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雪の夜の足音 [不思議な話 2]


雪の夜の足音



    長野県のある村に住む若者たちは、一月も半ばとなったある日の午後、少し遅めの新年会を行なうため、村内にある唯一の洋食レストランに集まっていた。

    にぎやかな会食の宴もやがてお開きになり、仲間が三々五々そのレストランをあとにして、家路についたのちも、そのレストランのオーナーと親友である一人の青年は、カウンター席に腰をかけ、ビールを飲みながら、そのオーナーと世間話の続きをしていた。

    戸外は、夕方から降り始めた雪が本降りとなり、既にかなり積もっている。

    カウンターの奥に立つオーナーは、そんな窓の外へ目をやると、しんしんと大雪が降り続く様子を眺めながら、青年に話しかけた。

    「お前、この降りじゃ、家までの道は大変だぞ。今夜は、ここへ泊ってい行けよ」

    だが、青年は、遠慮して首を振り、

    「大丈夫だよ。この程度の雪なら歩いて帰れるさ」

    と、半ば酔ってろれつが危うい口調で答える。すると、オーナーは、何故かやけに神妙な顔つきになると、

    「こういう雪の夜は、あいつが出るかもしれないからな・・・・」

    「あいつ・・・・?」
    
    「ああ、お前も聞いたことぐらいあるだろう?足音の話--」

    オーナーに言われて、青年も思い出した。大雪の夜には、何処からともなく足音が聞こえてきて、それに追いつかれたら、命をとられるという、この村に昔から伝わる冬の怪談があることを-----。

    しかし、青年は、この二十一世紀に、そんな迷信を真面目に受け取る人間などいないよと、笑い飛ばし、午後十一時を過ぎた頃、一人で自宅への帰路についたのだった。 


    
    その頃、雪は、ますます激しくなり、積雪は青年の履く長靴くるぶしのあたりを優に越えていた。

    青年は、ニット帽の上からジャンパーのフードをすっぽりと被り、肩をすぼめるような体勢で、深夜の村道を急ぐ。この時刻、既に、辺りに人影はなく、自動車一台通り過ぎようとはしない。

    所々にボツンと立つ街路灯のわずかな灯りだけが、激しい雪の中でにじむように、狭い村道をささやかに照らし出していた。

    青年の耳に聞こえるのは、自身が踏みしめる雪のきしむ音だけである。

    ザクッ、ザクッ、ザクッ・・・・・。

    ところが、そのうちに、その音に、もう一つの足音らしきものがかぶさるように聞こえて来たのであった。

    ザクッ、ザクッ、、ザクッ・・・・。ザクッ、ザクッ、ザクッ・・・・。

    「・・・・・・?」

    青年は、この奇妙な音に驚き、思わず音のする背後を振り返った。しかし、そこには、誰の姿もない。真っ暗な村道には、青年が歩いて来た長靴の足跡のほかは、何も見えない。

    そこで、彼は、気を取り直して、また歩き出した。すると、やはり、背後から雪を踏みしめながら人が歩いてくる音がする。

    ザクッ、ザクッ、ザクッ・・・・・。

    それも、足音は、先ほどよりも明らかに近付いて来ているのだ。

    青年は、気味が悪くなった。

    「まさか、これは、さっきレストランのオーナーが話していた足音ではないか・・・・?」

    そう考えると、急に恐ろしくなった青年は、なおも足取りを速めた。走るような勢いで雪道を行くうちに、いつしか、その足音は聞こえなくなっていた。

    青年は、ようやく胸をなでおろし、息を弾ませてその場に立ち止まった。

    「もう、大丈夫だな・・・・。何の音も聞こえない。きっと、あれは、おれの空耳だったんだろう。オーナーが、あんな話をするから、そんな足音が聞こえるような気がしただけなんだ・・・・。まったく、参ったぜ・・・・」

    青年が、そう呟いて、再び歩き出そうとした時だった。突然、彼の耳元で、低い男の声がした。

    「追いついたぞォ----!」

    


    翌朝、村道に降り積もった雪の中にのめり込むような体勢で、息絶えた青年が倒れていた。

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スキー・ホテルの怪(後) [不思議な話 2]


スキーホテルの怪(後)



    その真夜中のこと、光二は、不思議な胸苦しさを覚えて眠りから覚めた。

    室内は、暗く、窓にかかっているカーテンの隙間からうっすらと戸外の雪明かりが差し込み、闇の中にぼんやりと天井を浮かび上がらせているだけである。

    外は、未だに吹雪が舞っているらしく、時折激しい風の音が耳朶(じだ)を打つように聞こえ、窓ガラスにも雪の塊が叩きつけられるような鈍い震動を与えていた。

    その時である。部屋の入口のドアの前の廊下に、ふと人が立つ気配を光二は感じた。ドアの下のほんのわずかな隙間に、一瞬、人影のようなものが動いた気がしたのである。 

    直後、布団の中の光二の身体は、何故か急に固くこわばり、まったく身動きが出来ないような状態になってしまった。

    (金縛り・・・・・!?)

    光二は、驚き、焦った。必死で腕を動かそうとするが、身体が鉛の箱に押し込められているようでビクともしない。

    声を出そうにも、喉が締め付けられるように苦しく、息をするのが精いっぱいで、まったく発声できなかった。

    (いったい、どうなったっていうんだ!?)

