話す。

    そういう避難住民がざっと見ただけでも100人ぐらいはそのホテルに滞在しているのだ。支配人は、「皆さんのお役にたてれば・・・」と、語っていたが、本当にこれで大丈夫なのか?

    避難住民の食事などは、宿泊客とは別の物を用意しているのかと思っていたので、少しばかり心配になった。

    以前のニュース報道では、「避難している人たちの食事は、ホテルや旅館の従業員と同じにする」と、いうものだと思ったのだが・・・。

    やはり、それでは一般宿泊客と比べ差別しているようで、ホテル側も心苦しいのだろうか?

    とはいえ、こんな採算度外視待遇は、そう何日も続かないのではないだろうか?

    無理があり過ぎるように感じた。





    で、昨夜の午後10時頃から午前1時頃まで、我が家の近所が異常に騒がしかった。

    ようやく暖かくなり、またGWだというので、解放感で浮かれる者が現れたのだと思うが、夜中のエンジン音や人の話し声はとにかく良く響く。

    夜は、ホントに静かにして欲しい。




    
    で、この間、病院の中で迷子になりかけた。(爆)

    院長室の前の廊下を一人でうろうろしていたら、事務職員の男性に不思議そうに声をかけられて、ようやく玄関の方へ出ることが出来た。

    わたしは、この病院で、良く方向が判らなくなる。元来の方向音痴だから仕方がないが、以前も病室への帰り道が判らなくなり、訊ねた医師に、「ご無事でお帰り下さい!」と、敬礼されてしまった。(笑)

    あそこは、未だにミステリアスな空間だな・・・。

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    ***  穂波温泉の堤防沿いの桜





    

    

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血圧と味覚の関係 [日々の雑感 16]


[喫茶店]血圧と味覚の関係



    近頃、血圧をコントロールするようになって気が付いたことがある。

    食事の味が、以前に比べ何となくはっきりして来たように思うのだ。

    素材そのものの味が判るというか、時には調味料がなくてもおいしいと感じられるようになった。

    それまでは、味そのものがどういうものかしっかりと判らないまま食事をしていたように思う。

    確かに、おいしいものはおいしいと感じはしていたが、それは、おそらく塩分のせいだったのではないかと考える。

    つまり、塩分が多い食事を続けると血圧が高くなるというよりも、血圧が高い人は本当の味が判らないので、ついつい塩分の濃い食事を好むようになってしまうのではないだろうか。

    血圧が高いということは、体温も高い場合が多いので、常に熱を身体に蓄えているような状態となる。

    風邪などで熱が高い時は、食べ物の味が良く判らないのと同じで、高血圧でも似たような状態になるのではないかと思うのだ。

    まあ、わたしの勝手な憶測だが、どうせ食事をするなら、食事の本当の味を味わいたいものだよね。

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最近の母親学 [日々の雑感 16]


[アート]最近の母親学


    小さな子供を持つ母親というものは、いつの世も子供の教育やしつけには必要以上に神経質になるものだが、少子化の影響もあり、近頃の母親たちには、この現象がさらに加速して来たように思える。

    核家族化が進み、若い母親は夫の両親と同じ屋根の下で暮らすことを拒む。

    そのせいもあり、子育ての悩みを一人で抱え込みがちになるため、孤立感を深め、精神的な拠り所をセミナーなどに求めるようになるのである。

    どうして、母親同士で悩みを打ち明けたりしないのかといえば、要するに、ママ友はそのままママ・ライバルなのである。

    自分の子供の欠点など、たとえ、同じ保育園に通うママ友の間柄とはいえ、簡単に打ち明けられるわけはないのだ。

    そこで、頼るのが最近流行りのコーチングやグリーフケア、EQ講座などのセミナーである。

    そうしたセミナーでは、子育てする親の視野を広げるためのさまざまな講義を行なうとともに、参加者同士で相手の悩みや相談を聞くセッションなるものを実践するのだそうである。

    「子どもには、親の価値観を押し付けるのではなく、子供にとって一番いい接し方を考える」

    それがセミナーのいわゆるコンセプトで、そうした講座を受講した母親たちが一つ一つ試験をクリアしてステップを上げて行くことも、子育てや人生における自信につながるというものなのだという。

