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黒猫の話 [不思議な話]


黒 猫 の 話


    わたしの家には、昔、まだわたしが生まれる前から、「クマ」という名の真っ黒な雌猫がいました。

    身体は、あまり大きくはなかったものの、毛並みの綺麗な気性の穏やかな猫でした。

    クマは、わたしのことを自分の子供とでも思っていたのか、わたしが何をしても怒ったり威嚇したりすることがなく、わたしが乱暴な扱い方をしても、常にされるがままでした。

    その態度は、わたしの友達にも同様で、古い写真を見ると、一人の友達がクマの尻尾を手に持って、背中にぶら下げている様子が写っています。

    また、クマは、わたしが保育園から一人で帰って来る時、どちらの道から歩いて来るのかが判るように、必ず歩いて来る方の道の途中まで迎えに来ているのです。

    そんなクマも、わたしが小学校に入る頃には、お婆さんになり、いつの間にか姿が見えなくなってしまいました。そして、しばらくして、家の物置の階段裏で死んでいるのが見つかりました。

    猫は、自分の死期を悟ると、家人の前から突然姿を消し、人知れずひっそりと死ぬのだそうです。それが、他の動物に死体を荒らされたくないという、猫の最後のプライドなのかもしれません。

    クマの死体は、祖母が経営していたアパートの柿の木の下に埋められました。

    そして、それからです。我が家に不思議な現象が起きるようになったのは------。

    まだ、幼かった弟が、家の中でクマを見たと言ったり、障子の破れが、猫の形になっていたり、新しく飼った子猫が相次いで死んだり、様々なことがありました。

    そんな訳で、そのあと、我が家では、猫は飼わなくなりました。

    今でも家族の間では、何かの話のついでに、クマの話題が出ます。

    手拭で頬かぶりをさせても、それを取ろうとはしないで、まるで自分も楽しんでいたようだったとか、何匹も子供を産んだのに、みんな死んでしまって可哀そうだったとか、まるで、家族の一人の思い出話をするかのように、クマの話題は尽きません。

    わたしには、今も家の何処かに、クマがいるのではないかと思える時があるのです。

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これって、偶然? [不思議な話]


[家]これって、偶然?



    わたしは、小学生の頃、いくつもの塾に通っていました。

    あの時分は、お稽古事が一種のはやりで、子供たちは様々な塾通いをしていたものですが、わたしの場合は、「そろばん塾」に「ピアノ」「英会話」「書道教室」などへ行っていたため、一週間のほとんど毎日が、学校、自宅、塾の三点セットでした。

    しかし、当のわたしは、いずれも特別身を入れて学んでいた訳ではないため、日々の忙しさに疲れ、あわよくば塾を休みたいと、そんなことばかりを考えていました。

    そんなある日のこと、英会話教室へ出かけたところ、建物の正面の扉に、「今日の英会話教室は、お休みです」の張り紙。ラッキーだと、内心ほっとしながら家へ帰ると、その日の夜、同じく英会話教室へ通っている同級生の母親から、わたしの家へ電話があり、英会話教室を開いていた若い女の先生が、亡くなったとのこと。

    驚いた母が、詳しく理由を訊ねると、その相手の母親曰く、

    「実はね、先生、自殺なさったらしいのよ。自宅の自分の部屋にガムテープで目張りをして、ガス自殺をしたんですって」

    自殺の理由は、判らなかったのですが、その先生の死で、英会話教室は終了となってしまったのです。

    しかし、わたしには、まだ他のお稽古事があります。英会話がなくなって、少し生活にも余裕が出て来ましたが、それでも、正直、書道教室には、閉口していました。

    書道教室は、近所の薬師堂で、当時、三十代の庵主さんが教えて下さっていたのですが、この庵主さんがかなり厳しい先生で、相手が子供たちといえども、徹底的に時間をかけて教えるのです。