    光二は、かろうじて動く両方の目玉だけで不安げに暗闇を眺めまわす。隣の壁際のベッドには、勇平が気持ちよさそうに寝息を立てて眠っている。

    (勇平・・・・、おい、起きてくれよ・・・・・)

    光二は、勇平に助けを求めようとするが、声が出ないことにはどうしようもない。そのうちに、彼は、室内に、黒い塊のような気配が動くのを感じた。入口のドアの前に、何ががいる-----。

    ドアの鍵はちゃんとかけてあるはずだ。なのに、いつの間に入ってきたのだろうか?

    その黒い塊は、ゆっくりと立ち上がると、身長190センチもあろうかと思える大男の姿になった。しかし、その様子はあくまでも黒い影そのもので、その影絵のような姿をした大男は、静かに光二たちのベッドの方へと歩み寄って来る。

    (・・・・・・!!)

    光二は、あまりの恐ろしさに思わず悲鳴をあげそうになったが、やはり、喉からはかすかに息が絞り出されるだけで、絶叫にはならない。男の影は、始めに光二の方へ近付くと、彼の上へ覆いかぶさるように迫って来た。顔も身体も黒く、表情は判らない。しかし、その状態で、光二は直感した。

    (こいつは、夕方、あの吹雪のゲレンデから、こっちを見ていた奴だ------)

    しかし、男は、何もしようとはぜずに、そのまま光二から身体を離すと、今度は、隣に寝ている勇平の方へと近寄り、その黒い身体を彼の上へとのしかからせる。そして、ぐっすりと眠る勇平の顔を覗き込みながら、まるで地の底からでも湧き上がるような背筋も凍る低い声で、こう呟いたのだ。

    「こっちにしよう・・・・・」

    光二は、驚愕した。こいつは、勇平に何かするつもりだ。

    男が勇平の身体にさらに覆いかぶさろうとするのを見た光二は、満身の力を込めて右足を動かし、ベッドの足もとの板を思い切りドンと、蹴り飛ばした。

    途端に、男は動きを止め、ゆっくりと光二の方へと首を巡らした。そして、次の瞬間、男の顔が耳まで裂けるほどの大きく真っ赤な口を開けたのだった。恐ろしくとがった牙のような歯の奥に、血の滴るような舌がうごめいているのが見えた。

    その直後、光二は、バネの如く上半身を飛び起こすと、

    「ウワァーーーー!!」

    大絶叫をほとばしらせたのだった。すると、男の影は、たちまち勇平から離れ、閉まったままのドアの向こうへと吸い込まれるように消えて行ったのだった。

    光二は、身体が自由に動くようになったことで、急いで室内の照明を付けると、勇平の方へ駆け寄り、その肩を摑んで揺する。

    「勇平、大丈夫か!?おい、起きろ!」

    やがて、勇平は、眠い目をこすりながらベッドの上へ半身を起こす。

    「何だよ・・・・?何かあったのか・・・・・?」

    「何かあったか・・・・じゃないよ。今、お前の上に------」

    だが、光二は、そこまで言って口を閉ざした。今の男が何者なのか判らないうちは、めったなことは言わない方が勇平のためだと思い直した。だいいち、光二自身にも今しがたの状況がどういうことなのか、はっきりとは飲み込めていないのだ。

    「勇平、明日は、このホテルじゃなくて別のところへ移らないか?せっかく、スキー場へ来たんだから、他のホテルへも泊ってみようや」

    光二が話をはぐらかすと、勇平は、なんだ、こんな夜中に人を叩き起こしてまでもする話かよ-----と、不機嫌そうに言い、また、布団へ潜り込んでしまった。 

    翌日、二人は、そのホテルをあとにして、別の宿泊施設へと移った。

    しかし、あの黒い影の男の正体は、結局、判らずじまいであった。いや、光二にとっては、もう判りたくもないという心境だという方が正しいだろう。

    吹雪のスキー場に男が一人立っていたら、無防備にその姿を見つめることは、やめた方がいいのかもしれない。影のような大男が、あなたの魂を奪い去りに来るかもしれないのだから・・・・。



おわり


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スキー・ホテルの怪(前) [不思議な話 2]



スキー・ホテルの怪(前)




    長野県北部にあるスキー場の天候は、午後から崩れ、夕方五時を過ぎる頃にはブリザードが吹き荒れるような猛吹雪となった。

    ゲレンデ内のナイター滑走もこの日は早くに中止が決まり、お正月休暇を利用してスキーに訪れていた大学生の光二と勇平の二人の友人同士は、残念に思いながらも、ゲレンデ近くのホテルへ戻り、夕食までの時間を、部屋の中でゆったりと過ごしていた。

    二人の部屋は、二階のツインルームで、ゲレンデが見える窓際のベッドには光二が、壁際のベッドには勇平が寝そべり、それぞれ漫画本を読んだり、テレビを観たりしてくつろいでいた。

    「せっかくここまで来たんだから、もう少し滑りたかったよな」

    光二が漫画から眼をあげて言うと、勇平も、テレビを観ながら、そうだなと、頷く。

    「でも、まだ、あと二日ここに泊まる予定だから、明日は嵐もおさまるだろう。そうなりゃ、オフピステを楽しめるぜ」

    そう光二が何気なく窓ガラス越しに外の吹雪の世界へ目をやると、吹き荒れる大雪の中、ゲレンデにぽつんと一つの人影を見つけた。戸外は、もはや闇に包まれているはずなのに、何故か、その人物のところだけがぼんやりと雪明かりに照らされているように明るんでいる。

