So-net無料ブログ作成
検索選択
日々の雑感 3 ブログトップ
前の10件 | -

年末は自殺者が増える [日々の雑感 3]



 1998年以降、日本の自殺者数は、年間三万人を超えています。

 この自殺者が最も増えるのが、これからの季節、年末だといわれているのです。会社の経営が立ち行かなくなるとか、借金が払えないとか、病気を苦にしてとか、理由は人それぞれですが、日本人特有の終末意識が影響しているのではないかとも考えられます。

 そして、そういう自殺者の大半が、やはり、現在、または過去に精神疾患にかかったことのある人だというのです。そのため、病院の精神科には、連日連夜、患者からの悩みの相談電話がひっきりなしにかかって来るのです。

 しかし、医師も看護師も入院患者の対応で忙しく、患者からの電話に長時間対応している訳にはいきません。また、対応できたとしても、相談内容を聞くだけで、それ以上のことは何も出来ないのが現状なのだそうです。

 電話口で、「死にたい」と、訴える人たちに、何もしてやれないことの歯がゆさ。それが辛いと、電話の応対に出た看護師は話します。しかも、特に人間が精神的に追い詰められて、気分が落ち込むのは、深夜の時間帯なのだそうで、高齢者の中には、何の病気もないのに、その時間になると、ただ寂しいという理由だけで、救急車を呼び、病院へ来てしまう人も少なくないというのです。

 別に、何の症状も認められないため、帰宅を促しても、「寂しいから、ここにおいてくれ」と、懇願して、救急用のベッドを占領してしまう高齢者もいるのだとか。

 そこで、政府は、今回、福島瑞穂消費者・少子化担当大臣を軸に、年末の自殺防止のためのプロジェクトチーム「自殺対策緊急戦略チーム」を、発足させたそうです。このような、国を挙げての自殺予防対策に最も取り組んでいると思われるのが、イギリスです。

 イギリスには、「アウトリーチ」と称する、危険度回避対策チームというものがあり、精神科に通う患者の家を定期的に訪問するというシステムを導入しているとのこと。

 こうした自殺を予防するには、最も大切な時期というものがあり、それが、患者が病院を初めて訪れた初期の頃と、しばらく通院したのちに、ある程度治療効果が出始めた頃なのだそうです。

 実は、この頃が、最も患者の自殺率が高く、初期の頃は、患者の中に、まだ自分がうつ病やら統合失調症等の精神病だという実感がないため、通院をやめてしまい、そのために気分が落ち込んで突発的に死に走るというケースと、次は、ある程度通院したのち、体調もいいので薬の服用をやめてしまい、自殺願望が出てきてしまうというケースが多いのだそうです。

 ある精神科の医師は、「それこそ、24時間、365日、患者さんたちの悩み相談に対処可能な施設などのシステムの構築を急ぐ必要がある」と、訴えていました。

 もしかしたら、そんな悩みのはけ口に、ブログを活用するのも一つの手かもしれません。皆さんも、もしも、深夜、気分的に落ち込んだら、そんな自分の悩みをブログ記事に綴ってみませんか?ほんの少しでも、気持ちが休まるかもしれませんよ。

蛻晏、上・闃ア繝舌Λ+042_convert_20100905201043[1].jpg




共通テーマ:日記・雑感

代理母は実母? [日々の雑感 3]



 長野県下諏訪町の諏訪マタニティークリニックで5月、代理出産によって男児を得た27歳の女性と、その代理母となった53歳の実母が、2009年11月25日、東京都内で記者会見をし、子供をもうけた喜びなどを語ったという、ニュースがありました。

 27歳の女性は、赤ん坊の時病気で子宮を全摘したことで、子供をもうけることが出来なかったため、この女性と夫である男性の受精卵を実母に移植し、子供が産まれたのだといいます。

 実母は、帝王切開で赤ん坊を出産。赤ん坊は、法律上は実母の子供になるため、現在、女性と赤ん坊が戸籍上の親子になるように特別養子縁組の手続きを進めている最中だそうです。

 このニュースをテレビで観たわたしの母親の反応は、ただ一言。

 「チャンネル変えて!」

 でした。

 何故、人は、そこまでして自分の子供を欲しいと思うのでしょうか?一歳の娘に、子宮摘出という人生を左右するような手術を受けさせねばならなかった実母の苦悩や自責の念も判らなくはありません。

 しかし、それが、どうして自分のお腹を貸してまで、娘の子供を妊娠してやらねばならないという結論へ結び付くのか、わたしには、まったく理解できないのです。世の中には、さまざまな理由で自分の実の子供を持てない夫婦や女性はごまんといます。そして、そういう人たちは、皆、そのことを運命と諦め、割り切って、それでも世の中を懸命に生きているのです。

 この女性は、たまたま、実母がお腹を貸してくれたので、幸いにも男児を授かることが出来ましたが、世の中、そんなラッキーな人間ばかりではありません。女性は、

 「同じような状況に悩む人たちが少しでも勇気づけられたり、悩みが軽くなれば幸せ」

 などと、話していたそうですが、これも実に勝手な意見です。つまり彼女は、暗に、「わたしのような境遇の人間がいたら、実の母親は子宮を提供しなさい」と、プレッシャーをかけているのです。そういうことが出来ない親は、冷酷な親だと、言いたいのです。

 そう思われても仕方がありません。

 もしも、子供が欲しくても、代理母が見つからない夫婦は、ではどうすればいいのでしょうか?他人に頼むのでしょうか?そんなことになれば、問題は、ますます厄介になります。子供を実際に産んだ赤の他人の代理母が、親権を要求したらどうするのでしょうか?書類上や法律上だけでは片づけられない問題も、必ず発生するのです。 