    その間、ずっと正座ですから、足がしびれて、途中からは書道どころではありません。気が散っていると、いつまでもOKが出ず、何枚も書き直しをさせられます。

    「もう、書道、行きたくない」

    と、うんざりしていた矢先、薬師堂から電話が入り、「本日のお教室は、お休みになりました」との連絡。

    その電話の直後、今度は、薬師堂のすぐ近くに住む、わたしの家の親戚から電話が来て、

    「庵主さん先生、今朝、亡くなったんだよ」

    との話。わたしの母親が、詳しく事情を訊ねると、薬師堂の自室で首を吊って自殺したとのことでした。こちらもまた、自殺の原因は、判らなかったようです。

    ところが、こっちは、すぐに変わりの先生が来られて、書道教室は続けられることになりました。しかも、次に来た先生は、六十代のお坊さんで、これまでの先生に輪をかけて厳しい教え方で、あだ名は、「いま、一枚」。

    何枚書いても、「いま、一枚」と言って、書き続けさせるのです。

    これなら、前の庵主さん先生の方がよかったなァ----と、がっかりしたことを覚えています。

    それにしても、二人の塾の先生の立て続けの自殺。このことは、未だに不思議でなりません。

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軍靴(ぐんか)の音 [不思議な話]


軍靴(ぐんか)の音



    昭和十七年、わたしの父方の伯父は、ビルマ(今のミャンマー)で戦死しました。

    まだ、二十三歳という若さでした。戦死といっても、最後はマラリアが悪化しての病死でしたが、当時、日本兵の中で、敵弾にあたって亡くなったという兵士は、ほとんどなく、大半の人は戦地の汚染された水を飲んだり、食糧が尽きたりしたための病死や餓死だったといわれています。

    しかし、その頃はまだ、日本側の戦況もそれほど悪化していた訳ではないので、伯父の遺骨は、白木の箱に入って、ちゃんと自宅まで届けられたということです。

    祖父母は、その上の伯父も、戦地へ送り出していたものですから、息子たちの戦死は覚悟の上だったそうですが、若い方の息子が先に亡くなることになるとは思わず、かなり悲嘆にくれたといいます。

    特に、亡くなった伯父は、子供の頃から身体も大きく、わたしは、伯父の顔を写真でしか見ていませんが、なかなかの好青年で、地元の農商学校(現在の高校)では成績も優秀で常に級長(クラス委員)をしていたのでした。

    しかし、家が貧しかったこともあり、進学は諦め、卒業と同時に働きに出ましたが、まじめな性格でとにかく祖父母にとっては自慢の次男だったのです。徴兵されて軍隊(松本連隊)へ入ったあとも、数々の試験をクリアして、一兵卒から軍曹にまでなりました。

    そして、戦死による二階級特進で、伯父は少尉となって勲章と共に帰って来たのです。

    その、伯父の戦死報告が連隊から届く少し前のことです。ある夜、家には祖母と、まだ中学生のわたしの父、父の姉たちが茶の間で夕飯を食べていました。

    すると、家の外をかすかに軍靴の歩く音がして、その音は、次第に大きくなり、家の方へと向かって来たのだそうです。

    軍靴とは、陸軍の軍人が履く靴のことで、靴の裏には、たくさんの鋲が付いています。ですから、歩くたびにガチャガチャと、音を立てるのです。その音が、家の前まで来たかと思うと、突然ぴたりと止まりました。    
    
    父が、「誰か、兵隊さんが来たみたいだよ」と、祖母に言うと、その直後、玄関の引き戸がものすごい音をたててガラッ!と、開いたのだといいます。父は、祖母に、誰か来たから見て来てくれと、言われたので、茶の間から玄関へと行ってみたのですが、引き戸はいっぱいに開けられているものの、そこには誰の姿もありません。開けられた戸の向こうには、真っ暗な夜の畑が広がっているばかりだったのです。

    その後、数日たって、伯父が戦地で病死したという報告が、村役場から届き、父たちは、もしかしたら、あの時の軍靴は、伯父の魂が自宅へ戻って来た音だったのではないだろうかと、思ったそうです。

    戦後、もう一人の上の伯父は、長いシベリア抑留を経て、餓死寸前の栄養失調状態で、それでも何とか復員(日本へ帰って来ること)して来ました。

    祖母は、その後、戦死した伯父の話はほとんどしませんでしたが、八十三歳で亡くなる時、最後に言い残した言葉が、その伯父の名前だったのでした。

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一本松の幽霊 [不思議な話]