    しかも、その人物は、そこから一歩も動くことなく吹雪のただ中に佇んだまま、まるで、こちらを睨み付けているかのように仁王立っているのである。

    光二は、少し薄気味悪さを覚え、勇平を呼んだ。

    「勇平、ちょっと見てみろよ。あの男、さっきからずっとあそこに立ったまま、こっちを見ているんだが、変だと思わないか?」

    光二の言葉に、勇平が渋々ベッドから起き上がり、窓際へ近付くと外の景色に目をやったが、

    「なんだよ、誰もいないじゃないか。こんな嵐の中に人が立っている訳ねェだろう。お前の見間違いだよ。立木かなんかを人と思ったんじゃないの?」

    そう言って、面倒くさそうにまた自分のベッドへと戻った。光二も再び目を凝らしたが、やはり勇平の言うように、そこには誰の姿も見えなかった。

    「変だなァ・・・・。確かに見たと思ったんだが・・・・?」

    光二は、首を傾げる。やがて、時刻は午後六時を回り、夕食の時間となったため、二人は、階下の食堂へと降りて行った。

    夕食は、バイキング形式で、他の宿泊客たちも大勢集まり、かなりにぎわっていた。光二と勇平も思い切り好物を皿に盛り付けると、腹いっぱいになるまで、肉料理やデザートを堪能したのだった。

    「あ~、おれ、もう食えねェ!腹がパンパンだよ」

    部屋へ戻ると勇平はそのままベッドへ倒れ込む。光二は、窓にカーテンを引くと、

    「おれ、これから風呂へ入ってくるけど、お前どうする?」

    勇平に訊ねる。勇平は、自分はいいから、光二だけで入ってこいと応えるので、光二は、独りでホテルの大浴場へと向かった。

    そして、風呂からあがって部屋へ戻ると、既に、勇平はベッドへ潜り込みぐっすりと眠りこけている。光二も、ドアの鍵をしっかりとかけたのち、自分もベッドへ入り、やがて眠りに落ちて行った。

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赤ちゃんコーナー [不思議な話 2]


赤ちゃんコーナー



    2050年秋、市の保健センターからの呼び出しを受け出かけて行った妻が、嬉々として家へ帰って来た。妻の手には、一冊の手帳が握られていた。

    「あなた、とうとう、わたしたちの家も赤ちゃんを育てていいという許可が下りたわよ!」

    妻は、保健センターから交付された母子手帳を、居間のテーブルの上に置き、興奮気味の早口で言った。わたしも、その母子手帳を感慨深い思いで手に取ると、

    「そうか・・・・。申請を出してから三年たったからな。もう、おれたちの子供は諦めようかと話していたもんな。でも、許可が下りて、本当によかったな」

    今から十年前の2040年に、新政府は、子供を国の認可制のもとで両親が揃っている夫婦にのみ儲ける許可を与えるという新たな制度を打ち出したため、子供が欲しい夫婦は、年に少なくとも30時間の「パパ・ママ講座」を受講する義務があり、夫婦ともに最終試験に合格しなければ子供を持つ権利が与えられないのである。

    わたしたち夫婦も、その講座を受講したのち、「子供養育許可申請」を国に出してから既にリミットの三年が経過していたため、申請の権利が失効する間際の申請受理であった。

    「ねえ、ところで、赤ちゃんの名前考えておいてくれた?」

    妻は、もう子供が家にいるようなはしゃぎぶりで、わたしに訊ねるので、わたしも、これまでに考えておいた赤ん坊の名前を話した。

    「そうだな。おれたちは、クルージング中の船内の海上パーティーで知り合ったんだから、男の子なら『海斗(かいと)』女の子なら『真帆(まほ)』というのはどうかと思うんだが------」

    「素敵!どちらもいい名前ね。『海斗』に『真帆』か・・・・。どちらも捨てがたい名前だわ」

    「でも、持つことが出来る子供は一人なんだから、もう一つの名前の方は、次の子のために取っておこうよ」

    わたしも、気持ちが高ぶっていたせいか、早くも次の子供のことまでも口走ってしまった。妻の有頂天ぶりは、わたし以上で、まだ、影も形もない赤ん坊のために、明日、さっそくデパートへ買い物に行こうと言い出した。

    「しかし、気が早すぎやしないか?」

    わたしが諭す言葉も、もはや、妻の耳には届かない。

    「そんなことないわ。もちろん、あなたも一緒に行ってくれるわよね」

    そんな訳で、翌日、わたしたちは、自家用のリニアモーターカーで、この辺りでは高級志向で有名なとあるデパートへ出かけたのだった。

    

    デパートへ入ると、わたしたちは、インフォメーション・カウンターへと直行し、こう訊ねた。

    「すみません。『赤ちゃんコーナー』へ行きたいんですけれど-----?」

    インフォメーション・カウンターの洒落た制服姿の美しい女性案内係は、まるで、人形のように整った表情に微笑みを浮かべ、

    「『ベビー用品コーナー』ですね」

    と、言うので、妻は、慌ててハンドバッグから、昨日保健センターでもらって来た母子手帳を取り出すと、その案内係の女性に示し、

    「いいえ、わたしたち『赤ちゃんコーナー』へ行きたいのよ」

    と、訴えた。途端に、女性の態度が変わり、

    「それは失礼しました。おめでとうございます。ただいま、すぐにそちらの担当者をお呼びしますので-----」

    そう詫びると、すぐさま何処かへ館内電話をつなぎ、やがて、一人の白衣を身に付けた男性従業員が現われると、わたしたちをデパートの五階フロアーへと案内してくれた。

    そのフロアーは、他の階に比べてかなり殺風景な雰囲気で、無機質な壁が冷たく連なる様は、如何にも研究所か病院のようなイメージであった。

    「ここで、滅菌服に着替えて下さい。靴もこちらが用意している物に履き替えて、ビニール・キャップも忘れずに被ってくださいね。それから、母子手帳を拝見してもいいですか?」

