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サプリメントを過信しない [日々の雑感 10]


サプリメントを過信しない


    わたしは、自分の身体がどんどんおかしくなっているのに、医者にもかからず、健康食品の「シモン芋」なる物が身体に良いと聞いて、通信販売取り寄せ、二年にも渡って飲み続けていました。

    特別、害になるというようなことはなかったのですが、まさか、原因が別のところにあるなんて、夢にも思わなかったので、この健康食品に、何と、二十万円近くも使ってしまいました。orz

    薬剤師さんにその話をすると、「皆さん、病院に来る前は、そうやっていろんな民間療法を試してみるんだけれど、結局、駄目で、やって来ることになるんだよね」と、笑いました。

    その薬剤師さん曰く、「グルコサミンとか、コンドロイチンとかも、関節にいいといわれて、皆さん、試すんだけれど、あれだって、ほとんどは、お腹の中を素通りなんだよね。だって、あれが効くなら、整形外科へ来る患者さんなんていないでしょ?」

    なのだそうです。

    うわァ~、実は、わたし、グルコサミンやコンドロイチンも、結構飲んだんですよね。

    それも、ほとんど意味がなかったなんて-----。ショックです!

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「TVタックル」より、商店街の怒り [日々の雑感 10]


[ちっ(怒った顔)]「TVタックル」より、商店街の怒り



    久しぶりに『TVタックル』を観た。

    昨夜は、スペシャル版だったようで、政治家やジャーナリスト、実業家たちゲスト以外にも、50人の一般市民がスタジオに集まり、いつも以上に白熱した激論を展開した。

    タクシー運転手、農業関係者、建設業関係者、ギャルママ、銀座のクラブのママ、商店経営者、主婦、サラリーマンなど、さまざまな人たちが参加しての本音トークは、なかなか見ごたえがあったが、中でも、商店街の苦境を訴えた商店主たちの発言に対しては、「なるぼど」と、思えるような内容の濃い議論が交わされ、興味深く拝聴した。

    全国の商店街が今や大手のチェーン店によって侵食され、商店街の体をなしていないというのである。

    また、郊外に大きなショッピングセンターが出来たために、客足がそちらへ奪われ、商店街はシャッター通りと化して久しいという。

    大手のチェーン店は、商店街の中の空き店舗に入り、昔から培ってきたその商店街のルールに従わず、本部の意向だけを聞いているために、統一性が損なわれ、ますます客離れを加速させているというのである。

    スタジオに参加した商店主たちが怒るのは、商店街は「線」として店が連なることで意味があるのだが、チェーン店は、その「線」を補ってくれず、商店街にいながら、自分だけが良ければいいという「点」の商売しかしないということであるらしい。

    大売り出しやクリスマスの飾りつけにも「うちは、そういう経営方針は取っていませんから----」と、非協力的だというのだ。

    「何かといえば、『本部に訊いてみます』では、時間も手間もかかって物事が先に進まない。店長に決定権を一任して欲しい」と、商店主たちは訴える。が、ゲストで出演していたい大手チェーンの経営者は、「店長には商店街に協力するように言うが、店長が本部の意向を無視して独断で物事を決めていたのでは、企業体制が維持できない」と、話す。

    商店主たちは、それに対して「わたしたちには、百年も前から地域のお客様たちとともに築き上げてきた商売の方法や信頼関係がある。時代が変わったからといって、それをなし崩しにされてはたまらない」と、いう趣旨のことを反論した。

    ところが、これにやんわりと異議を唱えたのが、ギャルママである。

    「わたしは、商店街よりもやっぱりスーパーを利用したい。だって、時間がないから・・・。商店街で買い物をすると、子供を連れながらたくさん袋をさげて歩かなければならず、本当に大変。お店の中も狭いし、カートがないので不便。近くに駐車場もない」

    さらに、一人の主婦は、「わたしもスーパーへ行く。だって、スーパーは、買った物を家まで届けてくれるけれど、個人商店はそれをしてくれない。一度に色々な物がそろうスーパーの方が便利」

    しかし、これに対して、「わたしは、子供の教育のためにも商店街へ買い物に行くことにしている。お魚とはどういうものかとか、野菜は・・・などを身近な食材として教えるためにも、スーパーよりはよい」と、いう若い主婦もいた。