一本松の幽霊



    わたしの母方の実家は、地元でも少しは名の通った日本そば屋です。

    まだ、終戦間もない頃、食糧のない時代にもかかわらず、わたしの祖父は、配給の食料や、祖母の着物を農家に持って行って代わりに分けてもらったジャガイモや、トウモロコシの粉などで、すいとんなどを作り、それでも、何とか商売を続けていました。

    そのわずかな食べ物を求めて、店の前には長い列が出来、その列に並ぶことすら出来ない持ち合わせのない人たちは、夜になると、店の裏手にある勝手口へ来ては、売れ残りの蒸かしイモなどを、ただでもらって行ったそうです。その中には、昼間は闇物資を取り締まっていた、若い警察官の姿もあり、「仕事がら、闇米には手を出せず、子供が腹を空かして困っているので、ほんの一つでもいいから、芋を分けてもらいたい」と、涙を流していたそうです。

    そんな様子を見かねて、祖母は、「あんたにやるんじゃないよ。子供にくれるんだからね」----そう言って、蒸かしイモと岩塩を少し紙にくるんで、その警察官に持たせたこともあったそうです。

    そのそば屋のすぐ隣に、母親とまだ幼い二人の男の子が住む家がありました。その家の父親は、既に戦死し、若い母親は、子供を抱えて必死で他人の家の畑の耕作などを手伝いながら、細々とした給金をもらい、その子たちを育てていました。

    わたしの祖父母は、その家族があまりに気の毒で、時々、その家に売れ残りのうどんの玉や、野菜の煮物などを運んでは、「代金はいらないから、子供にいっぱい食べさせてやりなさい」と、渡していたそうです。ところが、しばらくして、その母親が、過労から身体を壊し、寝込む日が多くなりました。

    子供たちの世話が出来なくなった母親が、わたしの祖父母に、子供たちにご飯だけでも食べさせてやって欲しいと、頼むので、もともと子だくさんだった祖父母は、別に二人増えたからといっても何のことはないと、二人の息子を家に呼び、朝飯を食べさせ、学校には祖父母の家から通わせ、夕飯を食べさせて、自分の家へ帰すという生活を送らせました。

    しかし、そのうちに子供たちの母親の容態はますます悪くなり、地元の開業医の治療もかいなく、とうとう三十半ばの若さで亡くなってしまったのです。お葬式が終わり、引き取り手もなく途方に暮れる子供たちの将来を心配した祖父母は、彼ら二人を手元に引き取り、せめて中学を卒業するまではこの家の子供として育てようと、決めたのです。

    そんな、ある日の夜のこと、祖母が家の外へ出た時、近くの畑の真ん中にある一本の松の木の下に、何やらぼうっと薄ぼんやり青白く光る物があることに気付きました。その光の大きさは、ちょうど人間の身体ほどで、よく良く見ると、それは、一人の女性の姿だったそうです。

    祖母は、ひどく驚きましたが、さらに間近によって見詰めると、そこに立つ女性は、紛れもなく、数日前に亡くなった二人の息子の母親だったのです。母親は、祖母の方へ顔を向けると、悲しそうな顔をして、黙ったまま何度も何度も深々とお辞儀をするので、祖母は、これは、息子たちのことを頼むと言いたいに相違ないと感じ、

    「判っているよ。子供たちのことは、ちゃんと面倒見るから、心配しないでいいよ」

    と、声をかけたところ、母親は、嬉しそうに微笑むと、すっとその場から消えてしまったのだそうです。

    その後、二人の息子たちは、中学を卒業したのちに、それぞれ会社へ就職し、結婚したそうです。


    ***  写真は、山ノ内町にある一茶堂の『雨含(うがん)の松』

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花園の階段 [不思議な話]


花園の階段



    わたしの卒業した大学のキャンパスは、初夏を迎える頃、薔薇の花をはじめ色とりどりの花や緑で埋め尽くされ、文字通りの花園となります。

    正門から校舎まで続く長い遊歩道の両脇には、西洋庭園によく見られる石像や、彫像が並び、かぐわしい薔薇の花で彩られたアーチは、正に秘密の花園といった雰囲気を醸し出しています。