    その白衣の男性に言われるままに、妻がもう一度バッグから母子手帳を出して相手に渡すと、彼は、そのページに張り付けてある特殊なシールをこれまた特殊な器械を使ってめくり、何とも、抑揚のない声音で、事務的に言ってよこした。

    「〇〇さまのお子様は、『男』と、記されておりますので、『男の赤ちゃんコーナー』へご案内いたします」

    「わたしたちの赤ちゃん、男の子なの?あなた、『海斗』くんよ!」

    妻は、目をキラキラさせて、わたしの方を振り仰いだ。

    「そうだね。『海斗』だね」

    わたしも、不覚にも自分の声が上擦るのを感じた。赤ん坊は、男の子だったのか-----。大きくなったら、一緒に酒が飲めるな。そうだ、船舶免許も取らせて、一緒に海へクルージングにも行こう-----。一瞬のうちに、色々な将来の夢が頭の中で廻った。

    そして、滅菌服に着替えたわたしと妻は、ついに、その場所へと踏み込んだのだった。

    その場所こそが、このデパート自慢の「赤ちゃんコーナー」であった。いくつもに仕切られた大きな水槽のような液体の入れ物の中に、何人もの胎児が浮かぶような姿で眠っている。どれも、皆、男の赤ちゃんばかりだ。そこで、案内人の白衣の男性が説明をした。

    「ここに並んでいるのが、妊娠にして九ヶ月目の男の赤ちゃんです。どの子も、健康で、障害は一切ありません。お二人の血液型からしますと、A 、B 、O 、AB のいずれの子供も適合ですから、お好きな胎児をお選びいただけますよ。お引き取りは、約一ヶ月後とさせていただきますので、ごゆっくりお選びください」

    その時、妻は、九ヶ月目の胎児のコーナーの横にある十ヶ月目の胎児が入った水槽を見て、ふと、一つの疑問を口にした。

    「あの子たちも、両親が決まっているのですか?」

    すると、白衣の男性は、能面のような無表情のまま、小さく首を横に振ると、

    「いいえ、残念ながら、この子たちは買い手が付かなかったものですから、明日には、廃棄処分にされます」

    「廃棄処分て・・・・?」

    「そういう決まりですから。引き取り手のないこの子たちを人間として育てても、孤児を増やすだけですからね」
 
    案内係の男性は、いまさら、何を訊くのだと、いった口調で、苦笑した。

    わたしたちは、その妊娠にして九ヶ月目の胎児の中から、特に可愛いと思える器量よしの赤ん坊を見つけ、その子に決めたことを伝える。

    「ご予約、ありがとうございました。では、別室で、代金のお支払方法のご確認と諸々の書類の作成など、手続きの一切をお願いいたします」

    案内係の言葉が終るか終らないうちに、わたしたちが選んだ胎児の水槽には、別の従業員の手で、「売約済み」の赤札が貼られたのだった。




    
    いかがでしたでしょうか?今回は、少しばかり、星新一のショートショートタッチに似せて書いてみました。

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ご飯は炊けるかい? [不思議な話 2]


ご飯は炊けるかい?


    皆さんは、夢の中で誰かに話しかけられたりすることはありますか?

    それも、忠告とか、警告とか、そういう類の言葉を聞いたことはありますか?それって、案外、これから起きることを暗示していたりすることがあるんですよね。

    ここに書くことは、我が家のご近所の主婦の体験談なのですが、確かに、不思議な出来事なのです。


    
    そのご近所の主婦は40代で、三人の男のお子さんがいる女性です。息子さんたちは、それぞれ高校、中学、小学校と、食べ盛りなものですから、毎日炊くご飯の量も相当なものなのです。

    しかも、一番上のお兄ちゃんは、高校生なのでお弁当持ちです。それも、部活で剣道をやっているので、とにかくお腹が減りますから、お昼のお弁当だけでは足りないため、お弁当はいつも二つ持って行き、二時間目休みの間にも一食食べてしまうのだそうです。

    そんなこともあり、ご主人のお弁当もあわせて、かなりの量のご飯を炊くことがその主婦の仕事でもあり、夕飯の後片付けののち、必ず、電気炊飯器に翌日の分のお米を用意して、タイマーセットしておくのだそうです。

    ある夏の日の夜、あまりの熱帯夜だったため、その主婦は、いつものように翌日炊くためのお米を炊飯器にセットする時間を、少し遅らせようと思いました。何故なら、あまり早く炊飯器にお米を入れてしまうと、暑さで腐ってしまうような気がしたからなのです。

    そこで主婦は、夜の就寝前に炊飯器をセットしようと考えていたのですが、入浴やらその後のお風呂掃除などをしているうちに、そのことをすっかり忘れて、そのまま布団に入ってしまったのでした。

    そして、その真夜中のこと、主婦の夢の中に、五年前に亡くなった実の母親が現われたのだそうです。その母親は、いつも着ていた白いかっぽう着姿で、主婦の実家の台所の流し台の前に立ち、娘を振り返ってこう言ったのでした。

