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ごめんなさいの言えない人 [日々の雑感 6]


★ごめんなさいの言えない人★



    日本には、昔から『お詫びの美徳』という文化がある。

    これは、きわめて特殊な考え方であり、他の外国ではおそらく想像も出来ないような感性であると言えるが、武士道の『切腹』や負け試合で頭を丸めるなどという行為は、正にこれにあたるものである。

    やくざの世界には、指を詰めるということなどもあるようで、自分が悪かったとか、負けたと思った時は、その事実を正直に受け止め、潔く非を認めることが、すなわち美しいこと、男らしいことという感覚が備わった民族が日本人なのである。

    そのために、日本語には、お詫びを表現する言葉が他国に比べて多いそうである。

    「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」「お許しください」「ご容赦ください」「謝罪します」「謝意を表します」「すまん」「悪い」「失敬」「失礼」「お詫びいたします」

    まだまだ、あるだろう。

    しかし、最近、こういう文化を是としない、日本人がもの凄く増えて来たように思う。

    自分が悪いと思っても、決して「ごめんなさい」を言わない。詫びるどころか、自分の方を肯定さえする鉄面皮たちのいかに多いことか・・・・。

    また、そういう恥知らずの卑怯者に限って、おもての顔は究極の善人面を見せているのである。

    そういう人間は、女性に多いのもこの国の特徴のようで、また、周囲が平気でそういう女たちを容認しているのだから始末が悪いのだ。

    意地っ張りで、腹黒い、目立ちたがり屋の女たちが、この国をダメにしていると言っても過言ではない。

    自分の子供が公共の乗り物の中で他の乗客に迷惑をかけても、その子を叱るどころか、

    「おっかないおじちゃんに『めっ』されたら困るよ」
  
    こんな風に他人に罪をなすりつけるような子育てをする、最低な人間たちである。

    まともに謝罪の出来ない自分本位の女性たちの増殖が、ますます日本をダメにして行くように思うのは、わたしだけではないはずである。

    彼女たちは、自分を悪く言う人間はすべて敵であり、排除しなければ気が済まないとさえ思っている。

    たった一言「ごめんなさい」と、言えば、すべては丸く納まるはずにもかかわらず、意地を張って言わないがために、自らの墓穴をどんどん大きくしていくのである。

    自分の価値を貶めて、友人をなくしながらも、それでも頑なに自らは正しいと言い続ける実に虚しい人間たちと言わざるを得ないのだ。

    そういう女性、あなたの周りにもいませんか?

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日本人の貧困感に疑問 [日々の雑感 6]


日本人の貧困感に疑問


    どうして、皆さん、不景気だ、不景気だといいながら、毎日毎日、素敵なレストランで外食をしたり、ケーキやパフェを食べたり、旅行をしたり、食器や洋服を買ったり出来るんでしょうね?

    わたしには、不思議でなりません。

    不景気なんて、本当は嘘で、皆さんお金持ちなんじゃないですか?

    日本の政府は、国民に騙されているんじゃないんでしょうか?

    だって、ブログを読んでいれば、あれを買った、これを買った、あそこへ行った、これを食べた、そんな記事ばかりです。

    ランチが2000円。とてもお得でした!----なんて、記事もありましたよ。

    信じられません。バブルの頃だって、わたし自身はランチに2000円も使ったことはありません。

    それとも、ブログを書いている人たちは、物すごくお金持ちの人ばかりなんでしょうか?

    以前、自民党の麻生元総理は、「ホテルのバーは安い。三万円でおつりがくる」と、言っていたことがありましたが、その感覚とさほど変わらない言葉です。

    だって、自動車で遠出をすればガソリン代だってかかるでしょ?公共交通機関の運賃だってバカにならないし・・・・。

    夏の参議院選挙の際、幸福実現党という党の参議院選の立候補者が家の前に立っていて、「どうして、この街はこんなに人通りがないんですか?」なんて訊くものだから、観光客が激減していて、旅行に来た観光客もお金を落とさなくなったからだと答えると、本当に驚いていました。

    でも、どうして、今更驚いたりしているのでしょうか?

