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あなたの文章、謙虚ですか? [日々の雑感 7]


あなたの文章、謙虚ですか?


    生活雑誌に『オレンジページ』というものがある。

    ここの編集局のモットーは、「庶民の主婦に出来ないことは掲載しない」と、いうことらしい。

    掃除の方法にしても、便利グッズの紹介にしても、食材の種類にしても、ホテルやレストランの選び方にしても、記事を読んだ専業主婦や女性会社員たちが、「これ、いいわね。明日、買ってこようかしら」「ここのレストラン、すっごくリーズナブルで入りやすそう。行ってみようかな?」と、気軽に思えるようなものを取材して、掲載しているのだという。

    そして、一番の特徴は、表紙にタレントや有名人を決して起用しないということだそうだ。

    とかく、主婦をターゲットにする雑誌は、有名人を表紙に使い、雑誌のグレードアップを図ろうと思うものなのだそうだが、『オレンジページ』は、主役はあくまで一般の主婦であり、カリスマはいらないのだという。

    確かに、タレントが薦める店とか、グッズなどを載せても、普通の家庭の主婦が簡単に手を出せるものではないことが多い。

    かつての日本人は、そんな手の出ないような雲の上の世界を眺めながら、「いいわね~。素敵ね~」と、溜息もので雑誌を読むこともあったが、現在の女性たちは、もっと現実的思考であり、自分に関係ない世界だと思うと、一切見向きもしなくなるのだという。

    つまり、現代女性の考え方には、節約は大切だが、ケチにはなりたくない。しかし、贅沢は敵だとの一貫性が確立しているともいえるのである。

    そのため、雑誌の記事の取り上げ方も、読者の生活水準以上のことは書かず、あくまでも謙虚な内容で、しかも即日実践できる範囲の中で使える物を選ぶのだそうだ。

    それが、また読者に対する細やかな配慮というものなのだと思う。

    テレビの料理番組を観ていても、一流レストランのシェフや料亭の板前が出てきて調理指導する物は、何の役にも立たないという声を聞く。

    思う存分の高級食材を使い、弟子が下ごしらえした物を調理し、鍋や包丁、食器に至るまで幾つも汚しながら料理をするなどということが、実際問題一家の子持ちで薄給の主婦に出来るわけがないのだ。

    「その汚れた鍋、どうせ弟子が洗うんでしょ」「そんなオーブンレンジやフードミキサーが、この家の何処にあるって言うのよ」

    つまり、テレビ番組も雑誌の文章も、そこに一定の謙虚さがなければ反感を買うだけなのだ。

    

    どうですか?あなたの書く文章は、謙虚でしょうか?

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奥ゆかしさは美徳か? [日々の雑感 7]


★ 奥ゆかしさは美徳か?


    「奥ゆかしさは美徳か?」

    先日、知人からこんな質問を受けた。
 
    昭和の時代には確かにそれはあっただろうが、平成の今は、必ずしもそうとは言えないと思うと、わたしは答えた。

    何故なら、奥ゆかしく相手の気持ちをおもんばかって言いたいことも言わずにいれば、今の時代そういう人は尊敬の対象ではなく、下手をしたら愚か者扱いをされてしまう可能性さえあるからだ。

    「言って後悔するなら、言わずに後悔した方が良い」というのは、半世紀も前の教訓で、今は、その全く逆だと思う。

    「言わずに後悔するなら、思い切りしゃべって周りからバカ扱いされても、その方が勝ちだ」と、いうのが現在の風潮だという。

    確かに、最近の人たちの話し方を聞いていると、正に、そのことが実感される。

    皆、一見自らを謙遜するような話し方をしてはいるが、よくよく内容を吟味してみれば、ほとんどが自慢話の類である。話し方は極力滑稽に自分を卑下したようなふりを見せてはいるが、その内実はとんでもなく高慢極まりないものなのだ。