    「〇〇子、お釜は大丈夫かい?ご飯は炊けるかい?」

    主婦は、どうして母親がこんなことを訊くのか疑問に思いながらも、

    「大丈夫だよ。いつもみたいに、ちゃんとセットしてあるから----」
  
    と、答えたのですが、それでも母親は心配そうに、

    「そうかね?もう一遍、確かめた方がよかないかね?」

    そう言ったところで、主婦は目が覚めたのだそうです。しかし、どうにも、今見た夢が気になって、面倒に思いながらも布団から出て、台所まで行って炊飯器を確かめてみたのですが、なんと、いつものようにお米をといで、セットしておくのを忘れていたことに気が付いたのでした。

    「そうだ!セットしようと思って忘れていた。あのまま、寝てしまったんだ」

    彼女は、慌てて炊飯器を準備すると、ようやく、ほっとして、また床に就いたのだそうです。 

    それにしても、どうして、夢枕に母親が現われて、自分が炊飯器のセットをし忘れていることを教えてくれたのか、本当に不思議な出来事だったと、主婦は話していました。

    彼女の気持ちの中に無意識にセットをし忘れているという思いがあり、それが、母親の声となって聞こえたのかとも思ったそうですが、わたしには、なんだか、そうではないような気がします。

    嫁いだ先で、娘が一生懸命頑張っている姿を、その母親は、たぶん、いつも何処かで見守っていてくれたのではないかと思うのです。そして、ご飯が炊けないと娘が困ることを心配して、つい、声をかけたくなってしまったのではないでしょうか?

    こういう話を聞くにつけても、あの世もこの世も紙一重-----そんな気持ちにさせられるものですね。

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北風小僧の寒太郎 [不思議な話 2]


♫北風小僧の寒太郎☆



北風小僧(きたかぜこぞう)の寒太郎(かんたろう)
今年も町までやってきた
ヒューン ヒューン
ヒュルルンルンルンルン
冬でござんす
ヒュルルルルルルン

北風小僧の寒太郎
口笛(くちぶえ)吹き吹き一人旅(ひとりたび)
ヒューン ヒューン
ヒュルルンルンルンルン
寒(さむ)うござんす
ヒュルルルルルルン

北風小僧の寒太郎
電信柱(でんしんばしら)も泣いている
ヒューン ヒューン
ヒュルルンルンルンルン
雪(ゆき)でござんす
ヒュルルルルルルン




    わたしは、まだ、身体が自由に動く頃、真冬のさなか、雪混じりの北風が吹きなぐる日でも、きっちりと防寒対策をして、何キロもウォーキングをしていた。

    そんな訳で、防寒用の帽子マフラーは、いくつも持っていて、その日の気分に合わせて取り替えては、身につけて歩いていたのである。

    ところが、風が強いと、マフラーは、何度首に巻きなおしても外れてしまったりして、実に煩わしいものであるが、それでも、寒さを防ぐためには巻かないわけにはいかず、しまいには、首の周りにぐるぐる巻きに縛り付けてしまったりもした。

    しかし、そうやってしまうと、せっかくのお気に入りのマフラーにができてしまうため、できれば、あまりきっちりと巻きつけたくはないので、風のない穏やかな日など、中でも一番好きなマフラーをおしゃれに巻いて出かけたりもしたものである。

    そして、そんな日に限って、本当に不思議なことが起きるもので、わたしは、何回もこういう奇妙な現象を体験しているのである。それというのは、風もない日にもかかわらず、首に巻いて背中の方へ垂らしているマフラーが、フワリと、前へ戻ってきてしまい、首から外れてしまうのである。

    誰かの悪戯か?-----と、思い、背後を見るが、誰もいない。気を取り直してマフラーを巻き直し、歩き始めると、しばらくして、また、後ろに垂れたマフラーがフワッと前へ戻ってきてしまうのである。

    最初の頃は、これが気味が悪くて仕方がなかったが、それでも、何度か経験しているうちにだんだん慣れてきた。そして、これは、きっと「北風小僧の寒太郎」の仕業だと思うようになったのである。

    寒太郎が、意味もなく寒い中を一生懸命に歩いているわたしを見て、「変な奴だ」と、からかいにきているに違いない。

    そう思うと、なんだか、冬のウォーキングにも一つ楽しみが増えたように思えた。そして、またいつ寒太郎がやって来るかと、ちょっぴりワクワクしながら歩くのである。

    そして、いつも、そばに彼がいるような気持ちがして、なんとも愉快である。そんな時、そっと、小さくこの歌を口ずさんだりもする。

    あなたが、もしも、木枯らしの吹く街で、誰かがそばにいるような錯覚を覚えたら、それは、北風小僧の寒太郎の悪戯かもしれませんよ。(笑)

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空に消えたヒロイン [不思議な話 2]


[飛行機]空に消えたヒロイン



    皆さんは、アメリア・イアハートという女性をご存じだろうか?

    今から七十二年前、世界一周の冒険飛行中に消息を絶った、アメリカの国民的ヒロインである。そのイアハートが漂着した可能性のある太平洋の島で現地調査を行なうため、遠征隊に参加する資金提供者の募集を開始したとの記事が、つい先日のニュースサイトに掲示されていた。

    イアハートが、同乗者と共に漂着したとみられる島は、遭難海域に近いキリバス領のニクマロロ島で、1940年には、キャンプ跡と、漂流者の遺骨が発見されたほか、2007年には、女性の化粧道具のコンパクト用とみられるガラス片などが見付かっている。このため、イアハートは、搭乗機の着水後に同島へ漂着し、死亡するまで孤島生活を送っていたのではないかとの説が浮上しているのである。