    国会議員に立候補するのなら、そのくらいの現状は熟知していて当然じゃないですか?各商店の経営状態も知らない人が国会へ行って、何をしようというのでしょうかね?

    まったく、理解不能なことばかりです。

    こんな明日のことが判らない世の中です。今あるお金は、万が一病気になったり寝たきりになったりした時に使おうと思えば、おいそれと買い物なんか出来ませんよね。これまでは毎年何回か温泉旅行に来ていたお年寄りたちも、年金をもらっても溜めこむ一方で、誰も無駄遣いなんかしませんよ。

    給付が始まった子供手当も、市長さんが、「子供さんの学費や、塾代に使って下さいね。絶対、大人のためには使わないでくださいね」と、言いながら、子供連れの主婦に渡していましたが、インタビューに答えた主婦たちは、「家族で旅行へ行く資金にします」とか「レストランでおいしいものでも食べます」なんて、平然と言っていました。 

    本当に、国民の血税からねん出した子供手当をなんだと思っているのでしょうね?

    あんな主婦たちの道楽や贅沢のためにびた一文だって使われると思うと、腹立たしいばかりです。

    大学進学を希望する子供たちの奨学金に使うとか、何かもっと有意義な別の使い道を考えてもらいたいものです。

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夕張市の急患要請拒否について [日々の雑感 6]


夕張市の急患要請拒否について


    北海道の夕張市といえば、2007年、財政債権団体になった自治体だよね。

    そこの診療所の医師が、先月、首つり自殺を図った五十代の男性の受け入れを断わっていたというニュースがあった。

    この診療所の村上智彦医師は、男性が既に心肺停止の状態にあると聞き、外来患者の診療中でもあり、対応不可能として救急隊からの受け入れ要請を断わったそうで、この診療所は昨年九月にも同様に首をつった状態で見付かった男子中学生の受け入れを断わっていたそうだ。

    村上医師は、「首つりと聞いて検案(死亡確認)のケースと判断した。緊急性が低く、自分は外来もあったため、他の医療機関で対応してもらいたいと伝えた」と話しているそうで、藤倉肇市長は「誠に遺憾という思い。市立診療所の開設者として総括が必要だ」と語ったという話だ。

    でもね、「誠に遺憾」と言ったって、心肺停止状態の患者を診療所へ運んで何が出来るって言うわけ?

                         結果、死亡確認をするだけの話でしょ?

    しかも、事故や事件、災害に遭った事例じゃない。自殺でしょ?

    わたしは、この医師の判断に間違いはなかったって思うけれどね。

    わたしも以前、病院で採血をしてもらった時、どういう訳か家へ帰って来たら採血した腕の血管が紫色に浮き出て来てしまって、あまりに不気味だったので、翌日は休診日にもかかわらず救急外来へ駆け込んだことがあった。

    そうしたら、わたしのあとから中年の男性が一人、奥さんと思しき女性とやって来て、「親指の第一関節から上が取れてしまった!」と、言う。何かの機械で切ってしまったらしいのだが、もう、夫婦そろって顔面蒼白。

    そりゃァ、そうだよね。指が取れちゃったんだから、もうパニックだよね。

    もちろん、取れたとはいっても、取れた親指をくっつけて来たんだけれど、その日の救急担当の外科医は落ち着いたもので、先にわたしの方の診察をしてくれるという。

    わたしは、向こうの人の方が緊急だからと、遠慮したんだけれど、医師は、それでもわたしの方を先に診ると言って、わたしは診察してもらった。結局、採血の際に血管を針が突きぬけてしまい、腕の止血がうまく行っていなかったための事故だったようだ。

    でも、聞けば、こういう一見ささいなことの方があとで重大な症状を引き起こすことがあるので、わたしの方を優先したという。しかし、親指が取れているのは、単に親指が取れているだけのことで、当面、命に問題が生じることではないそうで、その後、その医師は、男性の親指を上手にくっつけてくれたそうだ。

    つまり、医師たちの判断は、素人には理解できない場合が多い。

    どれが優先で、どれが後回しでもいいかなどという判断は、結局、現場の医師にしか判らないことなんだよね。

    もしも、村上医師が、外来患者を放りっぱなしのままで首つり自殺者を診察していて、その外来患者の症状が急変したら、「遺憾だ」と、言った市長は、どう責任を取るつもりなのだろうね。

    首つり自殺者も死亡、外来患者も死亡-----そういうことだってない訳じゃないでしょ?

