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携帯が脳腫瘍の原因? [日々の雑感 4]


携帯が脳腫瘍の原因?


 昨今、携帯電話の基地局の近くに住む子供たちに、気分が悪くなるとか、白血病の確率が高まるというような報告が、一部でなされており、長野県内でも、小学生の子供を持つ母親たちが、学校周辺にある基地局の撤去を求めているというニュースがありました。

 これは、以前、電力供給のための高圧線が通っている周辺の子供たちに白血病の発症率が高いという報道があったこととも、似ています。

 携帯電話の基地局からは、かなり強い電磁波が発生していることもあり、成長期の子供の身体にとって、悪影響を及ぼす確率が高いと考えられるという、研究報告もあるといいます。

 少しでも、そういう影響が考えられるのであれば、やはり、基地局の移転を検討するのは当然のことだと、母親たちが行動を起こすのももっともなことです。

 そして、今度は、携帯電話そのものが、子供の身体に悪い影響を及ぼす可能性があるか否かを調べるということで、東京女子医大の研究グループが、全国調査に取り組んでいるそうです。

 グループの公衆衛生学が専門の佐藤康仁(さとうやすと)助教によると、携帯電話は頭に近付けて使用するために、脳腫瘍の発生が増えるなどの健康面に対する影響が考えられるということで、大人を対象とした国内外の研究ではリスクがあるという結果と、ないという結果の両方が出ているとのことです。

 しかしながら、子供が対象の研究はほとんど実施されておらず、世界保健機関(WHO)は、この研究を各国に要請。これを受けて、佐藤助教たちのグループが、調査を始めたのです。

 「子供は、頭蓋骨が小さくて薄く、小さな頃から携帯電話を使うことで、電磁波にさらされる量も多くなる。状況に違いがあり、大人の研究結果を子供に当てはめることは無理がある」

 佐藤助教は、こう解説しています。

 そのため、調査項目は、携帯電話を使い始めた時期、一日の通話時間や回数、左右の耳での使い分け状態、耳に近付けずに通話できる装置の利用の有無、電子メールの使用状況などについてで、小学四年生から六年生を対象に、データを集めているということです。

 さらに、四ヵ月ごとの追跡調査も行い、脳腫瘍や白血病などの病気での入院がないか、交通事故やその他の事故に遭っていないかなども把握したいということでした。

 世の中の文明の利器は、日々進化して、昔の子供では考えられない脅威にさらされる現代の子供たち。便利さの陰に潜むリスクの正体にも、気を配らねばならないという、厄介な時代になったものだと思います。

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「おもてなし」の極意 [日々の雑感 4]


「おもてなし」の極意


    「おもてなし」に極意などあるなら、誰も苦労はしないと、思う方は多いでしょうね。

    わたしも、そういうものがあるのならぜひ知りたいと思います。しかし、「極意」というほどのもではないにしても、わたしは、ある新聞の投稿記事で、なるほど、これはある意味、理のある方法だなァ・・・・と、感じたものがあるので、ご紹介しておきたいと思うのです。

    その女性は、横浜市の方なのですが、ある時、東京の銀座へ妹さんと用事に行かれたのだそうです。ちょうど、資生堂ビルの前を通りかかったので、三階のコーヒーショップに入ったのだといいます。

    そのコーヒーショップは、普段着の女性たちには、気後れするほどに上品な店で、真っ白なテーブルクロスの上に季節の可愛い花が飾ってあるような客席が並び、制服を着たハンサムなボーイさんたちがまるでドラマに出てくるような親切な態度で、椅子を引き、女性たちを腰かけさせてくれたのだそうです。

    ウェイターがスマートに手際よく注ぐコーヒーを堪能し、その後、ある種の好奇心からトイレも見てみようと入り、そこにいた他の客と立ち話をしてから、店内へ戻ると、ウェ―トレスたちが、独りで来ている客たちの話し相手をしていたというのです。

    女性は、格式ばったイメージだけではなく、こうしたやさしい思いやりに満ちた、客一人一人を退屈させたり孤独にさせないさりげない気遣いに、感銘を受けたということでした。