    こういう議論を聞いていて、思ったことは、「現代は、やることが多くて忙しすぎる」と、いうことである。

    タレントの一人が話していたが、商店街は時間的にも気持ち的にも余裕がある時に行くところで、普段は、スーパーで買い物を済ませるしかないというところが、客の本音なのだろう。

    ギャルママも話していたが、一週間分の食材を買いだめするには、商店街では無理というものなのだ。

    もはや、毎日買い物をするという時代ではなく、時間に追われる主婦たちは、一ヶ所で、しかも短時間で安価にすべての買い物ができるスーパーなどに頼るしかないというのが現状なのだと思う。

    商店街も、農家も、建設業も、これまでのやり方がそのまま通用する時代ではなくなっているのだということを、本当の意味で自覚する必要に迫られているのかもしれない。

    「自分の努力が足りないことを、政治のせいにするな!!」

    と、怒鳴ったジャーナリストもいたが、しかし、それでも、これまで良かれと思って積み上げてきたやり方が、根こそぎひっくり返されるのは、我慢がならないという気持ちも充分判る。

    政治とは、世の中のシステムを変えることではなく、人の気持ちを転換させること-----。

    しかし、これが、最も大切で、なおかつ厄介なことなのだと感じた番組であった。

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あわわわわ・・・・ [日々の雑感 10]


あわわわわ・・・・[がく~(落胆した顔)]


    かなり前のことですが、わたしが通っていた英会話スクールの同じクラスに、いつも、物凄く豪華なアクセサリーを付けて来る、五十代の女性がいました。

    その彼女は、子供たちに一流大学を卒業させ、一流企業へ就職させたことが大の自慢で、英会話を習うことよりも、宝石を見せびらかすことの方が目的で、通って来ているようにすら思えました。

    そんなある日、彼女は、胸にニューヨークで買ったという、二十万円もするゴージャスなブローチを付けて来たのです。驚いたわたしたちが、口々に、素晴らしいを連発すると、その彼女、得意満面で、

    「素敵でしょ?わたしの主人、公務員なんだけど、これもある企業の方が招待してくれた接待旅行で行った先で買って頂いたのよ。だから、わたし、一度も自分のお金で、物を買ったことなんてないくらい。これも、主人に人望があるからなのよね~」

    わたしたち、同じ教室の生徒は、途端、息を飲んで固まりました。

    やがて、生徒の一人である三十代の女性が、

    「もしかして、それって、ワイ------」

    「#+*”$!!」(;一д一)
   
    わたしたちは、慌てて、その三十代女性の口を押さえました。

    公務員の妻、恐るべし。何の罪悪感もなく、むしろ、そのことを自慢げに話すなんて、慣れというものは、人間をこうも無感覚に堕落させてしまうものなのかと、唖然とした瞬間でした。

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恋愛は気持ちを充実させる? [日々の雑感 10]


[揺れるハート]恋愛は気持ちを充実させる?



    あなたには、今、好きな人がいますか?

    それは、特に両想いとか片思いに限らず、好きな人がいる、ちょっと気になる人がいるというだけで、人間の気持ちは恋愛感情以外のものごとに対しても安定して来るのだそうです。

    もちろん、恋愛にはやきもき感が付き物です。

    「あの人、わたしのことをどう思っているのかしら?」

    「彼女、おれ以外に好きな男でもいるのかな?」

    そんな不安感や疑心暗鬼は、確かに気持ち的にプレッシャーにはなりますが、ストレスという意味においては、あまり影響があるものではないとのことで、恋愛をしていて「胸がキュンとする」という人はいても、「胃がキリキリ痛む」と、いう人はあまりいないのではないでしょうか?

    この人を好きになるという感情は、相手と自分とを同一視するという意味もあり、仕事に意欲を持たせることも出来るのだと言います。

    「あの人も頑張っているのだから、自分も一生懸命やろう!」

    こう思うことで、生活にも張り合いが生まれ、心身ともに活性化するのだとか-----。

    もちろん、快感を誘発する脳内ホルモンが分泌することで、気分も高揚し、何でもできるような錯覚に陥ることさえあるほどです。

    時には、痛みさえ忘れることもあるのです。

    「恋は盲目」とはよく言ったもので、好きな人のことばかりを考えていると、周囲で何が起きているのかなどどうでもよくなるのです。そういう意味においては、自分の中の気持ちは実に充実したものになります。