    しかし、「子どもにとって一番いい接し方」など簡単である。

    要は、子供の好き勝手にさせておけばいいのだ。勉強が嫌だといえ無理にやらせる必要はないし、食べたくない物は無理やり食べさせることもない。学校へ行くのが面倒くさければ、一日中家で遊ばせておけばいいのだし、買いたい物があると言うなら好きなだけ散財させればいいのだ。

    「親の価値観をおしつけない」などということになれば、もっと簡単だ。

    将来どんな大人になって欲しいか----と、いうことを親が心配しないで済むのだから。ニートでも、プータロウでも、何でも好きにさせればいいのである。ただし、もちろん、それで食べられなくても、親の責任ではない。

    こんなに楽な子育てはないだろう。

    つまり、こういうセミナーで親の教育をするのは、体の良い逃げ道を親に教えることを商売にしているようなものなのではないかと、わたしなどは考えてしまう。

    結局、親になるということは、子供にとっての憎まれ役を買って出るということに他ならないのだ。

    子供を叱り過ぎて後悔してしまう----それなら、後悔した時に、ちゃんと子供に謝ればいい。子供だって、親が本気で叱ってくれているのか、ただただ感情に任せて怒りをぶつけているのかの区別ぐらいはつく。

    子育てに余裕のある親なんて、何処の世界にも居やしないし、そんなことでいちいち自己嫌悪に陥る必要もないのではないかと思う。

    高額なセミナーなどで気持ちを紛らわせるよりも、人生の先輩たちの意見の方がよほどためになるのではないかと、わたしなどは思ってしまうのだが・・・。

    こういう考え方は、もはや時代遅れなのだろうか?

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人間の出来具合 [日々の雑感 16]


[サッカー]人間の出来具合





    殊に市町村議員選挙に立候補する人たちは、住民たちともごく顔見知りという場合が多いものだが、選挙選では、その顔見知り住人たちが住む場所で、「一票をお願いします」と、自らへの投票を頼むのである。

    だからと言って、もちろん、誰が自分の名前を書いて投票してくれたのか・・・などということは判る筈はない。

    たとえ親しい間柄とはいえ、必ず自分に一票を投じてくれているものかなど、知る由もないのだ。

    しかし、当選、落選には関係なく、自らへの一票をお願いした立場上、投票権のある住人は誰でも自分へ入れてくれているのかもしれない----と、考えるのが道理というものではないのだろうか?

    とはいえ、当選後に街で顔を合わせても、ほとんどの議員は知らん顔である。

    当選してしまえば、もうあとのことなど知るものかと思っているのだろうが、投票所へ足を運んだ有権者の方はそう単純に割り切れるものではない。

    別段なに一つ見返りがあるわけでもないのに、単に意中の候補者に投票するためだけに、投票所までの長距離を歩いて一票を入れに行くのだ。

    つまり、当落に関係なく、候補者は皆、街で会う人には区別なくお礼を述べるのが筋なのではないだろうか?    

    以前、わたしは、県会議員選に立候補したものの落選してしまったある候補者へ投票したことがあった。

    その元候補者は、わたしの知り合いでもあったので、偶然某所で会った際、「あなたに投票させてもらったよ」と、話したのだが、相手の反応は、何とも意外なものだった。

    「・・・・なに?その話」

    わたしは、唖然とした。その人は、たった数ヶ月前の県議選を既に忘れているかのような返事をしたのだ。

    落選して恥ずかしいことは判るが、せめて、「ありがとう」の一言ぐらい言ってくれても罰は当たらなかったのではないかと、情けなくなった。

    ところが、今日、今回の選挙の候補者の一人が、まったくの赤の他人に向かい、その人が自分への票を入れてくれたかどうかも判らないというのに、「投票所へ足を運んで下さってありがとうございました」と、丁寧にお礼を言ったという話を聞いたのである。

    おそらく、その候補者は、連日選挙カーで街中を騒がせ続けたことを踏まえ、道で会う人全員にそうやってお礼の頭を下げていたのだろうと、声を掛けられた人は話していた。

    個人の人間性というか、人としての出来具合は、そういうささいなところで決まるものなのであろう。


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考察・スパイダーマン [日々の雑感 16]


[カチンコ]考察・スパイダーマン



    考察----と、いうほど大げさなものではないのだが、久しぶりにテレビ放映されていた「スパイダーマン」「スパイダーマン3」を観た。

    映画「スパイダーマン」は、言わずと知れたアメリカン・コミックを原作とした実写版で、2002年に「死霊のはらわた」などのカルト映画で知られるサム・ライミ監督が手掛けた、アクションヒーローものである。