    「おもてなし」と、一口に言っても、その形式は様々ですし、また、それを受け止める客側の心理状態も一様ではありません。四角四面にきっちりとしたマニュアルに沿ってなされなければ「おもてなし」とは呼べないと、いう人もいれば、そんな心のこもっていないような対応では、満足できないという人もいるでしょう。

    わたしも以前、老舗高級ホテルと呼ばれるところのパーティーに出席したことがありますが、そこのウェイターたちは、まるでロボットのように無表情で、決まりきった行動しか取れない人たちで、実に奇妙な感じがしたのを覚えています。

    人間は、機械ではありませんから、人が集まる場所にはハプニングは付き物です。そういう思いがけない状況にも対処できる応用能力がなければ、本当の「おもてなし」とはいえないと思うのです。

    ワイン・ソムリエ世界一の座を獲得した田崎真也さんが在籍していたことでも有名な、東京のホテル西洋銀座では、昔からバトラーサービスというものがあるといいます。要するに、貴族に仕える執事のように、宿泊客が望むさまざまなサービスを提供するというコンシェルジュたちがいるのです。

    彼らのモットーは、「紳士淑女をおもてなしする私たちもまた、紳士淑女である」と、いうものだそうです。

    彼らバトラーたちは、ホテルと顧客の良好な関係を築く中で、それをより深化させ、顧客の好みを熟知し、顧客はそのホテルスタッフを愛することで、ホテルに快適さを感じるようになるのだというのです。

    そう考えると、「おもてなし」とは、即ち、そこで働く人々の「人間的魅力」なのではないかと思うのです。

    もしも、世の中に「おもてなしの極意」があるのだとしたならば、それは、「顧客の気持ちに寄り添う」----これに尽きるのではないでしょうか。

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ブログ記事の責任とは? [日々の雑感 4]


 ブログ記事の責任とは?


 ブログの記事に対して、「ブロガーは責任を持て」という人がいる。

 ブログの責任とは、そもそも何なのであろうか?ブログなどというものは、大概において無責任なルールで成り立つようなものである。だいいち、書いている本人が、実名すら公表する必要がないのである。性別だって、事実かどうか知れたものではない。

 それにもかかわらず、書いている本文には真実のみを書かねばならないとでもいうのであろうか?自分の年齢をごまかしてはいけないのであろうか?実際は持っていない物の話を、空想で書いてはいけないのであろうか?

 自分が現在使っている薬の名前を間違えて書いてもいけないのだろうか?飼っている犬を、猫と書いてもいけないのだろうか?昨日の出来事を、一昨日としてはいけないのだろうか?

 国政に関する情報には、徹底的に調査をしたうえで、実際にその場所まで足を運んだり、インターネットの検索で詳細にデータ収集をした場合でなくては、ブログに記事を書いてはいけないのであろうか?

 個人の考えや意見を尊重して欲しいといいながら、こちらが書いた記事は尊重せずともいいのであろうか?

 責任とは、一体誰に対する責任なのだろうか?

 こちらは、政治評論家のプロではないし、この記事を書いて金銭を頂いている訳でもない。公共の電波を使い、情報を発信している訳ではないし、一個人の素人の提言に、いちいち責任が生じるなど、考えたこともないし、そんなことはあってはならないことである。

 「お前が言いだしたのだから、絶対に実行しろよ」と、こんなプレッシャーをかけられれば、誰がブログなど書くであろうか。

 しかしながら、もしも、こうしてブログを書いている人間が、政府関係者や政治家、また、その道のプロフェッショナルだというのなら、話は別である。何故なら、彼らは、国民の税金からお給料を頂いたり、それが職業であるからだ。ブログを書くにも、ある程度の専門知識や確実な数字も必要だろう。言葉を実行に移す責任もあるだろう。

 しかし、わたしのブログに関しては、そのいずれにも該当しない。

 それに、一つの物事というものは、当事者には大きな問題でも、第三者には、そこまで深刻な問題とは受け止められないこともあるのだ。かつての戦争を体験して辛酸の限りを舐めつくして来たわたしの父親世代に言わせれば、今の国内情勢など、どんな問題が持ち上がっても、春風のようなものだそうである。