    「あたし、この間、友だちと一緒に〇〇ホテルのレストランで食事をしたのよね。そうしたら、紅茶を頼もうとしていたのに、何故か言葉ではコーヒー下さいって言っていたらしくて、ボーイさんが持って来たコーヒーを見て、一瞬何がどうなったのか判らなくなっちゃったわ。ホント、ドジよね~」

    こんなことを言われて、「へ~、勘違いってあるものなのね」なんて、笑っている場合ではないのだ。これは、こういう言葉の裏には、「どう?わたしたちってお金持ちでしょ。あんたなんか逆立ちしたって入れないホテルでランチして来たんだから。思い切り羨ましがりなさいな」という、鼻持ちならない高慢さがたっぷりと詰まっているのである。

    しかし、そういうことを言う人の話には常に共通している内容があるもので、思い返してみれば、今日は何処そこで食事をした、昨日は何処そこへ泊った、明日はあれを買った、明後日は----などということばかりだと気付くはずなのだ。

    ブログ読者の中にも、わたしがお昼ご飯に2000円も使う人の気がしれないと書いた記事を読みながら、それでも、あえて今日は3000円のコースを頼んだなどと偉ぶり、これ見よがしに吹聴する意地っ張りもいる。

    しかし、人間の日常なんて、普通はそんな特別な話題ばかりがある訳ではないはずで、昨日は夏野菜がたくさん手に入ったからベジタブルカレーを作ったとか、家の掃除をしていたら過ってバケツを階段から落としたとか、旦那とささいなことで喧嘩になったとか、子供が転んで膝をすりむいたとか、そういうほんのくだらないことの繰り返しなのだと思うのである。

    ところが、そういう人は、そんな下々の話題は誰のことかという調子で、これでもかというように自慢話に花を咲かせるのである。

    それも、外面は実に巧みな「奥ゆかしさ」を演じながら---。

    そして、こういうブログを書くと、この記事を読んだ意地っ張りたちは、なおさらムキになり自慢話に輪をかけて吹聴するはずである。

    たぶん、明日は見ものだと思う。

    とうとう、「来月は宇宙ステーションへ行ってランチすることになったわ」ぐらいのことまでも言い出すに違いない。(笑)

    だから、あえて言う。

    今の時代においては、奥ゆかしさが美徳として通用することはないのだ。

    もしも、自慢をしたければ、思いっきり吹聴する方が良い。誰もが大風呂敷を広げる現代では、あなたの自慢話など明日には皆忘れてしまうから----。



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おばさんたちの非常識 [日々の雑感 7]


おばさんたちの非常識


    また、共同浴場の話です。


    わたしの一日は、ほぼ家の中で終始しますから、たった一度の外出が共同浴場での入浴という日もある訳です。しかし、ここへ入れるようになるまでには、約三年ほどかかりました。

    未だに、時間をかけての入浴は出来ませんから、せいぜい入っても10分が限界です。行って、服を脱いで、入浴を終えて、それで約10分。正にカラスの行水です。

    でも、一人で入浴が出来るようになったのですから、わたしにとってみれば奇跡のようなものです。

    そんな、奇跡の入浴も、腹立たしいことがなんと多いことか-----。

    先日も、共同浴場のあの狭い女湯に6人もの人が入っていて、とてもわたしまで入ることは出来ないと諦め、いったん家へ戻ってきました。それから何回か覗きにいき、ようやく入れると判って脱衣所へ入り、服を脱ぎ、浴場へと下りたところ、そこには二人の六十代のおばさんが背中を流し合っていたのです。

    しかも、浴場内中に自分たちの洗面器やらシャンプーの容器やらを置きまくり、他の人が来ても座る場所を与えないようにしているかのようでした。

    自分たち二人だけで、浴場内を独占した状態です。

    わたしは、瞬間、カチンときました。

    「あの、いったい何処へ座ったらいいんでしょうか?」

    わたしが嫌みたっぷりに言うと、背中を洗ってもらっていた方のおばさんが、本当に面倒くさそうに、

    「あたしの洗面器どければいいでしょ」

    そして、新しいお湯の出口にあてがわれている自分の洗面器を指差して、

    「それ、こっちへ持ってきてよ」

    わたしに命令したのです。まったく、何様のつもりかと、ますます腹が立ちました。この地区の住民でもない二人が、どうしてそんな大きな顔を出来るのか?