    これまでに三作が作られており、大都市のビル街を縦横無尽に飛び回る主人公を描く特撮技術が売りの大作でもある。

    ストーリーは、両親を早くに亡くし伯父夫婦に育てられた科学好き高校生のピーター・パーカー少年が、見学に出かけた博物館で遺伝子操作をされたクモにかまれ、特殊な能力を持つスパイダーマンとして、アメリカの正義のために活躍するという、やや、「スーパーマン」に似た物語である。

    「スーパーマン」が大人の恋愛アクションならば、「スパイダーマン」は、その少年少女向けといったところだろうか。

    主人公がマスコミ関係で働くという設定までもが、よく似通っている。

    ただ、「スーパーマン」が徹底して善対悪の構図を追及していることに比べて、「スパイダーマン」のストーリー底辺にあるものは、明らかにキリスト教の精神であるといえよう。

    その理由が最もはっきりと追求されているのが、映画「スパイダーマン3」(2007年制作)であると思う。

    「スパイダーマン3」は、少しばかりプロットを詰め込み過ぎではないかと思われるほど、話が込み入っているのだが、主人公ピーターの恋人であるメリー・ジェーン・ワトソン(MJ)の失業と有名になったピーターへの嫉妬、ピーターのライバルとなるカメラマンの逆恨み、ピーターの伯父を殺害した逃走犯(サンドマン)の我が娘への思いや、MJに片思いをしているピーターの友人ハリー・オズボーンの復讐心などが複雑に入り組んでくるのだ。

    しかし、そのどのエピソードにも共通するのが、「愛」と「許し」である。

    最終的にピーターは、伯父を殺した犯人が病身の娘を思う気持ちに免じて情けをかけるし、父親をピーターに殺されたと信じていたハリーも、結局は友情を裏切ることが出来ずにピーター(スパイダーマン)をかばって自らが敵の手にかかる。

    人間とは、かくもたやすく人を裏切り陥れるものだが、真の正義は、そういう人間をも愛することであると、説いているのであろう。

    考えようによっては、ここにピーター(スパイダーマン)は、本当に必要だったのだろうか?とさえ思わせる内容なのである。

    ピーターへの友情と父親への愛情の狭間で揺れ動くハリーの葛藤の方が、より物語性を密度の濃いものにしていると思うのは、わたしだけであろうか?

    むしろ、ハリー・オズボーンを主人公にした方が、もっと筋の通った骨太の内容になったのではないかとさえ思わせる「スパイダーマン3」であった。


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ムカついた!! [日々の雑感 16]


[ちっ(怒った顔)]ムカついた!!



    今、共同浴場で、ホントにムカつくことがあった!!

    近所のスナックで働いている外国人女性が入って来たのだけれど、ナント、その女性、げた箱のすのこ板の上にスニーカーを脱いでいるのだ![がく~(落胆した顔)]

    そこは、お風呂へ入る人が裸足で上がる場所なのに、彼女のせいで砂だらけである。

    どうりで、最近、脱衣所の板の上が砂だらけになっていることがあり、奇妙に思っていたのだが、今日こそその正体を突き止めた!

    しかも、わたしが脱いだ服を入れている脱衣箱のすぐ下に自分の服を脱いで入れたのだ。

    他の脱衣箱は、すべてがら空きなのにだ。

    必然的に、これから入浴する彼女と、風呂上がりのわたしとが同じ場所で脱衣箱を使うこととなるわけで、汗やほこりで汚れた身体の彼女に接触しないように気をつけながら、自分の服を取らねばならない体勢となる。

    わたしも、ついにブチ切れた![パンチ]

    「そこへ服を脱ぐの、やめてくれ!!他が空いているんだから、もっと頭を使えよ!!」

    わたしの剣幕に驚いた彼女は、しかしながら何を言われているのかほとんど判らないらしく、首を傾げながら浴室へ入って行ってしまった。

    常識がないというか、気渡りがないというか、日本人ではありえない反応である。

    湯船にはどんどん水を入れて、まるでプールのようにしてしまうし、長々と足を出して身体を洗うし、注意をしてもまったく聞く耳持たないありさまだ。

    スナックの経営者には、自分のところの従業員ならば、共同浴場の使い方ぐらい、始めにちゃんと教えておいて欲しいものだ。

    どうして、お湯の管理者は、そんなマナーも判らない彼女たちに入浴許可を出したのか、近所の人たちも一様に眉をひそめている。

    もう、本当に勘弁して欲しい!![ちっ(怒った顔)]


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それにしても・・・ [日々の雑感 16]


[犬]それにしても・・・[猫]



    またぞろ、いつもの愚見ですので、あしからず。

    

    それにしても、あの「わんこ」「にゃんこ」という言葉、何とかならんものかいね?