 目の前で脳みそを吹き飛ばされて死んでいく友達の身体を踏み越えても生きねばならなかった世代の人間の感覚からすれば、たぶんそんなものなのだろう。

 若い人たちは、一つの物事をすさまじい大事としてとらえるきらいがある。また、そういう感性が人間形成にとってとても大切なことは承知している。それでも、人間にとっては、感覚の順番というものが個人個人違うのである。

 それこそ、北朝鮮問題が最も重要だと思う人もいれば、明日の朝食のおかずの方が最重要課題だと思う人もいるだろう。

 責任を持てという言葉も、その人間が何について最も責任を感じているかで、大きさが変わるのだ。

 いくらブログといえども、読者を欺き金銭などを詐取する意図で、まったくの嘘八百を書き連ねることは、確かに問題があるかもしれないが、それ以外の内容であれば、そこに多少の事実誤認や意識の違いが生じてもやむを得ないのが道理である。

 もしも、まったくまっさらな真実のみを書かねばならないとなれば、ブログなど怖くて誰も書きはしない。

 しかも、インターネットで調べたことが、すべて正しいこととも言えない。人は、社会的立場や、読んだ文献、育った環境などなど、諸々のことで意見も異なるものである。自分が調べたことが真実で、他の人のいうことが真実でないということを言い出せば、それこそ、個人の気持ちをないがしろにしているということに他ならない。

 自分の体験や知識を押し出して、他人の意見を批判することは簡単だが、それよりもまず、他人には他人の考え方があると理解することの方を、もっと勉強するべきではないだろうか。

 ただ、それでも読者に対して責任が生じるとすれば、それは、いったんブログに書いた記事の内容を気が変わったからと言って、安易に変更したり削除したりする行為である。そこに、賛同のコメントが入っていたりする時などは、なおのことである。

 それこそ、読者に対する裏切り行為となるからである。

 一度書いたことにこそ、それを貫く責任が生じると、わたしは思うのである。

 もう一度言うが、意見には、間違いも正解もありはしないのである。

 「自分は、こう思う」という意見を書くことはいいが、「あなたもこう思え」と、記事を書いたブロガーに強要することは、最も避けなければならない非礼だと考える。

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カツ丼は、偉大なり! [日々の雑感 4]


カツ丼は、偉大なり!


 皆さんは、カツ丼お好きですか?

 わたしは、カツ丼、大好きです。特に、ソース・カツ丼が、昔から大好物なのです。あのちょっと甘辛いウスターソースが程良く滲みたトンカツのおいしいこと。

 カツとご飯との間に敷かれたキャベツの千切りの甘さとも相まって、こんな食べ物を考え出した人は、実に天才だと思います。

 わたしは、この副甲状腺機能亢進症という病気が原因で、何年も前から、食欲がほとんどなくなり、何を食べてもおいしくなく、いつも吐き気があって、食事が取れずに大変でした。

 ところが、不思議なことに、身体がそんな状態でも痩せるということがないのです。つまり、それは、浮腫みだったのですが、そんなことは判らない素人ですから、栄養失調はますます進み、やたらにのどが渇くので、水分ばかり取っていたのです。

 これらは、病気のせいで、血液中に骨から溶けだしたカルシウムが極端に増えたことによる症状で、栄養失調の上に水分ばかりを取り続けた結果、眼球の白目の部分にまで、浮腫みが生じるほどでした。

 しかし、手術が決まっても、あまりの体力のなさに、手術中に突然死-----などということにもなれば大変だと、とにかく、手術までに何かを食べておかなくてはならないと思ったのです。

 ところが、食欲はほとんどありませんし、また、何が食べたいものがあっても、外食する体力は残っていません。母親もいろいろと食事を心配してはくれますが、まったく、食べたいと思わないのです。

 その頃になると、身体は日増しに衰え、ガリガリに痩せ始めました。手足の細さなどは、自分でも気味が悪いくらいです。皮膚は皺だらけになり、自分のことながら、これは、かなりヤバい状態だぞと、自覚し始めました。