    その後、そのおばさんたちは脱衣所へ上がり、また、のらりくらりと身体を拭いたりおしゃべりをしたりと、一向に風呂から出て行く素振りを見せません。

    「奥さん、最近、少し痩せたんじゃないの?ウエストの辺りがスマートになったみたい」

    「何言ってんの。あんたの方がずっとスタイルいいわよ。羨ましいわ~」

    くだらない会話ばかりこれ見よがしにしながら、ゲラゲラと笑い合う様には呆れるのを通り越してゲンナリです。

    いまさら嫁に行く訳でもあるまいし、体形など太かろうが細かろうがどうでもいいではないかと、わたしはお腹の中で呟きました。[ふらふら]

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何故、謙虚になれないのか? [日々の雑感 7]


★ 何故、謙虚になれないのか?


    知り合いの女性に、とにかく自惚れの強い人がいます。

    その人は、とにかく他人に説教するのが大好きなのです。

    そして、自分のやったことをいつも自慢します。

    「ほら、あたしの言った通りになったでしょう」

    「あたしの言う通りにすれば間違いないのよ」

    「あなたの素晴らしいところを、あたしは知っている。だから、こうしなさいね」

    「それはダメ。そんな気持ちでいるから職場でもうまく行かないのよ」

    「あなたは、もっと素直に人の言うことに耳を傾けなさい。その意地っ張りなところが嫌われる元なのよ」

    「あたしを信じていれば、悪いようにはならないから」

    これを聞いていると、何かを思い出すのです。

    新興宗教の教祖の説教。-----正に、そのものです。

    どうして、このような他人に意見をせねば気が済まない人格が出来上がるのでしょうか?

    何かしてあげるのなら、黙ってやってあげればいいのです。そして、もしも、その女性の言う通りになった時は、ニッコリ笑って、

    「そう、良かったわね。あなた、頑張ったもんね」

    これでいいじゃないですか。さも、自慢げに自分が教えたからだという言葉を吐く意味があるのでしょうか?

    何かをするなら、もっと謙虚になるべきです。余計な自慢話やお説教はいりません。

    もしも、それをして相手からお金を頂くなどという場合は、なおのことです。相手はお客さまなのですから。お客さまを叱るなど、もってのほかです。

    人間は、元来他人に何かを教えたいという本能を持つ動物です。それがあったからこそ、人間は、今のような文明社会を築いて来れたのです。

    小さな子供たちが、時々、先生ごっこをしている風景を見ることがありますよね。

    ものを教える人は偉い人だという認識が、既に二、三歳の子供にも備わっている証拠です。

    「大きくなったら何になりたい?」の質問にも、多い答えが「ピアノの先生」「保育園の先生」「学校の先生」「お医者さん」などだと言います。

    たぶん、このような女性たちも、そんな小さな頃の思いを未だに捨てきれないのかもしれません。

    正直、こういう人たちはハタ迷惑です。わたしは、この女性の自惚れ話を聞きながらいつも心の中で呟きます。

    「あんたが話す内容など、こっちは十年も前に知っているわ。知ったかぶりも大概にしろ!」

    そうなのです。

    嘘でもいいから、「そんなことがあるの?知らなかった~。また、教えてね」ぐらいなことを言ってみて欲しいものです。

    でも、こういう女性は、そんなこと口が裂けても言わないでしょうね。自分の無知を認めるなど、生涯の恥だと思っているはずですから。

    だから、一度でいいから言ってやりたいです。

    「あんたの知識など、何の役にも立たない」と-----。[ちっ(怒った顔)]