    誰も来手のない破産自治体の診療所で一生懸命働いている医師に、あまり負担をかけるようなことをして欲しくないよね。下手な責任追及なんかしたら、また、医師がいなくなってしまうよ。

    その方が困るんじゃないの?



    ***  この記事は、本件が報道された直後に書いたものです。


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倹約の我慢も限界か!? [日々の雑感 6]


倹約の我慢も限界か!?


    この前の週末に買い物に出た。

    何処のスーパーも人、人、人。

    いったい何処にこんなに人間がいたのかと思うほどの込み具合だった。

    駐車場も満杯で、駐車待ちの車が出ているほどだ。

    各家庭は、連休でさえも遠出を控えて節約、倹約に努めてきたが、もはや、それも限界に達したらしい。

    人間は、どんなにその時は出費を抑えたとしても、やはり、必要な物はいつかは買わなければならないもので、その時期が早いか遅いかの違いだけなのだ。

    我慢を続ければ、必ず何処かでその反動は来る。

    今までは、高いお米を買っていた人が、安いお米に替えることはあっても、お米は食べるのだ。不景気で給料が減ったから、今日から我が家は米なしだ-----と、いう家はまずないだろう。

    しかし、外食する回数を減らすとか、旅行の回数を減らすということならば出来るはずである。

    人間、外食をしなくても、旅行をしなくても死ぬわけではない。

    宝飾品を買わなくても、高級車を買わなくても病気になる訳ではない。

    こういう言わば趣味や嗜好のために支払うお金には、多額の税金をかけ、どうしても生活に必要な水道代、ガス、電気代、灯油代、贅沢品以外の食費、洗剤、トイレットペーパーなどの紙代、最低限必要な文房具用品、そのようなものには消費税をかけるのをやめて頂きたいものである。

    「お母さん、お刺身食べたい」

    小学校低学年ぐらいの女の子が言った。

    「そうね、久しぶりにお刺身、買って行きましょうか?何がいい?」

    母親が訊ねる。と、少女は、冷蔵ケースの中に並ぶお刺身の数々を眺めて、まず、タイの刺身に手を伸ばしかけてから、すぐその横のカジキのぶつ切りを手に取った。

    「これがいい」

    「ほんと?これでいいの?」

    母親は、ちょっと悲しそうな目で訊く。少女は、うんと、頷き、

    「あたし、カジキが大好きなの」

    嬉しそうに答えてそれを籠の中へ入れた。

    タイのお刺身は、一パック580円。カジキのぶつ切りは一パック299円。

    少女は、母親がいつも生活費を節約している姿を見ているらしく、本当はタイのお刺身が食べたかったに違いないのだが、ちょっぴり我慢をしたのだ。

    これが、ほとんどの日本国民の姿なのである。

    この少女は、もちろんバブルで日本中が浮かれていた時代のことなどは知らない。だから、今の生活が当たり前だと思いながら大人になるのだろう。

    高級レストランで外食三昧の政治家たちは、自分たちの食卓をこの少女に見せることが出来るのだろうか?

    答えは、そこにあるのではないかと考える。

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SEX AND THE CITY [日々の雑感 6]


SEX AND THE CITY


    『SEX AND THE CITY』

    このドラマって、前に深夜放送でやっていたと思うんだけれど、この間テレビで映画版をやっていたので、観てみた。

    一口で言うと、ニューヨークに住む四人の四十代女性が友情と恋愛に悩みながらも逞しく前進する、都会派のラブ・コメディだ。

    テレビ版で観ていた時は、どうしてこんなに彼女たちは、とっかえひっかえお色直しのように服を着替えるのか疑問だった。しかも、主人公の四人がそれほど美しくない。(可愛らしくはあるけれど)

    まあ、何処にでもいる白人の女性という感じで、それがまた親近感を与えてウケているのだろうと思う。

    しかも、彼女たちのファッションが、このドラマの一つの売りなんだろうけれど、何と言うか・・・・、今の日本人の感覚からすると、少々田舎っぽいのだ。でも、これもまたご愛敬。