    そんなキャンパスを、神父様やマスール(シスター)たちが僧服をひるがえしながら闊歩し、いつも学生たちの話し声や笑い声がさざめいていました。

    そして、その大学の校舎内の一角には、不思議な階段があったのです。

    教授室などが並ぶ棟の三階から二階へ降りる階段で、踊り場のところまで来ると、いきなり、天井から水が落ちて来るような音がするのです。

    それも、ピチャッ!------などという可愛らしいものではなくて、思いっ切りバケツで水を浴びせるといった感じのバシャッ!-----と、いう豪快な音なのです。そのことを知らない新入生などは、頭から水をぶっかけられたと思って、慌てて髪の毛を触り、仰天します。

    わたしも、始めは何のことか判らずに、本当に驚きました。が、そんなある日、一緒に階段を降りていた友人も、このバシャッ!にびっくりして、再び階段を上って逃げようと焦り、そこに立っていた壁に正面からぶつかったまま、一瞬身動き出来なくなってしまいました。つまり、それに張り付いた格好になってしまったのです。

    「〇〇ちゃん!大丈夫?」

    わたしも、他の学生の友人たちも、叫んでから今度は思わず込み上げる笑いを抑えるのに必死でした。何故なら、彼女が張り付いていたのは、校舎の壁ではなく、ちょうど教授室から出て来られた、神父様の大きなお腹だったからです。

    張り付いた友人は、恥ずかしさで顔面真っ赤でした。

    でも、その水音は、必ずいつも聞こえるという訳ではありません。実に気まぐれな音で、聞こえる時と聞こえない時があるものですから、その階段を常に利用しながらも、一度も聞いていないという人もいたのです。

    そんな訳で、ある友人は、その音がすると、「ああ、気まぐれ天使が、また、水がめをひっくり返したよ」-----なんて、呆れていました。

    あの階段の不思議な水音は、今も聞こえるのでしょうか?

    もしかしたら、本当に、天使のいたずらだったのかもしれないと、微笑ましく思い出します。

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幽霊電話 [不思議な話]


[電話]幽 霊 電 話



    これは、わたしの従姉が体験した出来事です。

    わたしの従姉は、A町とB市の二か所に家を持っていまして、ほぼ毎日のように、自家用車に両親を乗せて、その二軒の自宅を行き来しているのです。

    何故、そんな面倒なことをしているのかといいますと、つい最近まで一家はA町の家で暮らしていたのですが、両親の体調が思わしくなくなってからは、大きな病院のあるB市に住んでいた方が、何かと都合がいいということで、そちらの方へ生活の場を移した訳なのです。しかし、もともと温泉場育ちの両親は、お風呂だけは温泉に入りたいというので、従姉は、毎日、両親をその温泉へ入浴させるため、A町へと連れて行かなくてはならなくなったのです。

    その従姉は、未だ独身ということもあり、両親は、一人っ子の彼女に頼りきりで、彼女がいなければ、もはや一日が成り立たないという状態にまでなっているのです。そんなある日のこと、いつものように両親を自動車に乗せて、A町へ行くべく、川沿いの県道を走っていた時でした。かつて、遺体を火葬していた場所で、通称『焼き場』と呼ばれた施設の跡地の前を通り過ぎようとした時のことでした。

    いきなり、「お~い!」と、いう、男の人の声が聞こえたのだといいます。従姉は、その声に聞き覚えがあったので、何だか奇妙に感じて、後部座席の両親に訊ねました。

    「ねえ、今の男の人の声、死んだおじいちゃんに似ていなかった?」

    すると、両親も、確かに似ていたような気がすると、言います。三人は、不思議な気持ちで、そこを通り過ぎましたが、おかしなことに、翌日、再び同じ場所へさしかかると、またも、「お~い!」と、呼びかけるような男の人の声を聞いたのでした。

    従姉と両親は、何とも奇妙な気持ちになりながらも、A町の自宅へ入り、両親は近所の共同浴場へと出かけ、家には彼女一人が留守番をしていたのでした。すると、しばらくして、二階にある彼女の部屋から、電話のベルが鳴るような音が聞こえてきました。しかし、一階にある電話の親機は、呼び出し音を発してはいません。そのベル音は、二階にある子機のみから聞こえてくるようでした。