    実際、いい大人が口に出す言葉じゃないよね。

    昔、わたしも当時三歳の甥っ子に「ワンちゃん可愛いね」と言ったら、甥っ子は怪訝そうな顔をして、「おばちゃん、あれは犬だよ。大人なのにワンちゃんなんておかしいよ」と、鼻で笑われた。

    わたしは、どちらかといえば言葉にこだわる方だと思うが、「うち」を「いえ」と呼ぶのも正直気が進まない。

    「ねえ、うち来ない?」と訊く方が、「ねえ、いえ来ない?」と言うよりも断然自然だと思うのだが、いつから、「いえ」なんて変てこな呼び方をするようになってしまったのだろうか?

    そんな時は、必ず、あなたのお宅は、「お家(いえ)」というほどに由緒ある家柄なのか?----と、訊ねたくなる。

    それにしても、「わんこ」とか「にゃんこ」という大人の心理状態は一体どういうものなのだろうね。

    その根底にあるものは、ある意味「照れ」なのか?

    この言葉は、一種の謙遜として使われているのだろうか?

    ある心理学者の説では、意図して幼児言葉を使う人は、相手に対して自分には敵意がないということをアピールしているのだというものであった。

    そして、自分は決して怖い人間ではないことを暗に伝えているのだという。

    大人ならば、他の言葉に「愛犬」「愛猫」という表現の仕方もあるだろうに、あえて「わんこ」「にゃんこ」というのだから、そこには、一見謙りつつのさりげないペット自慢が含まれているように思えてならないのだ。

    わたしなどに言わせれば、むしろ、「うちのバカ犬」とか「我が家のお調子者猫」などと表現した方が、よほどそのペットに対する愛情が伝わるような気がするのだが・・・。

    自己満足の呼び方は、案外、飼い主の意図とは逆に他人の反感を買う物でもある。

    自分の子供に「ちゃん」付けをしている母親が、教師には押し並べて受けが悪いのと同じ理由がそこにはあるのだ。

    まあ、いずれにしても、単なる個人的な意見だけれど・・・ね。

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統一地方選後半 [日々の雑感 16]


[演劇]統一地方選後半


    
    統一地方選も後半となり、街も選挙一色に染まっている。

    連日、候補者たちはそれぞれの選挙カーを走らせ、うぐいす嬢は声も嗄れよと候補者名を連呼している。

    「皆さまの声を行政に届けます!!」

    「実行力の人、〇〇〇をよろしくお願いいたします!!」

    「皆さまのお力で、〇〇をぜひとも議会へ送り出して下さい!一生懸命、働きます!」

    短い選挙期間中のことなので、こんなごく抽象的なPRしか出来ないことは承知しているが、それにしてもどの候補も実にマニュアル通りの言葉の羅列ばかりで、まったく個性がない。

    もしも、自分が議員になったらどうしたいのか?何をしてくれるのかが、一向に見えないのだ。

    ここに一人でも、「こうすれば、必ず地域経済は発展する。そのためになら、自分はこんなことをする」というような具体案を提示する候補者がいれば、有権者はきっと耳を傾けるに違いない。

    候補者自身が一つも地域活性化のアイデアを持たないままに、ただ単に「声を届ける」と言われても、正直ピンとこないし、声を届けるだけなら、今の時代、個人個人がインターネットで発信することだってできるというものだ。

    「わたしは、ブログやツイッターを駆使して、毎日欠かさず地域の情報を日本語英語、中国語、フランス語韓国語などで各国へ発信し、観光行政のために尽力します」

    「わたしは、日本中を回り、毎月必ず何千人の観光客を連れて来ます」

    「失業者対策として、何人の雇用先確保を約束します」

    こういうはっきりとした目標を提示してくれる候補者がいれば、有権者の関心も高くなるのに・・・と、考える。

    漠然とした内容しか公約出来ないというのなら、それは端からする気のないことを公言しているの同じである。

    結局、議員報酬だけが目当てなんでしょ?----と、言われかねない人ばかりが立候補しているようなものなのだろうな。

    どうせ、議員になる覚悟なら、もう少し本気を見せて欲しいものだよね。[ふらふら]