    確かに、デザインの奇抜さや色彩センスは素晴らしい衣装なんだろうけれど、これが現在のアメリカなんだろうな・・・・って感じ。

    でも、ストーリーは、軽くて楽しい。

    映画は、女性主人公のキャリー・ブラッドショー(コラムニスト)が、十年付き合った裕福な実業家のミスター・ビッグとようやく結婚へこぎつけたところから始まる。

    ニューヨークのビルの最上階にあるゴージャスなペントハウスで、夢の新婚生活が始まることを期待しているキャリーは、友人のシャーロット・ヨーク(お嬢さま願望が強い純愛主義者)、ミランダ・ホップス(ハーバード大出の弁護士)、サマンサ・ジョーンズ(PR会社社長で他の三人よりも少し年上・恋愛積極派)たちを前に、有頂天。

    しかし、当のミスター・ビッグは、過去に結婚に失敗していることもあり、いまひとつ慎重な様子で、式の前日もキャリーに不安を漏らす。それでも、キャリーは、明るく彼を励まし、翌日は素晴らしく優雅なウエディング・ドレスで結婚式会場までやって来るが、いつまで待っても新郎は現われず。

    そして、彼女の元へようやくかかった携帯電話で、「やはり、無理だ」と、彼は告げる。

    ウエディング・ドレスのままで、ミスター・ビッグと路上で会ったキャリーは、感情を爆発させて彼をバラのブーケで殴りつけ、友人三人とメキシコへ傷心旅行へ旅立った。

    確かに、荒唐無稽のようなお話だが、煮え切らない男に振り回される女性の悔しさや、憤りがコミカルな中にもしっかりと描かれている。

    どんなに偉そうなことを言っても、格好つけても、やっぱり女性は、花嫁姿にあこがれ、お姫様になりたいのだということが堂々と宣言されたドラマなのだ。

    そういう意味では、『マイフェア・レディー』や、『シンデレラ』から、女性の心理は一歩も進化していないようである。

    また、そうでなければ、こういう古典的な内容の恋愛ドラマが、高視聴率を稼ぐはずがないのだ。

    ただ、ミスター・ビッグが結婚をためらった原因には、自分の夫の浮気を責めていたミランダの結婚を否定する一言があったためではないかと、ミランダ自身が悩むシーンもあり、女性同士は、自分よりも幸せになる友人を心の底では素直に祝福できないという現実も、さりげなく提示していた。

    こんなこと、実際はあるわけないでしょ----と、思いながらも、それでもつい観てしまうといった毒にも薬にもならない愉快なドラマではある。

    ただ、一つこのドラマのストーリーから学ぶものがあるとすれば、それは、人間は誰しも孤独であり、どんなに素晴らしい恋愛をしても、他人同士である以上は永遠のハッピーエンドはあり得ないということ。

    だからこそ、友情は大切に-----なんだろうね。

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フード・ファディズム [日々の雑感 6]


フード・ファディズム


    『フード・ファディズム』なんて言葉が最近はやり始めたらしいね。

    一時的食の流行とでも訳すのかな?

    なんでも、これさえ食べれば綺麗になる、痩せられる、健康になる----そんな宣戦文句に踊らされて、みんながいっせいにその食べ物に飛び付くことを表わす言葉らしい。

    そういえば、以前、テレビの健康番組が原因で、納豆が爆発的に売れたり、青ミカンやバナナ・ダイエットで痩せたなどという女性タレントの言葉をうのみにして、バナナを大量に買った女性たちもいたそうだね。

    玉ねぎなんかは、確かに血糖値を低下させたりする物質を含んではいるらしいけれど、人間がこれを食べて血糖値を下げようとすれば、それこそ膨大な量を摂取しなければならない計算になるそうだ。

    ヘルシーと言われる食品を食べ続けたおかげで、逆に病気になってしまうよね。

    それから、『バランス栄養食』なんて、CMをしている食品があるけれど、これも、災害時の非常食などには適してるそうだけれど、栄養成分を見るとすごく脂肪が多いんだって。