    しかし、ここに、別の説も存在する。

    イアハートは、サイパン島で、当時駐留していた日本軍の捕虜になり、病死、もしくは衰弱死したのではないかという説である。

    アメリア・イアハート・プトナム夫人は、「女リンドバーグ」とも呼ばれ、女性のアマチュアパイロットとしては、アメリカで国民的なヒロインとして、その名を馳せていた。

    しかし、彼女は、その名声に飽き足らず、自力で世界一周飛行成し遂げ、その名を名実ともに我が物にしたいと願ったのである。そして、彼女は、当時最新鋭のロッキード・エレクトラ双発機に、老練な航空士であるフレッド・ヌーナンとコンビを組んで、1937年6月1日、フロリダ州マイアミ飛行場を出発したのであった。

    イアハート機は、予定通りに各国を経由しながら、南大西洋を横断し、ちょうど一ケ月で、三五〇〇〇キロメートルを飛びきって、6月30日に、ニューギニア島のラエに到着。いよいよ最後の、そして最長の南太平洋横断一二〇〇〇キロメートルのコースへと飛び立ったのであった。

    この前代未聞の長距離洋上飛行のために、アメリカ海軍と沿岸警備隊は協力体制を敷き、ホーランド島には、沿岸警備隊のカッター船「イタスカ」号を停泊させ、イアハート機の方向探知機を誘導するための無線局としていた。

    しかし、イアハート機は、ラエ飛行場の滑走路を飛び立ったのち、永遠に姿を消してしまったのである。

    最後の通信で、イアハートはこう伝えて来ている。

    「わたしたちは、確かにイタスカ号の上空にいるはずなのに、イタスカ号が見えない。燃料は、どんどん減って行く。三一〇五キロサイクルの音声で、応答して下さい。・・・・イタスカ号、応答して下さい。陸地が見えない」

    しかし、それきり、イアハート機は、忽然と空に消えてしまったのである。

    「イアハート機、消息を絶つ」の報道は、瞬く間に全世界の注目を集めた。アメリカは、国の威信をかけてイアハート機の大捜索を行なったが、十六日間を経ても結局何の手がかりもつかめず、そして、十八ヶ月後、イアハートとヌーナンは、法律的に死亡したものと確認されたのであった。

    しかし、その後、サイパン島で、奇妙な目撃談がささやかれ始める。第二次大戦中の1944年に、アメリカ軍がサイパン島に進攻した時、海兵隊員が、日本軍が放棄したバラック小屋の中で、イアハートの写真を見付けたというのである。また、1946年には、現地人の娘が、「十年ぐらい前に、男のような格好をして、髪を短く切ったアメリカ人の女性パイロットを見た」と、証言したのである。

    他にも、サイパンでの目撃談はあとを絶たず、漂流していたイアハートとヌーナンは、現地人の漁船に助けられたあと、日本軍に引き渡され、きびしい訊問の末、二人とも衰弱死したという説まで流れたのだった。

    果たして、真相は何処にあるのか?また、どうして、イアハートは、眼下にある筈のイタスカ号を見失うようなことになってしまったのか?疑問は、数限りなくある。

    空には、魔物が住んでいる。------そう言った戦争中の多くのパイロットたちもいる。

    空のヒロイン、アメリア・イアハート消息不明の謎は、未だに、闇の中なのである。

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大魔が時・共同浴場の子供 [不思議な話 2]


大 魔 が 時


    皆さんは、「大魔が時・おおまがとき」という言葉をご存知ですか?「大禍時」または、「逢魔時」とも書く言葉ですが、この言葉が指す時刻は、ちょうど夕方の頃、辺りが薄暗くなりかけ、向こうから歩いて来る人の顔なども判然としにくくなった時間のことを言います。


    つまり、この時刻になると、まだ暗さに目が慣れていなかったり、昼間の暖かさから急に冷え込んで来たりして、事故や病気の引き金になることが多かったため、古来より、魔物が跳梁(ちょうりょう)する時間と恐れられ、このような呼び方がされていたものと思われるのです。


    それ故、不思議な現象に出くわしたという人の話を聞くと、真夜中に次いで、この時刻にそうした経験をした人が多いということも頷けます。


    これは、わたしの父が体験した話なのですが、わたしの家は、家から少し離れたところに少しばかりの家庭菜園を持っていまして、その一角を、駐車場として近所の人たちに借りて頂いています。

    父が、ある夏の日の夕方、その家庭菜園で、野菜の水くれをしていた時のことです。

    ふと気が付くと、背後に六十歳ぐらいの女性が立っていたのだそうです。

    小柄で品のいいその女性は、父が振り向くと、にっこりと笑って、「わたし、すぐそこの家の者なんだけど、今度、娘が免許を取って、自動車を買いたいというので、娘の車をここへ駐車させてもらいたいんだけれど、いいでしょうか?」と、言うので、父が、「ああ、いいけど、どんな自動車だい?」と、訊きますと、紺色の軽自動車だと、答えるので、「じゃァ、正式な手続きをしてもらうから、明日にでも家の方へ来てくれ」と、言って、その日は別れたのだそうです。

    ところが、その女性は、数日しても家に来なかったので、父は、また、菜園で作業をしていた時に、近くを通りかかった近所の人に、その女性のことを訊ねたのですが、その近所の人が言うには、「その女性(ひと)なら、たぶん、〇〇さんの家の奥さんだと思うけど、でも、その奥さんなら、先月病気で亡くなったはずだで。ほんとに、そこの家の者だと言ったのかい?確かに、娘さんは、最近自動車免許を取って、紺色の軽自動車に乗っているけどねェ」と、いう、答えでした。

    父は、その近所の人は、きっと誰か別の女性と間違えているのだと、思ったようですが、でも、その女性と出会った時刻は、正に「大魔が時」------。不思議な、夏の出来事でした。