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学食へ行かない学生たち [日々の雑感 7]


[ビル]学食へ行かない学生たち


    大学生になって楽しいことの一つに、学食で食事が出来るという物がある。

    わたしが卒業した大学には、ステラ・マリス(たぶんそうだったと思うんですが・・・)という名称の食堂があって、ここで仲の良い友人たちと昼食をとるのが楽しみだった。

    わたしの好きなメニューは、中華丼であった。この時の味が忘れられずに、卒業後も色々なところで中華丼を頼んではみるが、学食の味にかなう物はなかった。

    もしかしたら、中華丼そのものの味ではなく、友人たちと一緒に食べているという気持ちが、食事を数倍もうまい物に変えていたのかもしれない。

    それに、他の大学の学食も見てみたいと、青山学院大学の学食にもお邪魔して、食事をしたこともある。ここの大きめの貝殻の形をした器で食べるグラタンは、おいしかった。


    ところが先日、信濃毎日新聞のコラムを読んでいたら、今の学生たちは、あまり学食を使わないのだという。

    使わないどころか、一度も学食へ足を運んだことさえない学生もいるという。

    あんな楽しい開放的な空間へどうして行こうとしないのだろうか?あそこで食事をする時ほど、大学生になったという実感を得ることはないと思うのだが・・・・。

    コラムによると、そういう学食とは縁のない学生たちは、コンビニのおにぎりやお弁当で簡単に昼食を済ませてしまうのだそうだ。

    そして、そういう学生たちに訊ねると、彼らは、自分が関心のないものにはまったく魅力を感じないのだという。

    つまり、学食という学生時代の思い出と密接にかかわるであろう場所も、関心がなければ大学時代一度も足を運ぶことがなくても、別にもったいないなどとは思わないのだという。

    かつての学生たちなら、せっかく東京にいるのだから、一度はあの有名百貨店に行ってみたいと思うところが、今の学生たちにはそんな気持ちはさらさらないのである。

    しかも彼らは、それを拒絶しているのではなく、まったく興味がないのであり、視野にすら入らないというのだ。

    自分が好きなことや関心のあることには、たとえ周囲がどうあろうとも徹底的にのめり込むが、関心がない物に対しては、一生知らなくても構わないとさえ思っているようである。

    つまり、自分の意識にかなうごく狭い範囲の関心事には注目するが、自分から遠い問題にはとんでもなく無知だということも言えるのである。

    それで、ようやく判った。

    女子学生に「アジのたたき」を作ってくれというテレビ番組があった時、アジだと信じてカレイをさばいたり、「たたき」という言葉から金槌でアジを潰した者もいたのだが、彼女たちは、それが出来なかったからといって別に落胆することも悪びれることもなかった。

    つまり、そんな「アジのたたき」など、自分には何の関係もない料理なのだから、出来ようが失敗しようがどうでもいいことだった訳である。

    しかしながら、考えようによっては、これは少々怖いことでもある。

    自分の興味の範疇でないことは学ぶ必要性すら感じないという大人たちが、どんどん世の中に出て行くとなると、万事において関連性を持って物事を判断出来る大人が少なくなるということでもあるのだ。

    何か問題が起きた時、目の前にある難題を解決することばかりに気を取られ、実は、その問題を引き起こしている根本原因がいつまでたっても判らないということだってあり得る話である。

    仕事には、まったく関係がないと思われるゴルフが大好きだった判事が、そのゴルフの知識があったおかげで、被告人が主張していた「犯行時間はゴルフをしていた」と、いうアリバイを崩したというエピソードもあったくらいだ。 
 