    こんなものを毎食食べていたら、絶対に肥満になってしまうね。

    人間は、不安をあおるような情報には特に弱いから、健康問題にはことさら敏感なんだよね。

    「現代は、ストレスが多い社会ですから、ストレスに打ち勝つため、この食品をどうぞ」

    「肥満は、心臓病や高血圧の大敵。肥満解消には、これを食べましょう」

    こんな情報にばかり振り回されていれば、結局、自分自身を見失ってしまい、拒食症や過食症に走ることにもなり兼ねないんだと思う。

    だから、自分が今接している情報は正しいのか?っていう、情報を疑う力が必要なんだそうだ。これを、『情報リテラシー』って呼ぶんだって。

    健康に必要な三要素は、「栄養」「休養」「運動」で、これに非喫煙が加われば良いんだそうだけれど、まあ、さほど長生きにこだわらない人は、喫煙だって他人の迷惑にならない範囲なら、別にかまわないんじゃないかと思う。

    だって、健康ということは、長生きとイコールじゃないからね。

    健康で短命、不健康で長寿、こんなこと何処にも当たり前にあることだから・・・・。

    まあ、人間、「そこそこの食事で、そこそこの健康」----これが一番いいんじゃないのかな?

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剣道の胴着の洗い方 [日々の雑感 6]


剣道の胴着の洗い方


    わたしの甥っ子も小さな頃から剣道を習っていますが、剣道は、お子さんたちが礼儀作法や努力、忍耐、責任感、思いやりなどを学ぶには、とても良いスポーツだと思います。

    ただ、そんな剣道少年を持つお母さまたちが頭を悩ますのが、胴着や袴の臭いだとも言われます。

    柔道や野球などと違い、剣道の胴着や袴は、あまり洗わない、もしくはまったく洗わないものだと、思い込んでおられる人もいるようですが、そんなことはなく、どんどん洗っていただいて結構です。

    特に、胴着は汗もしみ込みますし、毎日でもお洗濯して下さい。ただ、洗うとどうしても色落ちはしますから、昇級や昇段試験などの時は、試験官への心象に影響するという場合もなきにしもあらずですが、子供さんたちの衛生面を考えれば、こまめにお洗濯されるのがよいと思います。

    そして、その胴着の干し方ですが、天日干しの場合は裏返して干して下さい。色落ちしにくくなります。

    陰干しや室内干しでしたら、そのまま表を出して干して良いそうです。

    また、袴は、胴着に比べればそれほど頻繁に洗う必要はないとは思います。

    袴にも色々種類がありまして、綿袴は型崩れもしやすく、洗濯後のアイロンがけも大変ですから、基本あまり洗いません。

    テトロンの袴の場合は、これは、綿袴と違って洗濯も簡単に出来ますので、充分お洗濯が可能です。干す時も、ひだを整えてから袴の裾の方へいくつか洗濯バサミなどを重り代わりにつけて干せば、乾いたあとのアイロンがけもしないで済むので、とても重宝です。

    そして、小学生の子供さんを持つお母さまたちにお薦めなのが、最近登場し始めたジャージ袴です。

    このジャージ袴は、ジャブジャブ洗ってもらっても大丈夫ですし、干してもすぐに乾き、型崩れもしませんから、とても便利なのです。

    そして、剣道では、この他にも面、胴、小手などの防具も臭いの原因になり易いのですが、消臭効果のある除菌剤(ファブリーズ等)をかけておきますと、かなり軽減できると思います。

    また、現在では、このような防具も予め抗菌されている物が市販されていますから、防具を購入する際は、よく検討されるとよいでしょう。

    こうした様々な方法をうまく組み合わせることで、剣道に付き物の臭いや衛生面の悩みはかなり改善出来ます。

    皆さんも、清潔な胴着、袴、防具で、お子さんたちに楽しく剣道を学ばせて差し上げて下さい。 


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男のおひとりさま時代 [日々の雑感 6]