    その「盲目」ゆえに、これまで周囲が見え過ぎて手に付かなかったことも、一気に片付けられてしまったという便利なことさえ起きるのです。

    最近、仕事が手に付かない、生活が楽しくない、病気ばかりしているなどという人は、案外、「恋愛」がよい薬になることも・・・・。

    この間、ある人との世間話でこんなことがありました。

    「『気分が落ち込んで仕方がないんです』という患者に対して、『恋』と、処方箋に書き込む医師が現れるかもね」

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結婚の不思議 [日々の雑感 10]


結婚の不思議[黒ハート]


    わたしは、独身だから、こういうことも無責任に言える。

    結婚とは、何も大好きな者同士がカップルになることではないと----。

    ほとんどが、妥協の産物なのだ。(らしい)

    つまり、民主党の代表選挙のようなもので、「これという人がいないから、悪くなければいいよ」的な発想でほとんどのカップルがゴールインしているのだ。(らしい)

    何故なら、結婚ホヤホヤの男性に訊けば、「本当はものすごく好きな人がいたんだけれど、その女性とは一緒になれないので、今の妻で妥協した。別に、今の妻を嫌いなわけじゃないからね」

    こんな答えが返って来ることが多いのも事実なのだ。

    だから、その反動が大きいと男性は浮気をする。

    だって、本当に好きな人は、別にいるんだから。

    でも、妻も嫌いではない。健康子供も産んでくれたし、舅や姑、小姑とだってうまくやってくれている実に申し分のない女性なのだ。

    要するに、いてくれれば何かと助かるし、両親の老後の面倒もみてくれる。それに、子孫を残すためのパートナーとしては最適なのだから、結婚した訳だ。

    でも、心からのめり込むほどに好きなわけではない。

    子供まで作って、何と言う言い草か----と、女性なら誰しも思うものだが、しかし、男性の気持ちなどは、度合いの多い少ないはあっても、大抵がそんなものなのだ。(らしい)

    妻とは、使い勝手のいい共同生活者にすぎないのである。

    また、妻の方も、「もうこの男はわたしの物なんだから、何処へも行きはしないわ」という優越感があるので、ある程度の夫の自由行動にも目をつむることが出来るのだ。

    しかし、最近の若い妻たちは、その辛抱が出来なくなりつつあるようで、夫に浮気の兆候などなくても、いつも一緒にいてくれないと言うだけで、「わたしは、あなたの何なのよ!」と、ブチ切れ、離婚するというケースが急増中だという。

    「亭主、元気で留守が良い」というフレーズが流行った時代とは、実に様変わりしているといえる。

    だんだん、日本人の独占欲もかつての欧米人並みになって来たのかもしれない。

    まあ、いずれにせよ、夫も妻も双方が単なる共同生活者としての自覚を持っていれば、結婚も長続きするのだろうけれど・・・・ね。

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ほのぼの会話 [日々の雑感 10]


[るんるん]ほのぼの会話


    
    病院待合室にいた時、すぐ近くの椅子へ真っ白な髪の小柄なおばあさんが腰をおろした。

    おばあさんの前にはシルバーカーがあり、そのそばに50代の女性が一人立っていた。

    「ちょっと、ここにいてね。ここから動かないでね」

    女性は、おばあさんにそう言い残して、何処かへ去って行ってしまった。おばあさんは、ほんの一分ほど一人でそこに座っていたが、すぐに不安になったようで、いなくなった女性を大きな声で呼び始めた。

    「お~~い、お~~い」

    そうこうするうちに、おばあさんは、付き添い女性と同じくらいの年頃の女の人がちょうど目の前を通ると、いきなり立ち上がり、シルバーカーを押してその女の人のあとを追おうとしたのである。

    それを見た一人の高齢男性が、おばあさんに声をかけた。

    「その人は、違うんじゃないのかい?ついて行っちゃだめだよ」

    「はあ?」

    おばあさんは、高齢男性の方へ顔を向け、不思議そうな眼をすると、「おめさん、誰だい?」と、訊く。

    高齢男性は、おばあさんの座っていた隣の椅子へ腰をかけ、「おめも座れや」と、言うと、おばあさんを腰かけさせた。

    「だめだよ、知らない人について行っちゃァ。一緒に来てくれたのは、別の人だろ?」

    男性が注意をすると、おばあさんはニコニコしながら、「そうかい?近頃は、おら、みんな忘れちゃってな。人の顔も、会ったことも何も覚えてねェんだ」と、照れくさそうに言った。