 その時、父親が、「もしかしたら、大好きなカツ丼なら食べられるかもしれないな」と、言いだし、近所の飲食店に頼んで、毎日ソース・カツ丼を取ることにしたのです。

 最初は、「豚肉か~~」と、食傷に思ったのですが、これを一口食べて、驚きました。

 おいしいのです!久しぶりに「おいしい」という感覚を味わいました。あれほど、食べたくなかったご飯も、難なく進み、あっという間に間食してしまいました。

 その日から、ほぼ毎日のようにその飲食店から運んでもらうカツ丼を食べ続けました。

 そして、手術を済ませることが出来たのです。

 もちろん、その後も食欲がいきなり回復するということはありませんでしたが、担当医は、

 「とにかく、何でもいいから食べて下さいね。病院の売店で、スパゲティーやパンを買って来てもいいですから、好きなものをたくさん食べて下さい」

 と、言われるので、わたしも、頑張って食べるように努力しました。ある時など、母親が作ったお弁当を運んでもらって食べていると、担当医がやって来て、

 「お、いいですね~、お弁当食べているんですか。まだ、カルシウム不足は解消していませんから、もう少し頑張ってくださいね」

 と、声をかけて行かれることもありました。

 そして、退院した後も、やはり、その飲食店からいつものソース・カツ丼を取りました。久しぶりに食べたカツ丼も、とてもおいしかったです。

 あれから、カツ丼は、あまり食べていませんが、しかし、時々、無性に食べてみたくなります。

 少し大げさに言えば、わたしにとって、カツ丼は、正に、命を繋いでくれた食事だったのかもしれません。

 本当に、カツ丼は、偉大なり!-----です。 [手(チョキ)]



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本当の親切とは・・・? [日々の雑感 4]


❤ 本当の親切とは・・・? ❤


 わたしは、半年ほど前から、ようやく共同浴場へ一人で入ることが出来るようになりました。

 共同浴場へ行けるようになったのは、かれこれ三年ぶりのことです。その間は、ずうっと自宅の家庭風呂に入っていたのですが、二年前の入院前後の頃は、ほぼ寝たきりのような状態だったものですから、自分一人で身体を洗うことなど出来るはずもなく、母に頼るしかありませんでした。

 正に、要介護状態です。

 退院して来てからも、身体はほとんど動かず、足は極度の浮腫みで丸太のような有様。もちろん、独りで歩くことも危ういほどですから、洗髪は、ご近所の理容院でお願いしていました。

 その理容院では、わたしのためにフット・バスを用意して下さり、家へ帰る時も、手を引いて送って下さったりと、本当によくして頂きました。

 そんなどうしようもない状態から、少しずつ身体も動かせるようになり、最近になって何とか共同浴場の温泉へ入ることが出来るようになったのです。母は、重労働のお風呂掃除から解放され、父は、水道代が安くなったと、喜んでいます。(笑)

 しかし、それでも、まだ足の浮腫みが完全に治っている訳ではないので、浴室で五分と正座は出来ません。ですから、洗髪は湯船につかったままですし、身体を洗う時も、大変な思いで洗っているのです。

 しかも、わたしの他に入浴している人がいる時などは、身体を洗う場所も狭く限られてしまうので、膝や脛(すね)などが圧迫され、アザが出来てしまうことすらあるのです。

 ところが、そんなわたしの動きの鈍さを心配されてか、ご近所の一人の女性が、声をかけて下さいました。

 「背中、流しましょうね」

 わたしは、いったんは遠慮しましたが、その女性は、わたしのタオルに石鹸を泡立て、背中を洗って下さったのです。背中は、手の届きにくい場所ですから、力を入れてしっかりと洗うということが今のわたしには出来ません。

 ですから、本当に、さっぱりとした気持ちになり、とてもありがたかったです。そして、その女性は、わたしがほぼ寝たきりだった時も、痛む膝を庇いながらも歩いて買い物をしなければならなかった母を見兼ねて、

 「何か欲しいものがあったら、紙に書き出しておいてください。わたし、買ってきますから----」

 と、まで言って下さったこともありました。

 わたしが、このような身体になって、確かに毎日が大変ではありますが、こうしたご近所の人たちの思いがけない親切に接することが出来た経験は、何物にも代えがたい幸運だったと思うのです。

 「大変ね。がんばってね」-----言葉では、誰しも言うことは簡単です。でも、いざ、行動を伴うことが出来るかといえば、それはやはり難しいことです。

 それを、まるで自分の家族のことのように、さりげなく手を差し伸べられるという人たちの勇気と優しさには、親切にして頂いているわたしの方が驚きであり、頭が下がる思いでした。

 本当の親切とは何か-----?