共同浴場の子供

     
    わたしの家のある地区には、近所の人たちだけが入れる天然温泉の無人の共同浴場があります。そのお風呂の入口にはマグネットタイプの鍵がかかっていて、その鍵を持っていない人は入れない仕組みになっているのですが、時々、その鍵を持っている人から借りて、近所(組みうち)以外の所から入浴しに来る人もいるため、少々問題になっているのです。

    つい最近、その共同浴場で、わたしの知っている近所のある女性が、何とも不可思議な体験をしました。

    時刻は、夜の十一時頃、女性一人で入浴するには、少し遅い時間ではありましたが、真冬の寒さで凍えた身体を温めてから帰宅しようと、その女性は仕事帰りにお風呂へ立ち寄ったのです。

    浴室へ入ると、一度湯船につかった後で、脱衣室と浴室の間の大きなガラス戸を背にして、鏡に向かった位置に立ち膝をつく格好で、洗髪を始めたのですが、しばらくすると、背後に何かの気配を感じて、目の前の鏡を見たのだそうです。

    すると、そこには、緑色の毛糸の帽子をかぶった小さな子供がガラス戸越しにこちらを覗いて、ニコニコ笑っている姿が映っていたので、「ああ、この辺の子供じゃァない子が、来ているな」と、思い、また洗髪を始めたのですが、その子は、まったくこちらへ入って来る様子がありません。不思議に思った彼女が、今度は改めてちゃんと振り返ってみたところ、そこには、誰もいなかったというのです。

    確かに、考えてみれば、そんな時間に親にも連れられずに、外湯へ来るような子供がいる筈がありません。「もう、あんまり怖かったから、急いで上がって来ちゃったわよ」と、その女性は、蒼くなって話していました。その子供は、いったい何だったのでしょうか?単に、彼女の思い違いだったのでしょうか?------実に、不可思議な出来事です。(^_^;)

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ナース・キャップの看護師 [不思議な話 2]


ナースキャップ看護師



    最近の総合病院では、ナース・キャップをかぶった看護師さんて、あまり見かけなくなりましたよね。

    院内感染症が問題視されるようになった頃から、無帽の看護師さんが増えたようにも思えます。

    ある日、そんな病院の外科病棟の個室に、一人の中年の女性患者が入院しました。女性は、仮にA子さんとしましょう。

    どちらかというと人付き合いの苦手なA子さんは、急性虫垂炎での入院でしたが、保険も下りるということで、あえて個室を希望したのでした。

    ご主人に付き添われて病室へ入ったA子さんは、すぐに手術をしてもらい、その日から入院生活を始めました。退院までは、せいぜい六日ほど。他の患者との会話などの煩わしさとは無縁でしたが、何とも、手持ち無沙汰で一日が退屈でしかたがありません。

    日に一度、病室へ顔を見せるご主人が帰ってしまうと、テレビを観ても、音楽を聴いても、時間の経つのが疎ましいほど長く感じるのでした。もともと、読書や絵を描くような趣味も持ち合わせていない彼女にとっての唯一の気晴らしは、時々、血圧測定や検温などに病室を訪れる、女性看護師たちとの束の間のおしゃべりだけだったのです。

    しかし、その看護師たちも、いつまでもおしゃべりの相手をしてくれるわけではありません。仕事が終われば、そそくさと病室を出て行ってしまいます。そして、また、退屈な時間がやって来るのです。

    「こんなことなら、二人部屋とか、四人部屋を頼めばよかったわ」

    そんな贅沢な悩みを呟く彼女の、最もうんざりする時間が、夕食後の夜の長さでした。

    病院の消灯時間は、夜の九時と決められています。シ~ンと静まり返った病棟内で聞こえる物音といえば、夜勤の看護師たちが巡回する際に押すカートの音ぐらいなものです。でも、いつもは宵っ張りのA子さんにとって、夜の九時などは、まだ昼間も同じ時間です。

    「あ~あ、つまらない・・・・」

    溜息をついていると、個室のドアが俄にノックされ、一人の若い女性看護師が入って来ました。その看護師は、他の看護師とは少し印象が違います。着ている白衣も、何処かレトロな感じのするスカート丈の長いもので、しかも、今時珍しいナース・キャップをかぶっていたのです。

    その看護師は、A子さんの横になるベッドの脇まで来て、特別何をするでもなく、ただニコニコ微笑んでいるだけだったので、不思議に思ったA子さんが、「また、検温かしら?」と、訊ねると、その看護師は、いきなりベッドの端に腰をかけ、

    「退屈でしょう?こんな時間に眠れと言われても、困りますよね。少し、おしゃべりでもしましょうか?」

    と、言います。A子さんは、戸惑いながらも、

    「そうね。入院がこんなに時間を持てますものだとは思わなかったわ」
    
    その若い看護師と、会話を始めたのでした。最近生まれたばかりの孫のこと、自宅では、ささやかなオープンガーデンを手掛けていること、好きな俳優の話、最近観たテレビドラマの話題など、A子さんは、時間が経つのも忘れて、その看護師に語りかけたのです。

    看護師は、そんなA子さんの楽しげな様子を、やはり、ニコニコ微笑みながら頷き、聞いていましたが、やがて、

    「ああ、もう時間だわ。行かなくちゃ。また、明日の夜来ますね」

    と、言って、病室を出て行きました。それから、その看護師は、夜になると、必ずA子さんのいる個室を訪れるようになりましたが、一切自分の話はせずに、A子さんの一方的なおしゃべりだけを楽しそうに聞いて、帰って行くのでした。