    「おれだってそうだ。みんな、忘れちまう。さっきの女の人は嫁さんか?」

    男性が訊くと、おばあさんは、そうだと答え、「嫁の顔も、忘れちまうな」と、声をあげて笑った。男性は、おばあさんに歳を訊ねる。おばあさんは、「八十二・・・・だな」と、あまり自信なさげに首と傾げると、「おめさんは?」と、訊き返した。

    「おれか?----おれは、大正十二年生まれだ。八十八か・・・・」

    「そうかい。おれより、相当上だんな。若ェな・・・・」

    「何せってんだ、おめの方が若いわ。顔の色つやもいいしさ」

    「歳は若くたって、頭ん中は、へえ、もうろくしてらさ」

    そんな会話を交わしている二人の所へ、先ほどの付き添い女性が戻ってきた。知り合いでもない高齢男性と親しそうに話をしている義母に驚いた様子で、

    「義母(はは)の相手をして下さって、ありがとうございます。ご迷惑おかけしました」

    と、心から恐縮すると、高齢男性は、久しぶりに家族以外の女の人と話をさせてもらって、自分の方こそありがとうとお礼を言い、彼もまた一緒に来ていた嫁とおぼしき女性と共に、病院から去って行った。

    わたしは、この二人の老人の屈託ない会話を聞きながら、つい笑いがこみあげて来て慌てて手で口元を隠した。

    こんな風に老いや認知症を楽しめれば人は幸せなんだろうな----と、思うとともに、どんなに年をとっても男女の会話は気持ちを活性化させるものなのだなとも、改めて気付いたのだった。

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年賀状は辛い [日々の雑感 10]


[郵便局]年賀状は辛い




    お正月に年賀状を頂くのは、とても楽しみですよね。

    毎年送って来ていた人の年賀状が、その年に限って届かないと、何かあったのかと心配になったりもします。

    年賀状とは、単なる年始のご挨拶ではなく、遠くに離れている知人、友人同士の安否確認の役目も果たしている、日本独特の細やかな配慮がなせる文化なのではないでしょうか。

    殊に、高齢者の多くは、この年賀状を心待ちにしている人が多いと言います。

    元旦に静かな気持ちでゆっくりと目を通す年賀状の一枚一枚を、楽しみにしているお年寄りも大勢いることでしょう。

    しかし、最近は、パソコンなどの普及も手伝って、直筆の年賀状が少なくなって寂しいという声も聞きます。お年寄りに限らず、やはり年賀状には差出人の筆で一筆言葉を添えるのが礼儀ではないでしょうか。

    それだけで、気持ちが温かくなるというものです。

    とはいえ、年賀状を頂くことが楽しみだというお年寄りたちも、自分が書くのは辛いとこぼします。

    何故なら、お年寄りは、視力が弱くなったり、体力がないために自分が出す年賀状を書くことが想像以上に大変な作業となってしまうからです。辞書を引く手間も煩わしいものですから、毎年、年賀状を書く時季になると、おっくうでたまらないという話も聞きます。

    先方から頂けば、こちらも書かなくてはならない訳で、もしも、もう年賀状を書きたくないのなら頂いても出さなければいい話なのですが、それでは、あまりに不義理過ぎると思うのなら、こんな手もあると、某冊子では教えていました。

    「これまで毎年ご丁寧な年賀状を頂き、ありがとうございました。わたしは、今年を限りに年賀状を卒業したいと思います」

    との一文を添えて、最後の年賀状を出したら良いということでした。

    そうなれば、その年賀状を受け取った相手の人も、必然的に翌年からは年賀状を送っては来なくなります。

    実際に、この一文が書かれたはがきを受け取ったお年寄りは、ものすごくショックだったと話していたそうですから、もちろん、その後は相手に出す気にはならなくなったことでしょう。

    つまり、その一文を書き添えた人のところには、お正月になっても年賀状は届きません。

    自分が書く手間も必要なくなりますが、届けられる年賀状を読むという楽しみも手放さなければならないのです。

    それではやはりつまらないのだそうです。自分は書くのが大変なので出すことは出来ないが、相手からはもらいたい---それがお年寄りたちの本音なのだそうです。

    年始の挨拶も「あけおめ」の一言のメールや携帯電話で済ませてしまう若者たちとは違い、きっちりとした直筆の年賀状を出すのが大人の常識だという思いが強い高齢者にとっては、また、溜息をつくほど大いに悩ましい季節の到来です。

    年賀状----出すべきか、出さざるべきか?