    「親機が鳴らないのに、子機だけがなるなんて、変なこともあるなァ----?」

    と、思いながら、従姉は、二階へ階段を上がり、自室の子機を耳に当てました。すると、受話器の向こうから聞こえて来た声は、

    「〇〇か-----?おれが、呼んでいるのに、何で知らん顔して行っちまうんだ?」

    その声は、紛れもなく、彼女の亡くなった祖父のものでした。従姉は、思わず子機を放り出し、その場から逃げ出してしまったそうです。

    今でも、その場所を通り過ぎる時、ごくたまに、男の人の呼ぶ声が聞こえるのだそうですが、従姉は、その声が聞こえると、「判った、判った、聞こえているよ、おじいちゃん!」と、返事をして行き過ぎるのだと言っていました。

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山道のあんパン [不思議な話]


山道のあんパン



    これは、わたしの父が経験したことです。

    わたしの父も山での山菜取りが好きで、若い時分は、よく近くの山へワラビやネマガリダケなどを採りに、何人かの友人たちと出掛けることがあったのですが、その最中、やはり、一度だけ道に迷ってしまったことがあったそうです。

    ある時、父は気の合う友人四人と志賀高原へ山菜を採りに出かけたのですが、帰り道を間違え、自分たちがいったい何処を歩いているのかも判らなくなってしまったのだそうです。こうなってしまうと、山道という物は不思議な物で、歩いても歩いても、また、同じような場所に出て来てしまうのです。

    父たちの場合は、自分たちの背丈ほどもある草藪の中を何とかかんとか分け出てみると、とても広い綺麗に舗装されている道路が現れるのだそうです。人っ子一人いないその道路をしばらく歩くのですが、やはり、何処へも辿り着かない。そこで、業を煮やし、また、脇道の草藪の中へと踏み行って、下山しようと試みるのですが、出たところが、また、例によって広い道路なのだそうです。

    食糧も持たずに来ていた父たちは、既に辺りも日が暮れかけて来たころ、お腹が空いてたまらなくなり、

    「まったく、えらいことになったなァ・・・・。昼飯前には帰る予定だったのに、これじゃァ、夕飯にもあり付けねえぞ」

    「だれか、お茶ぐらい持っていないのか?」

    そう訊ねられても、誰一人、そんなものは持って来ていなかったので、
 
    「自動車の所まで行きつければ、食い物ぐらいあるんだがなァ・・・・。山へなんか来なけりゃよかったなァ・・・・」

    そんな気弱なぼやきも出て来た時でした。突然、友人の一人が、その広い道路の上に何かが落ちているのを見付けました。皆がその物の周りへ歩み寄り、よく見てみると、それは、我が家の近所にあるパン屋さんの名前の入った大きな紙袋でした。父たちは、奇妙に思いながらも、そのズシリと重い紙袋を拾い上げ、

    「〇〇パン屋のやつだぞ。中に何か入っている-----」

    そっと開けてみると、何と、その中には、一つ一つビニール袋に丁寧に包まれた、今焼いたばかりというようなフカフカのあんパンと、缶コーヒーが入っていたのでした。しかも、その数が、ちょうど、あんパン五個に缶コーヒーが五本。

    「おい、ちゃんと、人数分あるぞ!すげェ!」

    「誰かの落とし物だな。まだ、新しいぞ」

    「どうして、こんな場所に、こんな物が落ちているんだ?しかも、ちょうど、おれたちの人数分だなんて、偶然にしても気味が悪いな・・・・」

    そんなことを言いながらも、五人は、顔を見合せ、そのあんパンの始末をどう付けようかと考えました。空腹は、既にピークです。

    「いいや、おれ、食っちゃうぞ!」

    一人があんパンを包むビニール袋を開けてかぶりつくと、残る三人も、袋を開き、パンを食べ始めました。缶コーヒーも飲みながら、うまいうまいと夢中で食べる友人たちを見ながらも、父だけは、どうしてもこの状況に納得がいかず、缶コーヒーは飲んだものの、あんパンには手が付けられなかったといいます。

    しかし、これで、少しは空腹が納まったために、父と友人たちは、残りのあんパン一つを入れた紙袋をぶら下げたまま、再び山道を歩き、ようやく、その日のうちに麓まで下山することが出来たのだそうです。