    人生には、関心がないことも、「とりあえず見てみようか」という「無駄な好奇心」が重要なのである。

    だから、学生諸君、せっかく大学へ行っているのなら、一度ぐらいは学食で食事をしてみて欲しい。

    いつか君たちが親になった時、「お父さんが学生の頃の学食は、こんなメニューがあったんだぞ」と、子供たちに学生の頃の思い出を語る日が来るかもしれないのだから-----。

    
      


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人を不快にする言葉 [日々の雑感 7]


人を不快にする言葉


    近頃の年配女性たちは、平気で他人を不快にする言葉を吐く。

    相手がそれを聞いてどんな風に感じるのかという想像力が全く欠如しているのだ。

    近所の七十代後半の女性が口説いていた。

    この前、六十代後半の飲食店経営の女性と話をしていた時のこと、話の流れで御柱の話題が出た。

    六十代後半の女性は、七十代後半の女性に訊ねたという。

    「この前の地元の御柱祭、見に行った?」

    「ううん、毎日やることが多すぎて、見に行く暇がなかったから行かなかったよ。御柱ももう何回も見たし、子供の頃は綱も曳いたしね」

    七十代女性が答えると、相手の女性は、こともあろうにこんなことを口走ったのである。

    「そんなこと言っていていいの?次はまた七年後だよ。その頃、もう、生きていないかもしれないじゃない」

    高齢者に寿命の話は、最もタブーである。六十代後半の女性は、まだ、自分がいつかは死ぬなどということは実感として判らないから、そんな配慮に欠けることを言ったのだろうが、七十代後半の女性にしてみれば、切実な数字である。

    「そうだね。それまで元気でいたいものだね」

    とは受け流したものの、彼女はその後ひどく落ち込んでしまったのだそうである。どう頑張ったところで、もう三十年は生きられない。高齢者になればなるほど、十年なんてあっという間に過ぎてしまうものだ。

    「長生きしてね」と、人は平気で言うが、長生きって何年のこと?と、考える。

    そんな不安の中にある女性に向かって、「もう、生きていないかもしれないじゃない」は、ないだろうと、ひどく悔しい思いをしたそうである。

    今の時代、八十代の人に「もう、年なんだから・・・・」は、禁句であるという。彼らは、自分たちを決して年よりなどとは思っていないのだ。否応なく身体は言うことをきかなくなり、記憶力も乏しくなってきてはいるが、それを認めたくはないのだ。

    周りの八十代は老人だが、自分は違うと思いたい。

    この七十代後半の女性も、「もう、生きていないかもしれないじゃない」と、言われるまでは、自分が老人だなんて考えもしなかったそうである。

    人の気持ちを平気で逆なでするような言い方をする人間たちにこそ、明日の命など判らないぞと、言ってやりたいものである。

    


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顎の骨が腐る!? [日々の雑感 7]


顎の骨が腐る!?


    この間、歯医者さんで不思議なことを言われた。

    「あなたは、骨粗しょう症の治療をしているそうだけれど、もしかしたら、うちでは抜歯は出来ないかもしれないよ」

    わたしは、何のことか判らず、先生、歯を抜くことが出来ないんですか?と、訊ねたところ、

    「歯を抜くのなんか簡単にできるよ。ただ、骨粗しょう症の治療で使われている薬で、それを飲んでいる人の歯を抜いた時、顎の骨が腐るということがあるんだよ。だから、もしも、その薬を使っていたら、ここでは抜けないということなんだ。そういう時は、長野市の口腔外科のある病院で抜歯してもらうことになるからね」