    そして、A子さんが退院する日が来ました。迎えに来たご主人と共に、荷物を持ち、退院の挨拶をするためナース・ステーションに立ち寄った時、A子さんは、いつも夜のおしゃべりに付き合ってくれた若い女性看護師の話を出し、

    「あの夜勤専門の看護師さんにも、わたしが、お礼を言っていたと、伝えて下さいね」 

    と、言いました。ところが、ナース・ステーションにいる看護師たちは、揃って怪訝な顔で首を傾げます。

    「夜勤専門の看護師って、誰です?」

    「そういえば、名前を聞いていなかったわね。いつも、ナース・キャップをかぶっていた人なんだけれど・・・・」

    A子さんが答えると、それを聞いていた看護師たちは、ますます不思議そうな顔付きになり、

    「この病院に、今時、ナース・キャップをかぶって勤務している看護師なんか一人もいませんよ。それに、夜勤専門なんていう看護師も、この病棟にはいませんけど・・・・」

    と、答えるので、A子さんは、驚いてしまいました。

    「それじゃァ、毎晩、わたしの話を聞いていてくれた彼女は、いったい誰だったのかしら?」

    「お前、夢でも見ていたんじゃないのか?」

    A子さんは、呆れるご主人に促されながら、納得の出来ない思いで、自宅への帰路に就いたのでした。

    A子さんの見た看護師さんは、本当に誰だったのでしょうか?

    その病院では、今夜も、退屈な患者さんの話し相手をしてくれる、ナース・キャップの看護師さんが、個室のドアをノックしているのかもしれません。 

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病院の一室 [不思議な話 2]


病 院 の 一 室



    A君の家は、お祖父さんの代から続く外科病院です。

    A君のお父さんは、他のお医者さんや看護師さんたちと、毎日忙しく仕事をしていたので、A君は、小学校の友達のようにお父さんとキャッチボールなどをして遊んでもらいたくても、いつも、我慢をしていました。

    お母さんが、お父さんの代わりにキャッチボールの相手をしてくれると言いますが、やはり、女のお母さんでは、どうしても物足りません。友達と遊ぶ予定がない日は、学校から帰って来ても、宿題を済ませてしまった後は、退屈で、時々病院の中をブラブラ歩きまわっていました。

    病院の中には、一カ所だけ、あまり人が行かない一角があり、そっちの廊下の端には、昔患者さんを入院させるために使っていたという古い病室がありました。A君は、その古い病室の方へ行ってみたいと思うのですが、お父さんに、そっちへは絶対に行ってはいけないと言われていたので、今まではその言葉を守っていたのですが、ついに、ある日の午後、病院のスタッフやお母さんの目を盗んで、たった一人でそちらの方へ行ってみました。

    「お父さんは、危ない物がたくさんあるから危険だと言っていたけれど、ちっとも危なくなんかないじゃないか・・・・」

    A君がそう呟いた時です。廊下の向こうの病室から、俄に、お年寄りたちの笑い声が聞こえてきました。

    「あれ?誰かいるぞ」

    その病室の中をのぞくと、そこには古いベッドがいくつか並んでいて、四、五人のお年寄りが和気あいあいと楽しげに世間話をしているのです。おじいさんもいれば、おばあさんもいます。すると、お年寄りたちは、A君の姿を見付けると、ニッコリ笑い掛け、

    「坊や、何処の子だい?遠慮しないで入っておいで。お菓子もあるよ。食べないかい?」

    やさしく声をかけて来ました。A君は、嬉しくなって、お年寄りたちの方へ歩み寄ると、彼らは、A君に椅子に掛けるようにいい、面白おかしい話を聞かせてくれて、楽しませてくれるのでした。

    そんなことがあってからというもの、A君は、学校から帰るとランドセル勉強部屋へ置くなり、真っ先にそのお年寄りたちのいる古い病室へと遊びに行くようになったのです。でも、そのことは、お父さんにもお母さんにも内緒です。そこへ行っていることがばれると叱られるのが判っていますから、決して話そうとはしませんでした。

    そして、A君も小学校を卒業し、中学生になると、勉強や部活が忙しくなり、そのお年寄りたちのところへ通うことも次第に少なくなりました。やかて、高校生になると、A君は全寮制の高校へ入り、そこから大学へ進みます。A君もお父さんのあとを継いで医師になると、何年か大学病院や他の病院で勤務したのち、ようやく、実家であるお父さんの病院へ入るため、帰って来たのでした。

    A君も、既に三十歳を超えています。久しぶりに会うお父さん、お母さんと一緒に夕飯を食べながら、A君は、ふっと昔の思い出話を始めました。そして、ようやく、かつてお父さんの言いつけを破って、古い病室へ行ったことを話したのです。しかし、お父さんは、少しも驚きませんでした。A君が、そこへ行っていることは知っていたと言います。

    しかも、A君がそこで誰と話をしていたのかということも知っていたというのです。

    「実は、お父さんも小さい時、あの病室で、お前と同じ経験をしているんだよ。でもな、あそこにいるお年寄りたちは、お父さんの子供の頃に既に亡くなっていたお年寄りたちなんだ。でも、お前も帰って来てくれたことだから、あそこの病室のあるところは、新しく建て直そうと思っている」

    その話を聞いたA君は、病室が壊される前に、もう一度だけ見て来ようとそこまで行ってみました。

    でも、大人になったA君の前に、もう、そのお年寄りたちは、姿を見せてはくれませんでした。

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