男のおひとりさま時代


   
    女とは、本当にどうしようもなくしたたかで計算高い生き物だと思う。

    こんな風に思うのは、わたしがある意味、男でも女でもない思考の範疇にいるからなのかもしれない。

    世の男性たちを見ていても、なんでそんなことが判らないのか?と、思うこともしばしばだが、それ以上に女たちの狡猾さには舌を巻くばかりである。

    自分の方へ周囲の視線を集めたいと思えば、自身の立場など関係がないのだ。とにかく、がむしゃらに目的のために突き進む。そこには、こうあるべきのような世の常識などまったく意味をなさない。

    己の本能の赴くままに突進するのみなのだ。

    彼女たちを見ていると、正に上海事変時の爆弾三勇士を彷彿とさせる。

    しかしながら、表向きだけは体裁を整え、甘言を弄するのだ。

    そんな言葉のまやかしに、男性たちはまんまと乗ってしまう。いや、男性ばかりではない。素直で純粋な心の持ち主たちは、男女にかかわらず簡単に騙されてしまうのだ。

    そして、そういう女たちは、自分の世間的地位や贅沢な暮しを維持するためになら、臆面もなく男性たちの寂しさに付け込んで行く。

    最近、とみに世間を騒がせた三十代女たちの犯行による複数の知人男性失踪事件も、こうした風潮の究極の姿であろうと、思うのだ。

    では、どうして、こんなにも簡単に騙される男性たちが多いのか?

    それは、一言で言って、男性の日常生活における女性依存度があまりに大きすぎるからなのである。

    炊事、洗濯、育児に家計、家事全般を男性が一人で出来れば、これだけの便利な世の中である、正直、女など不要だと思ってもおかしくはない。

    かくいう、わたしの弟などは、「女房など、うっとうしくて、金食い虫で、役立たずのごくつぶしだ」と、言っている。

    男に、経済力も生活力も伴ってさえいれば、女性には子供を産んでもらえばいいだけで、あとは必要などないのだ。

    こういう考え方は、以前は女性がするものだった。

    男は、給料さえ運んでくれればいい。子供が産まれたら用済みだと-----。

    しかし、その言葉は、今、そのまま女たちに向けて、男たちから発せられ始めている。

    そうなれば、これまで以上に晩婚化や少子化は進むだろう。

    これからは、男性にこそ「おひとりさま力」は、試される時代が来たのかもしれない。


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「奇跡」と「偶然」は違う [日々の雑感 6]


「奇跡」と「偶然」は違う


    『奇跡』----ありそうもない不思議な出来事。

    『偶然』----思いがけない予想できない状況で、たまたまそうなること。


    国語辞典には、このように意味が書かれています。

    

    しかし、わたしたちは、とかくこの二つの物を安易に混同しがちです。

    客が大勢入っているレストランで、たまたま一つだけテーブルが空いていたとします。果たして、これは『奇跡』か『偶然』か?

    おそらくは、いえ、間違いなく『偶然』でしょう。

    何故なら、レストランにテーブルや椅子があることは決して不思議なことではありませんし、その中で一席ぐらい空席があったとしても、特別不自然なことではないからです。

    しかし、やたらに自分には『奇跡』が付きまとうと思い込んでいる人にとってみれば、このようなささいな『偶然』さえも、『奇跡』だと言いたくなるようなのです。

    では、『奇跡』とは、いったいどのようなことを言うのでしょうか?

    キリスト教の定義する『奇跡』を起こしたとされる聖職者は、『聖人』と称されるのですが、その人物が成し遂げたことが本当に『奇跡』に値するものかを認定するまでには、相当綿密な検証がなされ、万が一にも『偶然』の入り込む余地がないと確証が得られた場合のみ、その人物は『奇跡』を起こしたと、認められるそうなのです。

    しかし、その認定が決するまでには、長ければ100年もの歳月がかかるのです。

    しかしながら、近年人々の間に起きる『奇跡』は、なんと簡単な物なのでしょうか?