 それは、決して、やってやるという押し売りではなく、相手に気付かせないほどの何気ない勇気なのではないかと、思うこの頃です。

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証明書、持ってますけど・・・ [日々の雑感 4]


証明書、持ってますけど・・・


 この間、あるタブロイド紙を読んでいたら、面白い記事がありました。

 ある女性の手記なんですが、その女性は、今年で60歳になったのだそうです。でも、自分は、まだまだ若く見えるはずだと思い込んでいるため、絶対に、還暦になど見えないに違いないと自信を持っていたそうです。

 そんなある日、女性は、同い年の友人女性と、映画を観に行く約束をしました。

 その映画館では、60歳以上の客には、高齢者割引が適用されるということで、「還暦も悪くない」と、喜んでいたのでした。しかし、気がかりは、本当に自分が60歳と判断してもらえるかということ。

 自分の外見があまり若く見えるので、「本当に60歳ですか?」と、チケット売り場の人に疑われても困ると、普通自動車免許証持参で、出かけることにしたのだそうです。

 待ち合わせの場所へ来て見れば、友人女性もけっこうな若作りで、彼女も同じく年齢の証明書を持って来たということ。

 「あたしたち、絶対、若く間違われるはずよね」と、いう気持ちをお互いに胸に秘めたまま、映画館へ。

 チケット売り場で、「シニア、二枚」と、頼んだのだそうです。すると、そのチケット販売係の女性は、

 「はい、どうぞ」と、いともすんなりチケットを出して来たので、女性は、少し拍子抜けで、

 「あの~、シニアの証明書持っているんですが、必要ですか?」

 と、訊ねたのですが、販売係の女性の答えは、

 「いいえ、結構です」と、あっさりと、返してよこしたのだそうです。

 「-----え?」

 女性たちは、自分たちの思惑が外れて相当にショックを受けたということで、

 「本当に、60歳ですかァ~?」と、いう疑いの言葉がなかったことに、どれほど、若作りのおしゃれをしても、やはり、自分が思っているほど、他者からの見た目は若くはないのだということを、痛感したということでした。

 年齢は、顔や体つきだけが若く見えても、隠しきれないものですよね。

 その人の長年にわたり習慣化された言葉遣い、声、動作、一つ一つから判断されるものでもあります。

 化粧品業界では、「お客様の年齢は、顔で判断するな、首を見ろ」と、いうことも、よく言われるとの話です。首には、その人の本当の生活環境や、年齢がはっきりと刻まれているのだといいます。

 逆に、いつも衣服で覆われている首から下の部分の肌は、意外に若い人もお年寄りも、あまり大差がないとも言われるそうです。

 顔のお手入れは、皆さん、念入りに行ないますが、首まではあまり手が回らないということなのでしょうか?首に皺を作らないために、モデルさんなどは、枕をしないで眠るという人もいると聞きます。

 でも、やはり、女性の本音としては、5歳でも若く見られると、嬉しいものですよね。

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共同浴場をなめるなよ! [日々の雑感 4]


共同浴場をなめるなよ!


 共同浴場へ入っていると、時々、「何なんだ、こいつら?」と、思うような場面に出くわすことがある。

 温泉場で生まれ育った人間は、だいたいが熱湯(あつゆ)好きである。相当お湯が熱くても、平気な顔で入っているものである。しかも、そういう熱さでないと、入った気がしないという人が多い。

 そんな訳であるから、温泉場育ちに長風呂はいない。たいてい、20分ほどの入浴で上がって行くのが普通である。

 しかし、温泉に慣れていない人たちは、ぬるいお湯にじっくりとつかり、小一時間も湯船に入ったり出たりを繰り返しているものだ。そんな両極端な者たちが一緒になると、決まって一悶着起きることになる。