    山中に置きっ放しになってしまった自動車は、後日取りに行ったそうですが、その後も、あんパンを食べた四人の体調に別段の変化はなかったそうで、未だに父は、その時の状況が腑に落ちないと言っています。よく昔話にある、キツネに化かされた旅人よろしく、もしや、あれは馬糞ではなかったか------?などと、わたしは思ってしまうのですが、皆さんは、くれぐれも、不審な食べ物は口になさらぬように------。

    山道を歩く時は、たとえ近くにホテルや人家があると思っても、必ず、食糧と水分は、携帯しておいた方が、いざという時に便利だと思いますよ。では、お気を付けて、山歩きを楽しんで下さい。 

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山で道に迷う [不思議な話]


[がく~(落胆した顔)]山で道に迷う


    皆さんは、登山やハイキングの際に、山道で迷子になったことがありますか?

    別に、それほど大袈裟なことではありませんが、わたしは、一度だけ、山で道に迷ったことがあるのです。あれは、まだ二十代も前半の夏のことでしたが、女性の友人と、ぶらりと志賀高原まで出かけたことがあったのです。

    山のホテルへチェックインしたのが午後三時頃だったものですから、時間を持て余していたわたしたちは、ちょっとその辺を散歩でもして来ようと、ほんの軽い気持ちで、出かけたのでした。

    そして、どうせここまで来たのだから、ハイキングコースでも歩いてみようかと思い立ち、広い国道から外れて林道の方へ入って行ったのが、間違いのもとでした。通常のハイキングコースを歩いているつもりが、いつの間にか、別のルートへ進んでしまっていたらしく、行けども行けども終着点へ辿り着けません。道は次第に険しくなり、大きな岩がゴロゴロしているとてもハイキングコースとは思えない場所を幾つも乗り越えながら、それでも下へ進めばいつかは国道へ出るのではないかと思い、ヘトヘトになるまで歩き続けました。その頃は、携帯電話などもなく、辺りに人影らしきものもまったくなく、たった二人の山中行軍です。

    「このまま何処にも出られなかったら、仕方がないから、野宿だね」

    「それも、いい思い出じゃァないの」

    などと、この期に及んでも、まだ危機感のない会話をしていた時です、不思議なことに、何処からともなくフルートを吹く音色が聞こえて来たのです。静かな木々の間を吹き抜ける風の音に混じって、何とも優しげなそのメロディーは、明らかに、近くに人がいる証拠でした。わたしたちは、一目散にその音の方へと足を速めました。

    すると、いきなり視界が開け、出て来たところが広々とした池の縁でした。しかし、そこには誰も人はおらず、ただ一足の男性用の靴が行儀よく揃えられて置いてありました。

    「誰が、吹いていたんだろうね?今のフルート・・・」

    「志賀高原では、音楽大学の人が合宿練習をしているから、そんな学生たちの一人だったんじゃない?」

    と、話をしていますと、いきなり近くで、木材を伐るチェーンソーの音が響いたので、わたしたちは、今度はそちらへ歩いて行きました。そこには、営林署の職員のおじさんが一人雑木の伐採作業をしておられたので、そのおじさんに国道への行き方を訊ね、わたしたちは、ようやくホテルへと戻ることが出来たのでした。

    その間、時間にすれば、わずか三時間ほどのことだったのですが、口では馬鹿なことを言いながらも、内心は、実に不安な体験でした。山に入る時は、やはり、どんなに短い距離を歩くとしても、しっかりと事前のシミュレーションを怠らず、いざという時に必要な登山用具もちゃんと携帯したうえで、行くべきだと痛感した次第です。

    それにしても、あのフルートを吹いていた人はいったい誰だったのか?----あまりのタイミングの良さに、わたしの友人は、

    「あたしたちが道に迷っていることを知っていて、あの池のある所まで誘導してくれたみたいだね」

    と、言っていました。

    山では、時々、不思議なことが起きるものですね・・・。

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小さな少年と飴 [不思議な話]


 わたしの母方の伯父は、時々、不思議な体験談を色々と話して聞かせてくれます。その中でも、特に変わっているのは、自分の母親、つまりは、わたしの母方の祖母が、嫁に来るところを見ていたという話です。