    これには、驚いた。そんな怖い薬を飲んでいる人がいるのかと----。

    でも、わたしが飲んでいる薬を歯科医師の先生に話したところ、その薬ではないということで、ちょっと安心だった。

    そんなことがあって、先日、新聞を読んでいたら、この時歯科医師の先生が言ったことと同じことが記事で出ていた。

    骨粗しょう症の治療に使われる「ビスフォスフォネート(BP)剤」という薬を飲んでいる患者が、抜歯などの歯科治療を断わられるケースが増えているという記事である。

    このBP剤を服用していると、歯科治療によって顎骨の骨髄炎や壊死が起きる危険性が増すというのである。

    だが、この因果関係はまだ今のところ不明確だともいわれており、医療現場の混乱を食い止めるためにも、正確な情報や調査を求める声が出ているのだという。

    女性は、高齢になると骨密度が低くなりやすいため、骨折の危険性も増す。

    そこで、整形外科では、骨粗しょう症の治療に効果的とされるBP剤を処方することが多くなって来ているという。

    このBP剤とは、そもそも骨を破壊する破骨細胞を壊すという薬で、破骨細胞が骨を吸収するのを抑える働きがあるということを利用して、骨粗しょう症や乳がん、前立腺がんの骨転移の治療薬として使われているものである。    

    そのため、骨粗しょう症のひどい人にはこの服用を中断させることは極めて難しいといわれる。

    BP剤を三ヵ月以上服用を中止すると、寝たきりにつながる大腿骨頸部骨折のリスクが20パーセントも上がるといわれているのだ。よって、安易な中止は出来ない。

    しかし、高齢になればなるほど、歯科治療を必要とする患者もまた増える訳で、このままでは医師も患者も実に難しい選択を迫られることとなる。    

    BP剤を使っている患者の抜歯後に顎骨骨髄炎や壊死が起きた事例が海外で報告され始めたのは2003年からであり、そのほとんどは、骨粗しょう症患者が使用する経口剤ではなく、乳がん、前立腺がんなどの患者へ使用する注射剤によるものであった。

    確かに、今のところ、この薬を飲んでいる人とそうでない人との比較データも集まってはおらず、はっきりした論拠はないのだとも言われるが、やはり、患者の身になれば、万が一のリスクでも回避したいと思うのが当然である。

    女性高齢者は、四人に一人が骨粗しょう症であるといわれる現在において、この問題は極めて深刻であると言わざるを得ない。


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男性の見栄 [日々の雑感 7]


[ビール]男性の見栄



    今朝のような曇天は、頭も身体も動きが鈍くなるような気がします。

    それにしても、男の人はどうして自分の見栄ばかり先行させるのでしょうね。

    (わたしの周りには、多いように思います)

    判らないことを、判らないというのは沽券にかかわるとばかりに、人に訊ねることもせず、結果墓穴を掘る男性のなんと多いことか・・・。

    これは、香典にまつわる話ですが、告別式に出席できず、後日故人の家を訪ねた際、家を間違えて香典を渡して来てしまったという男性もいるのです。

    一言、「ここは、〇〇さんのお宅ですか?」と、訊ねておけば済む話を、さも知っているとばかりに上がり込み、また、偶然、その家にも亡くなったばかりの人の遺影があったので、少し似ていないなァ・・・とは思ったのだそうですが、そのままお参りをして帰って来てしまったのだそうです。

    まったく関係ない赤の他人の家へ香典を置いて来てしまったというポカをしでかす破目になったわけで、見栄っ張り、知ったかぶりも大概にしたいものですね。

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気持ちは伝わらない [日々の雑感 7]



気持ちは伝わらない


    それにしても、他人同士って、どうしてこんなに気持ちが伝わらないのでしょうね。

    この間、ある衣料品店で買い物をした時、こちらはしっかりとサイズや色を指定して取り寄せてくれるように頼んだのに、それが届いたので取りに来てほしいと連絡が来て行ったところ、色はその通りだったのですが、サイズが一つ大きい物を見せられたのです。