    あなたなら、どうしますか?

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国家主権て、なに? [日々の雑感 10]


国家主権て、なに?(@_@)



    わたしは、「国家主権」という言葉を、国民に対する日本政府の責任のことだと思っていましたが、それだけではなく、日本の国土に対しても、日本国は責任を持たなくてはならないのだということまでは、知りませんでした。

    いいえ、薄々は知ってはいましたが、それが、それほど大きな意味があるものとは、正直、考えたことがなかったのです。

    日本政府は、かつて、アフガニスタンで人質になった日本人の解放に尽力しましたが、それは、日本国の国籍を持つ者に対する責任があるからそうしたのであり、これも、間違いのない主権の侵害ですから、当然の行動であったといえるのです。

    しかし、それ以上に、重い「国家主権」の侵害が、北朝鮮による日本国民の拉致問題なのです。その理由は、拉致された人たちは、日本国内で、誘拐されていたからなのです。つまり、自ら危険と判っている外国で、日本人が誘拐されたことよりも、安全なはずの国内で拉致されたということに、大きな意味があるのだといいます。

    しかし、日本政府は、この重大な「国家主権侵害」を、これまで、ずっと黙殺して来ていたのです。北朝鮮が、日本国の中にまで入り込んで来て、人権侵害を犯したということは、たとえそれが一部の過激工作員の仕業だとしても、間違いなく日本政府への挑発であり、日本国民への挑戦なのです。

    つまり、日本国民は、果たし状を突き付けられたも同然なのです。

    1967年、ドイツは、この拉致問題と同様のことを国内でされ、日本とは明らかに異なる強硬な態度で臨んだという経緯があります。西ドイツに留学していた韓国人留学生や教授が、北朝鮮とつながっているのではないかと考えた、当時の韓国の朴軍事政権は、この留学中の十七人を、不法連行により強制的に帰国させたのです。

    しかし、この行為に対し、「国家主権」を侵された当時の西ドイツは、決して黙ってはいませんでした。韓国に対して、国交断絶の脅しをかけ、韓国人留学生の原状回復交渉を断行し、韓国人全員を再び西ドイツ国内へと取りかえしたのでした。

    西ドイツは、自国民でもない韓国人留学生たちを、何故、そこまでして取り返す必要があったのでしょうか。それは、ひとえに、韓国軍事政府によって、西ドイツ国内にいる者たちを拉致されたという理由につきます。西ドイツの中にいるもの、あるものは、すべて、西ドイツのものなのです。たとえ、外国の真の所有者がそれを取り返そうと乗り込んで来ても、そこでは、所有者が泥棒になるということなのです。

    そのようなことがある一方で、日本は、国の中へ誘拐犯が入って来て国民をさらって行っているのに、知らん顔を決め込んで来た訳です。これが、「主権国家」といえるのでしょうか?

    盗まれたものは、何が何でも奪い返す。それが、真の「国家主権」を持つ一国家のあるべき姿ではないでしょうか。


    
    今回は、やや硬めのお話でしたね。最後まで読まれたあなたは、偉い!!

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人は、いつかは変わるもの [日々の雑感 10]


人は、いつかは変わるもの


 
    近頃、書店へ行くと、人生論関係の啓蒙書とでもいうような書籍がやたらに多いことが判る。

    「こうすれば、成功する」とか、「こんな風に人と接することで、運が開ける」などなど。また、そういう所謂変心願望を持つ人々をターゲットにした「セミナー」なども、あちらこちらで開催され、これが、驚くほど多くの受講生を集めているというのであるから、世の中にはどれほど自分に自信のない人々がいるのだろうかと、ある意味、愕然とするばかりである。

    しかし、そういう変心願望の強い人たちを変えようという講師の人たちは、自分の中で何か戸惑いや、躊躇いを感じないのであろうか?人間一人の性格や考え方を変えるための指導をするということは、かつては、僧侶や神父など宗教関係者と、精神科などの医師にのみ限られていた特別な仕事であったはずなのだ。

    それを、今や、素人に毛がはえたような人たちまでもが、平然と講義をする訳で、その人たちが説くことが本当に間違いのないことだと断言できるのであろうか?