 伯父の話はこうです。「おれは、まだ三歳ぐらいの子供だったが、近所の塀の上に腰を掛けていると、真っ白な綿帽子をかぶった白無垢の打ち掛け姿の若い綺麗なお嫁さんが、仲人さんらしき女の人に手を引かれながら、しずしずとおれの家の中へ入って行くのが見えたんだ。でも、おれには、その時よく判っていた。あのお嫁さんが、おれのお袋になるんだなってことがさ・・・・」

 ね?おかしな話ですよね。でも、この前、ある人が話してくれたのですが、そういうことって稀にあるそうなのです。その人の話は、こういうものでした。


 小さな少年と飴 


 ある街の小さな本屋さんに、三十五歳になった陽子(仮名)さんという女性店員が働いていました。陽子さんは、真面目な従業員で、人当たりも良く、周囲の人たちからはとても慕われていたのですが、その年齢になっても未だに特定の恋人などは出来ず、もう半ば結婚は諦めていました。

 そんなある日のこと、脚立にのぼり、店の棚の上の方の本を入れ替えていた時のことです。足元の方で何やら動く気配がしたので視線を落とすと、そこには四、五歳の可愛い男の子が一人で立っていました。その男の子は、ニコニコ笑いながら、嬉しそうに陽子さんを見上げているので、彼女は脚立から降りると、男の子の前へ屈み込み、

 「坊や、何処から来たの?お父さんか、お母さんは、一緒?」

 と、訊ねたのですが、男の子はそれには何も答えず、

 「おばちゃん、陽子さんでしょ?ぼく、まこと(仮名)・・・。これ、おばちゃんにあげる・・・」

 そう言うと、小さな手で、自分のズボンのポケットから可愛らしい模様の紙にくるまれた飴玉を一つ取り出し、陽子さんにくれたのでした。

 「ありがとう・・・」

 不思議な思いで、陽子さんがお礼を言うと、少年は、今度は、店の入り口の方をしきりに気にするそぶりを見せて、

 「あのね、おばちゃん、もうすぐここへ男の人が入って来るの。その人が来たら、優しくしてやってね・・・」

 と、言います。陽子さんは、更に、怪訝に感じたものの、

 「それが、坊やのパパなの?」

 と、訊くと、少年は、ちょっと、小首を傾げて、

 「・・・判んない」

 「判んないって、それどういうこと----?」

 陽子さんが再び訊ねた時でした。店の入り口に四十歳ぐらいの背の高い男性客が一人現われたので、陽子さんは、その男性客の方へ一瞬目を移し、

 「いらっしゃいませ」

 と、元気に声を張って立ち上がったのち、もう一度少年の方へ顔を向けると、奇妙なことに、その少年の姿は既に何処にもありませんでした。おかしな子供だったなァ----と、陽子さんは、釈然としないものを感じながらも、その男性客の方へ歩み寄り、

 「何かお探しのご本でもおありですか?」

 そう声を掛けると、その男性客は、静かな口調で、地元の歴史の専門書を探しているんですが・・・と、言いますので、陽子さんは、さっき棚の上の方へ入れたばかりの本にそれらしきものがあったことを思い出して、もう一度脚立に上ろうとしました。

 が、その途端、バランスを崩して、何と、その男性客の上へ落下!男性客は、驚く間もなく、咄嗟に陽子さんの身体を受け止め、事なきを得ましたが、陽子さんは、大赤面で、男性客に向かって、ごめんなさいの連発となってしまいました。
 

 それから半年が過ぎ、陽子さんは、結婚しました。相手は、その時の男性客でした。彼は、地元私立高校の教師で、陽子さんは、ほどなくして妊娠。勤めていた本屋さんも辞めて、翌年には、元気な男の子を出産しました。夫婦で子供の名前を考えている時、夫がふっと思い付いたように、 