    「わたし、Mサイズをお願いしたのですが・・・・」

    と、言っても、相手は、「え?Lじゃなかったんですか?」と、キョトンとしている始末。

    「だって、念を押しましたよ。Mでって-----」

    そう言っても、まったく相手に申し訳ないの意思表示はないのです。

    こういうこと、皆さんにもありませんか?こちらの言うことが、ほとんど通じない。通じていても、ねじ曲がって解釈されてしまう。本当に、面倒くさいですよね。

    しかも、自分たちには非はない。そっちが伝え間違えたんだろうぐらいの態度なのです。

    ですから、わたしは、ぜひぜひ必要なことは、紙に書いて相手に渡すようにしていますが、それでも間違う時は間違うのです。たぶん、そんな紙もすぐに何処かへなくしてしまうのでしょうね。

    いつも、すべてが「しょうがないか・・・・。これでも・・・・」と、妥協の産物になってしまうのです。

    以前、大リーグ・マリナーズのイチロー選手がテレビのトーク番組で話していました。

    「日本の方がまだいい。アメリカは、ひどいよ。頼んでおいた品物がその約束の日に届いていなくても、平然と、『昨日、息子が熱を出して・・・・』などという考えられないような言い訳をするからね」

    他人に自分の気持ちをしっかりと受け止めてもらうことほど大変なことはないようです。

    しかも、一度は判ってくれたと思っても、次のシチュエーションでまた誤解を解かなくてはならないこともあります。

    最近、本当に面倒くさいと思うようになりました。


    でも、でも、本当に心底自分の気持ちを相手に伝えたい時は、案外言葉では無理なのかも・・・・。

    わたし的には、「目力」で相手を威圧するのが最も効果的かとも思います。(ー_ー)!!


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朝は、納豆だ! [日々の雑感 7]


[野球]朝は、納豆だ!



    少し前、若いプロ野球選手を起用したカレーのテレビ・コマーシャルがあった。

    その選手が丸い丼のような器に炊き立てのご飯を盛り、そこへレトルトパックのカレーをかけて、「朝は、カレーだ!」と、言う声とともに食べるというものである。

    この食べっぷりがとても良くて微笑ましくさえあり、若い男の子はこうでなけりゃと思わせるような、楽しいコマーシャルだった。

    そんな訳で、もちろんこのコマーシャルは、出演しているプロ野球選手の人気もあり、子供たちには特にウケがよい物であったそうだ。

    そのCMが流れていた時分、小学校から下校する途中のランドセルを背負った二人の男の子が、我が家の前を通りながら、こんな話をしていたのである。

    男の子たちは、小学三年生ぐらいだろうか?

    一人の子がこう言ったのだ。

    「お前、朝、ご飯食べて来る?」

    「うん、食べるよ」

    「何食べる?」

    「パンかな・・・・」

    「ふ~ん、おれんち、ご飯。おれ、『朝はカレーだ!』ってコマーシャル好きだから、母ちゃんにそう言ったら、母ちゃん、『朝は納豆だ!』って、ご飯に納豆かけちゃってさ。ホント、がっかりだったよ」

    「『朝は、カレーだ!』ってコマーシャル、あれいいよな」

    「うん、あれ見ると、カレー食べたくなっちゃうんだよな」

    子供たちの会話は、こんな何処にでもあるようなものだったが、これを聞いていて、わたしには、その少年の家の朝の風景が手に取るように判った。

    いつも明るいお母さんが、テレビCMのレトルトカレーではなく、納豆をたっぷりと息子のご飯にかけるというその微笑ましい光景がほんわりと想像されて、忙しい朝にもかかわらず、息子のために朝飯をしっかりと作ってくれている素敵な母親の姿を思い描かせてくれたのであった。

    そんなお母さんに育てられている男の子は、何とも幸せ者だなァと思うと、今の若い母親たちもなかなか捨てたものではないと、嬉しく感じられたのである。

    本当はCMのように丼にご飯をよそい、カレーをかけてスプーンで食べたい息子に、「何言ってるんだよ。さっさとお腹いっぱい食べて学校へ行きな!」そんな激励を込めて納豆をかけた母親のたくましさ-----。

    なんだか、そのお母さんに会ってみたいような気持ちになった一時であった。

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