 温泉場以外から入りに来た観光客などは、まず、湯船の温度に驚き、

 「なに、この熱いの!?水、入れよう」と、いうことになる。まあ、少しぐらいの水は、温泉場育ちも許しはするが、これがいつまでたっても水を入れ続けているとなると、

 「ちょっと、あんた、いい加減にしなさいよ!せっかくの熱いお湯が台無しじゃないの。ここは、あんたの家の風呂じゃないんだよ。少しは、遠慮ってものを考えなさいよ」

 と、一発ガツンとやりこめられてしまうのである。

 また、あまりの大人数で入ってきても、近所の人たちは露骨に迷惑顔をする。

 「一度にこんなに大勢入って来てどうする気?ここは、あんたらの貸し切りじゃないんだよ」

 と、まあ、こんな具合に叱られるのが落ちだが、まだ叱るくらいなら親切な方で、もっとシビアな人は、黙って湯船に入って行き、水を出している水道をいきなり止めてしまい、浴槽のお湯を熱湯のように熱くして、誰も入れないほどにしてしまうようなこともするのである。

 わたしも、つい最近共同浴場で、呆れかえるような見知らぬ親子連れと一緒に入浴する破目になってしまった。

 わたしと同じ女湯には、その家族のお母さんと思える女性がいて、男湯の方には、父親と子供の三人が入っている様子であった。そのうちに、男湯の方で、一人の子供が叫んだ。

 「お母さん、そっちにシャンプーある?あったら、投げて!」

 投げる?----投げるって、この仕切りの壁越しに投げるってことか?あんな大きなシャンプー容器を?

 「うん、あるわよ。お母さんが使ってから、放ってあげるわね」

 バカ親!何言っているんだ!?もしも、投げ上げ損ねて仕切り壁のガラスにでもぶつかったら、どういうことになると思っているんだ!?

 そこでわたしは、その母親に、言った。

 「シャンプー容器を投げるのはやめて下さい。危険ですから。そういうことは、共同浴場ではやらないでください」

 すると、母親は、驚いた様子で、

 「大丈夫ですよ。いつもやっていることですから、うまく投げますよ」

 「そういうことではなく、他に入っている人に失礼だと言っているんです。いつもやっているって、あなた、何処の人なんですか?この近所の人ではないですよね?」

 すると、わたしとその女性の他に入浴していたもう一人の近所の主婦も、

 「ガラスが割れたら、困るからね」

 と、一言苦言を呈してくれた。母親は、何とも面白くないような表情になり、男湯の子供に向かって、叫ぶ。

 「シャンプー投げるの出来ないから、そっちにある石鹸で髪を洗いなさい!」

 「え~~~~~?」

 子供は、不満そうな声をあげたが、こればかりは、我慢してもらうしかない。

 共同浴場は、家庭風呂ではない。親子連れだろうが、友人同士だろうが、我が物顔で入浴されてはたまらない。

 共同浴場を、なめるなよ![ちっ(怒った顔)]


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コーヒーは予防薬? [日々の雑感 4]

♫ コーヒーは予防薬? ♫


    皆さんは、ポリフェノールという言葉を聞いたことがありますよね?

    ポリフェノールといえば、まず、頭に思い浮かぶものは、赤ワインでしょう。

    他には、緑茶、チョコレート、ココアなどにも含まれていると言われますが、中でも、日本人の場合、最も摂取量の割合が高いとされているのが、コーヒーなのです。

    それに比べ、赤ワインは、アルコールも入っているため、摂取量はかなり低くなります。

    確かに、コーヒーや緑茶は、日常手軽に飲むことが出来ますが、赤ワインは、そうはいきませんよね。

    コーヒーは、カフェインが主成分というイメージが強いですが、実は、ポリフェノールを多く含んでいる食品でもあるのです。

    健康成分であるポリフェノールは、一般に抗酸化物質として知られていますが、動脈硬化予防や血糖値の抑制、体脂肪の軽減などにも効果があるという研究もなされ、抗ガン作用、口臭抑制作用、そして、特に、コーヒーが持つポリフェノール・クロロゲン酸には、血圧降下作用も期待できると言われているようです。

    「社団法人全日本コーヒー協会」のサイトによれば、コーヒー一杯(約140cc)には、約300mgのポリフェノールが含まれ、これは、赤ワインと同程度、緑茶の約二倍に相当するということです。

    では、この効果的な健康成分を含むコーヒーを、どのように飲めば最も効率よくポリフェノールを摂取できるのでしょうか?