 「きみが、ぼくと初めて出会ったあの日に見たという、その男の子の名前を付けないか?彼は、ぼくたちのキューピッドなんだから」

 と、提案するので、陽子さんも異論なく、男の赤ん坊は『誠(まこと)』と、命名されました。

 やがて、その誠も、三歳となり、近くの保育園に通うようになると、陽子さんは、再び、以前の本屋さんで働き始めました。すると、それから一年ほど経ったある日のこと、誠が独りで保育園から帰って来るや、陽子さんのいる本屋さんまで来て、ニコニコ笑いながら、

 「今日は、お母さんにいいものあげるよ」

 と、言うなり、自分の園児服のポケットから何かをつかみだし、陽子さんの掌(てのひら)に載せたのです。それは、可愛い紙に包まれた一つの飴玉でした。俄に、過去の出来事を思い出した陽子さんが、びっくりしながら、

 「これって、お母さん前にも・・・」

 「うん、ちょっと、お祝ね。ぼくが前にお母さんにあげたのはミカン味だったけど、今度のは、イチゴ味なんだよ。だって・・・」

 と、誠は少し言葉を選んでから、胸を張るようにして嬉しそうに言いました。

 「だって、今日は、ぼくがお母さんとお父さんを出会わせた日なんだもん」



  こんな不思議な話なら、幾つ聞いても楽しいですよね。

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上条の第二踏切 [不思議な話]


上 条 の 第 二 踏 切 



    これは、わたしが以前、女性の友人から聞いた話です。
    
    下高井郡山ノ内町の上条という所には、長野電鉄線の二つの踏切があります。

    一つ目の踏切は、山ノ内町役場の上にある、通称第一踏切といい、もう一つ目は、それよりも中野市寄りとなる、通称第二踏切といいます。

    第二踏切の周辺は、りんご畑や桃畑が一面に広がる農業地域で、北には高社山の悠然たる姿が望め、ちょうどこの春真っ盛りの頃は、一斉に咲き競う菜の花や果樹の花々で辺りは埋め尽くされ、それは見事な景観をおりなす、さながら絵画の世界となるのです。

    しかし、その第二踏切には、昔から、ある不思議な話が付きまとい、夜は決して一人ではあの辺りへ行ってはいけないと、子供たちは大人たちから言われていたのだといいます。

    ある夏の蒸し暑い夜、一台のタクシーが、その第二踏切に差し掛かった時、その踏切の遮断機のそばに、真っ白なワンピースを着た、髪の長い一人の若い女性が立っていたのだそうです。

    「こんな真夜中に、若い女が一人で立っているなんて、誰かと待ち合わせでもしているのかな?」

    タクシーの運転手は、不思議に思いながらも、そこを通り過ぎようとした時、その女性がやおら片手を上げて、そのタクシーを停車させようとするのが、ヘッドライトの光の中に浮かび上がったのでした。

    タクシーの運転手は、一瞬、不審を感じたのですが、ちょうど乗車予約客もいなかったため、その女性を乗せてもいいと思い、彼女のそばでタクシーを停めました。車のドアを開けると、女性は無言で乗り込んで来て、後部座席でじっと俯いています。

    「どちらまで行かれますか?」

    タクシー運転手が訊ねると、女性は、長い髪の間に、ほんのわずかにのぞいた蒼白い顔を少し上げ加減に、やっと聞き取れるほどの小声で、

    「湯田中駅までお願いします・・・」

    と、言うので、運転手は、ゆっくりとタクシーを発車させました。運転手は、バックミラーで、時々女性の様子を観察しながら、

    「湯田中駅では、どなたかと待ち合わせですか?」

    それとなく訊ねたのですが、女性は、返事をしません。ただ、じっと俯いた姿勢のまま、黙って座っているばかりです。

    やがて、タクシーは、湯田中駅まで到着したのですが、既に終電が発車した後ですから、駅の構内もすべて電気が落ち、辺りは真っ暗で、こんな所へ若い女性一人を置いたまま帰ってもいいものかと思った運転手が、少々心配顔で、

    「ここでいいですか?〇〇円になりますが-----」

    と、後部座席を振り返った時、そこには女性の姿はなく、シートが水でも流したかのように、ぐっしょりと濡れていたのだそうです。



    このタクシーに乗る幽霊の話は、今でも、この上条地区に住む子供たちの「夏の怪談噺」の定番だということです。


    ***  写真は湯田中駅に停車中の「特急ゆけむり号」

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