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今年は、何か変・・・ [日々の雑感 16]


[がく~(落胆した顔)]今年は、何か変・・・



    2011年は、何かおかしなことが多発する年のようだ。

    東日本大震災などという2万7千人以上もの死者を出す大災害が起きたかと思えば、昨日は、栃木・鹿沼市で歩道にクレーン車が突っ込み、小学生6人が死亡するという痛ましい事故が発生した。

    クレーン車を運転していた26歳の男は、「子供をはねたことは記憶にない」と、言っているそうで、どうやら
持病の薬を飲み忘れたことが原因らしい。

    しかし、どんな理由があるにせよ、元気に登校していた小学生たちが、いつもの通学路で、しかもそれを見守っていた教師や親たちの目の前でクレーン車の下敷きになるなどという普通ならば想像すらできない惨事が起きた事実を、認めることなどできはしない。

    どうして、今年はこのように悲惨な出来事ばかりが起きるのであろうか?

    「偶然」という言葉では説明できない何かが、自然や動物に影響を及ぼしているような気さえして来るのだ。

    地球上のすべての生命体は、宇宙空間に発生する微量な歪みやひずみにも左右されるという話を聞いたことがある。

    地震によって放出された電磁波のようなものが、人間の生態に何らかの作用を加えているのだとしたら、今後もこうした予期せぬ大事故が起きるかもしれない。

    震災で日本中の人々の気持ちが一気にネガティブ思考へと傾いている今日、物事をマイナス方向へしか考えられない癖が国内にまん延し始めているともいわれる。

    この重苦しい閉塞感を早く払拭することが、事件や事故、災害の連鎖を断ち切ることにもつながるのかもしれない----と、そんな風に感じた。

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***  写真は、湯田中温泉の「世界平和観音」近くにある「延命煙草地蔵」。禁煙祈願に訪れる人も多い。


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地震ごっこ [日々の雑感 16]


[TV]地震ごっこ



    被災地の幼児の間で、今、「地震ごっこ」なる遊びが流行っているという。

    ようやく、子供たちの受け入れが可能となったある保育園では、3、4歳の子供たちが園庭の滑り台などで遊んでいる時、突然、その中の一人の園児が叫び出した。

    「地震です!地震です!津波が来ます!皆さん、早く逃げて下さい!」

    この声を合図に、他の園児たちが一斉に滑り台の下や、物陰に逃げ込む。

    中には、そばにいた保育士の女性の胸に飛び込んで、抱っこをせがむ子供もいる。

    もちろん、保育士は、そういう子供をしっかりと抱きしめて、

    「怖くないよ。先生がいるからね」

    と、なだめるのだ。

    こんな遊びが、日に何度も行なわれるそうだが、これは、子供たち自身が心の中の恐怖の記憶を無理やり呼び覚ますことで、うっ屈した気持ちを発散しているのだということであった。

    こうした怖い経験を「〇〇ごっこ」として遊びに組み込むということは、子供たちにとってはごく自然な発想で、阪神淡路大震災など、大きな災害に直面した子供たちの間にはよく見られた現象だそうである。

    そして、子供たちがこうした遊びを始めた時、もっとも大切なことは、必ず大人が近くにいて、その子供たちの気持ちをフォローしてやることなのだそうだ。

    先ほどの保育士のように、子供を抱きしめてやることで、「地震が来ても津波が来ても、先生が自分を守ってくれる」という安心感を与えることが出来るのである。

    この安心感が、幼い子供たちにはとても大事なことなのだそうだ。

    災害に遭った経験がない子供でも、頭の中でわざと洪水が起きたような怖いことを想像して、「でも、自分は机の上に乗っているから大丈夫」と、いうような感覚を得ることで、安心するのである。

    もしも、子供たちがこんな「〇〇ごっこ」を始めたら、大人はしっかりと彼らの恐怖を取り除くような対処をして欲しい。

    それにより、子供たちの中のトラウマは少しずつでも軽減されて行くのだということである。


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