    ポリフェノールの一日の摂取推奨量は、1500mgが目安とされているために、コーヒーの場合、三杯から五杯程度で充分必要量は取れる計算となるそうです。

    そして、このコーヒー一杯のポリフェノールが身体に及ぼす効果は、摂取後二時間から三時間とされているために、一度に大量を飲むのではなく、幾度かに分けて飲むと、より効果的なのだそうです。

    しかも、豆から挽いたコーヒーだけではなく、インスタント・コーヒーにも同じ効果が期待できるというのであるから、嬉しい限り。さらに、その香りにもリラックス効果があるというのですから、実に重宝な飲み物です。

    ただし、いくら健康に良いからといっても、もちろん、過剰摂取は、禁物だそうです。

    わたしもコーヒーが好きで良く飲むのですが、こんな優れた効能が秘められた飲み物だったとは知りませんでした。

    穏やかで健やかな毎日のために、皆さんも、気心の知れた人との素敵なコーヒータイムを過ごしてみてはいかがですか?

    

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文章から読み取る力 [日々の雑感 4]


★ 文章から読みとる力 ★


 携帯電話のメールなどの短文交流が日常化している現代人は、とかく、文章から相手の気持ちを読みとることが苦手だと言われて久しい。

 文章の中にどれほど絵文字を使っても、それで、書き手の気持ちがすべて表すことが出来る訳ではないのである。

 特に、書き言葉には、どうしても個人の能力の差が現われるために、的確に自分の気持ちを伝えきれない部分も出てくる。本当は、そんなことを言いたい訳ではないのに、どうして、判ってもらえないのか?などということも良く聞く話である。

 しかも、相手の顔を思い浮かべながら読む文章と、まったく顔を知らない相手の文章を読むというのでは、自ずから文章に対する反応も変わって来ることは否めない。

 たとえば、よく顔を見知っている相手が書いた砕け言葉は、「あ~、また、こいつふざけてら」ぐらいに感じても、見ず知らずの相手が書いたタメ口は、単に暴言としか受け取れないのと同じで、文字の上でのコミュニケーションには、現実生活の何倍もの想像力が必要となるのである。

 しかし、近頃の人たちの想像力は、読書を趣味としていた時代の人々に比べて極端に衰えているため、書かれた言葉を文字の通りにしか把握できず、その裏にある相手の真意が読みとれないのである。

 そのために、こちらが意図しないところでキレたり、悪意を育ててしまったりと、無用のトラブルを起こすもとになったりもするのである。また、逆に、相手が善意で書き込んだ言葉でも、そのたびに、敵意をあらわにする文章を返してくるという癖の人もいる。それが、ある時は、上から目線のからかい言葉であったり、常に反対意見ばかりを連ねてくる人さえいるのである。

 反対意見を述べれば、自分は、理知的に見えるだろうと、思っているのかもしれないが、それは、実に大人げない勘違いとしか言いようがない。大人ならば、相手が思い違いなどをしないように、むしろ、噛み砕いたやさしい言葉で丁寧に返答するべきなのである。

 フリージャーナリストの内山二郎さん(66)は、「若者は、独りで外国旅行に行くべきだ」と、説いている。

 日本人の友人ばかりの中で、黙っていても相手に気持ちが通じるものだと思う安直な習慣を、一度リセットし、自分の言葉できっちりと気持ちを伝えることが出来なければ、生き残れない環境に身を投じてみることが、コミュニケーション能力を磨くためには大事だと、言うのである。

 自分の感情ばかりを一方的に相手に押し付けるのではなく、他者の感情にも配慮を怠らない。-----そんな大人の対応が出来てこそ、人は人としての価値があるのではないだろうか。

 現代人は、とかく、嫌なら嫌と突っぱねておけばそれでいいという自己本位型の短絡主義に走る傾向が強いが、そういう人間関係がいったいいつまで続けられると思うのであろうか?(ただ、わたしの場合は、体調のこともあるので、出来るだけ『負』のエネルギーを発散する者には近付かないようにしている)