    わたしは、一応、教員の資格も、華道教授の資格も持ってはいるが、それでも人さまに教えようなどと簡単には踏ん切りがつかないものである。ましてや、人間の本質である人格形成にかかわろうともいう仕事である。まともな神経の持ち主なら、二の足を踏んで当然のことではないだろうか?

    わたしなら、そのようなことは、正直、恐ろしくて出来そうにない。

    一方、受講する人々の側から見ると、そういう講師からは、出来得る限り具体的な方法を聞き出したいという気持ちなのであろう。たとえば、毎日一度は深呼吸をしなさいとか、天井の高い家に住むと出世するとか、他力本願もここまで来れば、自分という存在を放棄しているも同じである。

    そういう不安定な気持ちの人間にうまくつけ込む形で、「わたしは、何処そこで修行し、ありがたい先生のお話をたくさん聞いて来た人間ですから、わたしのいうことに間違いはない」などと、説得されたら、もはやそれは、一時流行ったマインドコントロールそのものではないのだろうか?それこそ、結婚詐欺ならぬ、精神詐欺である。高額のお布施などは搾取しないにしても、やっていることは、悪徳新興宗教と何ら変わりはないように思う。

    とはいえ、そういうところで、ありがたいお話を聞き、勉強したとしても、一朝一夕に人間の本質などというものは変わる訳がないのである。出世の仕方とか、前向き人間になる方法とか、様々な自己開発に関わる啓蒙書を乱読することも結構だが、人間は、時間を経れば自分の容姿や、周囲の環境、体調も、おのずと変わる訳で、それに必然的に心身も合わせざるを得なくなるため、変化しない訳には行かなくなるのが常識なのである。

    焦ったところで、意味はないのだ。強引に変えたつもりのものは、必ず時間の経過とともに無理が生じ、先祖がえりするものである。そう考えれば、自分を変える早道は、やはり、時の流れにまかせ、何もしないことに尽きるのではないかと思うのである。

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「わ」----が常識? [日々の雑感 10]


「わ」----が常識?


    信濃毎日新聞の投稿欄に「ネット上で『私わ』と書く人が増えていて、とても不愉快だ」という高校生の文章が掲載されていた。

    その文章には、

    <(前文略)今の日本は時と場合さえ崩れているように感じる。先日、私はネット上で信じられない質問を見かけた。「『私わ』って書くのを注意するのって何でですか?最近わこう書く方が多いんだから別にいいぢゃん。今の日本語わこれが常識なんです」----しかし、使っている人が多いことが常識とは限らない。そう思いながら続きを見ていた私は再び驚いた。その質問に対する回答の中に、少数だが『私わ=常識』を支持する人がいたのだ>

    とあり、この高校生は、これで本当にいいのだろうか?と、日本語の将来を危ぶんでいた。

    そういえば、わたしもネット上の書き込みの中に、近頃、この「私わ」をよく目にする。

    「私ゎ」と書いている若者もいる。

    いや、それよりもずっと前から気になっていたのだが、「こんにちわ」という表記をする大人もかなり多いのだ。

    確かに、発音は「konnitiwa」なのだから、これでいいのだということなのかもしれないが、何故、人との挨拶にこの「こんにちは」を使わなくてはならないのかということを考えてみれば、この「わ」がおかしいことに気付くであろう。

    そもそも、「こんにちは」という言葉は単独で使用されるものではなく、「今日は、如何お過ごしでしょうか?」を縮めたものなのである。

    電話をかける際の「もしもし」だって、最初は「申す」「申す」と言っていたのだ。

    文字の書き方には、必ずそれ相応の理由がある訳で、感性や流行だけで決めてよいものではないと思う。

    ましてや、周囲がそうだから自分も----などといういい加減な使い方が許されていいはずもないのだ。

    もしも、この「私わ」を常識だと思う人が実際にいるのなら、この表記を入学試験や就職試験でやってみるといい。まず、間違いなく不合格であろう。

    進学や就職など自分には関係ないという人も、社会的に「幼稚」のレッテルを貼られるだけである。

    その度胸があるのなら、「私わ=常識」と言い続けたまえ。

    如何に今日のネット社会といえども、許される非常識と許されない非常識があることを忘れるべきではないのだ。

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