    前日A市で顔を合わせたかつての同級生と、翌日も、今度はB市で出会ったら、それも『奇跡』になってしまうのです。しかし、これは単に『奇遇』でしかないはずなのです。

    さっきまで大雨だったのに、出かけようとした途端にカラリと晴れた。これとて、『偶然』でしょうし、決して、あなたが天気をコントロールしたわけではないでしょう。

    タクシーに乗りたいと思っていた矢先、目の前の道路をタクシーが走って来た。これも、その道路が一般道であれば、まったく不思議なことではないのです。

    では、このタクシーがごく普通の車体構造をしていたにもかかわらず、海の上を時速100キロで走って来たとしたら、これは確かに『奇跡』と呼べるでしょうし、天気に関しても、あなたが何の道具も使わず、自由自在に雨、晴れ、雪、台風などををコントロール出来るのならば、それは一種の『奇跡』かもしれません。

    ですから、『奇跡』は、そうそう容易くその辺りにゴロゴロと転がっているものではないということなのです。

    未来を予想して、それがたまたま的中したからと言って、自分には『奇跡』を起こす力があるなどと、軽率に吹聴しないことです。

    『奇跡』とは、あり得ない時間、あり得ない場所に、あり得ないことが起きた時こそ、そう呼ぶことがわずかに可能となる物なのですから。

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最近のファッション [日々の雑感 6]


[ブティック]最近のファッション


  
    わたしが洋服を買うのは、ほとんどがスーパーの洋品コーナーなのだが、最近のファッションはどうも理解不能なのである。

    少し前までの洋服の展示の仕方は、だいたい同じデザインの物が同じ場所にディスプレイされていたものである。

    しかし、今のディスプレイの仕方は、洋服の色や素材は統一されているものの、そこに並べて下げられている服のデザインはまったく違うものなのである。

    おそらく、これらを好きなように組み合わせて着て下さいと、いう趣旨なのであろうが、これをどうやって組み合わせたら服として成り立つのか、どうにも疑問なものが大半なのである。

    それらは、洋服というよりも正に布そのものといったような形だ。

    丈の長いTシャツのような物が並べてあるかと思えば、しかし、そのTシャツの胸の部分は大きく開けられ、これ一枚ではとても着て歩ける代物ではない。そこで、ここへもう一枚Tシャツを組み合わせて重ね着をするようなのである。

    ところが、これだけでは単なるワンピースになってしまい、芸がないらしい。そこで、さらに下半身には中途半端な長さの昔の言い方で言えばスパッツを履くのである。

    とにかく、さまざまなデザインの服が幾つも並べられている中から、自分が気に入った物を何点か組み合わせコーディネイトするらしい。それが、その人の個性になるというのが、最近の服飾デザイナーの作る洋服のコンセプトなのであろう。

    つまり、お客一人一人のセンスがファッションを作り上げるというものであるらしい。

    しかし、寒い間ならともかく、これからの暑い季節に重ね着など好きこのんでする人たちがいるのだろうか?

    それとも、おしゃれのためならばうっとうしさなど我慢できるというのだろうか?

    若い人たちのための洋服ならばそれも判るが、中高年の人たちの着るものまでもが、このような形になっているのであるから、驚くばかりだ。

    わたしがあれこれと洋服を品定めしているすぐ隣で、七十歳ぐらいの女性が、やはりそこにかけられている洋服を手に取りながらこんなことを呟いていた。

    「これ、何処かで見たことがあると思ったら、戦後の浮浪者の格好だよね。今は、こういうのが流行りなんだねェ」

    な~るほど、確かに、そうだと、わたしも内心ようやく合点が行った。

    色や素材こそ統一されてはいるが、何枚も身体に巻き付けることを考えれば、正に浮浪者ファッションである。

    沢尻エリカが着ていたファッションで、ジーンズの膝をわざと擦り切れさせたものがあったが、それを観ていたわたしの父が一言。

    「片方のオボ(膝のこと)だけ覗かせるのが良い訳だ。穴の開け方がダサいと、本当の物乞いになっちまうんだな。それにしても、頭にデカイ花を飾って白無垢を着たり、そうかと思えばオボの開いたジーパンを履いたり、まるで七変化みたいな娘だな」

    父親世代には、美しいとか格好いいとかを通り越して、単なる風変わりな女の子に見えているだけのようである。

    それにしても、洋品コーナーでは何も買う物がなかった。

    こんな流行がいったいいつまで続くのだろうか?

    早く、まともな洋服が店頭に並ぶようになって欲しいと思っているのは、わたしだけではないはずである。

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