 若くて健康なうちは、それでもすむであろうが、高齢者となり、足腰が弱くなった時にも、果たしてそういうことが言い続けられるであろうか?嫌でも、笑顔を作り、介護者のお世話にならなければならない時は必ず来るのである。

 将来、誰にも相手にされない孤独な老人にならないためにも、修行だと思って、たとえ携帯メールの世界でも、相手の文章の裏を想像できる力を養うべきではないだろうか。

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認知症を早めにチェック [日々の雑感 4]


認知症を早めにチェック


    認知症の多くは、残念ながら根治は困難だということですが、家族などが早くからその兆候に気付くことが出来れば、最近は、治療により病気の進行を遅らせることも可能になって来たといいます。

    特に、これまでは「打つ手」がないといわれていたアルツハイマー型の認知症に関しては、病気の進行を遅らせる薬も開発されていて、そのためにも早期発見が、重要視されて来ているというのです。

    しかし、物忘れがひどくなっても、「年のせい」とか、「疲れているのでは----?」などという自己判断で、病院を訪れる機会を逸し、症状がかなり進んだ状態で、受診する患者が多いということです。

    また、自分が認知症だと診断されることを恐れ、恥ずかしいという気持ちから、受診を拒むケースも多いと聞きます。

    わたしの知り合いの高齢の女性は、福祉施設でヘルパーをしていたことから、自分は常に介護する側にいたために、自身の認知症に全く気付かず、施設で同じ仕事をしていた同僚ヘルパーが、上司に報告したためにそのことが判ったということがありました。

    しかし、それでも、女性は、自分がどうして解雇されねばならないのか納得が出来なかったのか、その後も、働かせて欲しいと、施設側へ頼み込むので、困った施設側は彼女の娘さんを呼び、精神科への受診を勧めたのです。

    それでも、そんなものを受診する必要はないと、女性が拒むため、しばらくは、そのままにしておいたのですが、ある日、ついに、女性が自宅から何キロも離れた、隣町で保護されたのでした。

    自分が何処へ行こうとしているのか判らなくなってしまったようで、道路をフラフラ歩いているのを女性の家の近所にあるタクシー会社の運転手がタクシーの乗務中に発見し、声をかけたところ、

    「家から出て、駅へ行こうと思ったんだけれど、気が付いたらこんなところにいたの。ここ何処なのかしら?」

    女性の返事に、タクシー運転手は、これはただ事ではないと思い、彼女をタクシーに乗せて自宅まで送り届けてくれたのだそうです。

    そのことをきっかけに、女性は、精神科を受診したのですが、既に発症から三年近くも経っているということで、症状の進み具合が早く、今では、自身が介護施設に患者として入所しているということでした。

    おそらく、アルツハイマー型の認知症だったのではないかと、娘さんは話していました。



    そんな認知症を早めに発見するためのチェックリストが、信濃毎日新聞に掲載されていました。


    1) 曜日や月が判るか?

    2) 前と同じように道が判るか?

    3) 住所・電話番号を覚えているか?

    4) 物がいつもしまわれている場所を覚えているか?

    5) 物がいつもの場所にない時、見つけることが出来
       るか?

    6) 洗濯機やテレビのリモコンなどを使いこなせる
       か?

    7) 自分で状況にあった着衣や更衣ができるか?

    8) 買い物でお金を払えるか?

    9) 身体の具合が悪くなった訳ではないのに、行動
       が不活発になったか?

   10) 本の内容やテレビの筋が判るか?

   11) 手紙を書いているか?

   12) 数日前の会話を、自分から思いだすことが出来る
       か?

   13) 数日前の会話の内容を思いださせようとしても難
       しいか?

   14) 会話の途中で言いたいことを忘れることがある
       か?

   15) 会話の途中で適切な単語が出てこないことが
       あるか?

   16) よく知っている人の顔が判るか?

   17) よく知っている人の名前を覚えているか?

   18) その人たちが何処に住んでいるか、仕事などが判
       るか?

   19) 最近のことを忘れっぽくなったか?


   上記の項目を「変わらない」を『2点』とし、「多少悪くなった」を『1点』とし、「とても悪くなった」を『0点』として計算し、総合得点が『24点』以下の場合、認知症の疑いがあるということです。


    あなたの点数は、如何でしたか?   

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