 つまり、27歳の女性も実母も、「自分たちのケースは、まったく例外中の例外で、他の人には決して真似をして欲しくない」と、発言するのが本来の姿勢だと思うのです。

 わたしは、こういういわゆる身勝手な人間の言い分を聞くと、本当に腹が立つのですが、何故、女性たちは、実の子供でなくてはならなかったのでしょうか?世界中には、戦争や病気、事故などで両親を失い、孤児になっている子供たちが山ほどいるではありませんか。どうして、そういう子供を養子にするのではいけないのでしょう。

 子供が欲しいと、心底純粋に思っているのならば、たとえ赤の他人の子供でも、自分の子供として育てる道はいくらもあるはずではありませんか。何が何でも、血を分けた自分の子供でなくてはならない。そのためになら、実の母親を犠牲にし、テレビの記者会見にまで引きずり出して、世間に、「気色がわるい!」などと罵倒させるような、酷な仕打ちをしても構わないのでしょうか?あきれ返るばかりです。

 あの記者会見の最中の、堂々とした娘の態度に比べて、終始うつむき加減の母親を見れば、この母親が、内心、「自分はなんという恥さらしな場に出てきてしまったのだろうか」という、思いに苛まれているであろうことは、一目瞭然です。

 よく、こういうニュースを観ると、人は、「生まれた子供が可哀そうだ」「どちらが親か判らない」「きっと学校で噂され、苛められるだろう」などと、考えるものですが、わたしは、子供がどのような境遇になろうと、そこまで想像する必要はないと思っているのです。

 こういう自分本意の親の子供として生まれてきてしまったのですから、子供は、それを甘んじて受けねばならない訳で、それもまた「因果応報」-----恨むなら親を恨めばいいだけのことです。そして、そんな複雑な運命を背負って生きて行くしかないのです。親が諦めきれなかった報いを、子供が受けるのは仕方がないことなのです。

 世の中とは、必ず何処かで帳尻を合わせるように出来ているのですから。

 わたしの親戚にも、子供を授かれずにいる夫婦がいますが、「そういう夫婦には、子供のいる夫婦に出来ないことをせよという命題が天より与えられているのだ」と、彼らは話します。そういう前向きな考え方で、生きている夫婦も大勢いるのです。 

 ですから、やはりわたしには、この27歳女性の選択には、どうしても賛成できないのです。

繝舌Λ縺ョ闃ア・抵シ撰シ托シ・005_convert_20100917200541[1].jpg




共通テーマ:日記・雑感

「普通」は「普通」ではない。 [日々の雑感 3]


★ 「普通」は「普通」ではない。★


 皆さんは、「普通」という言葉をどのように受け止めていますか?

 自分の生活は、「普通」だと思っていますか?

 たとえば、ここに、二人の子供を持つ30代の主婦がいたとします。ご主人は、中小企業の係長をしています。家は、最近新築したばかりの一戸建てです。ご近所との仲も円満で、ご主人の両親である舅・姑ともそれなりにうまくやっていますし、やさしいご主人は、主婦と子供たちを、時々国内の温泉旅行に連れて行ってもくれます。家族そろって、ファミリーレストランや、回転ずしで夕食をとることもあります。

 これを、この主婦は、「わたしの家は、ごく一般的な家庭だから、やはり、特別なことよりも、こういう『普通』の生活が続いて欲しいわよね。高望みはしなくても、『普通』で十分よね」と、近所の主婦仲間に話しました。

 でも、皆さんは、この主婦の生活が、「普通」だと思いますか?わたしに言わせれば、この主婦は、そうとうに「贅沢」な生活をしていると思うのです。

 まず、大好きなご主人と結婚して、お子さんにも恵まれ、家庭も円満。旅行にも行き、レストランで食事も出来る。こんな幸せな境遇が、果たして「普通」なのでしょうか?

 わたしには、「彼女は、とても普通ではない」と、思えるのです。まず、彼女も家族も皆、健康です。これが既に「普通」ではありません。一日に家から一度も外へ出ることのできない経験をしていたわたしにしてみれば、家族で旅行など贅沢の極みです。レストランで食事?-----わたしは、もう何年も、そんな体験をしていません。

 要するに、この主婦の思い描いている「普通」は、他の人にしてみれば、決して「普通」などではないのです。

 わたしは、時々思うのですが、長年連れ添った奥さまやご主人を亡くされた人たちが、まるで、人が変わったように気力を無くし、悄然としている姿を見て、どうして、あのように、気持ちが萎えてしまうのかと、不思議でならないのです。

 人は、もともと一人で産まれてくるものです。死ぬ時も、一人です。

 結婚だって、皆が出来る訳ではありませんし、子供を授かることも、ある意味奇跡のような現象なのです。つまり、結婚して子供が出来、長年伴侶と添い遂げられたことは、正に、奇跡中の奇跡なのです。

 その生活がなくなったからと言って、「どうしてなんだ?」などと嘆くことの方が間違っています。
   
 むしろ、「自分は、これまで本当にラッキーな人間だったんだ」と、思うべきなのです。一人になってしまった?-----元に戻っただけではないですか!これまでの何十年間が、ある意味、宝くじに当たったようなものだったということに気付くべきなのです。

 しかし、人間とは現金なもので、そういう幸せな生活が長く続くと、それが「普通」に思えてしまうものなのです。

 あなたは、自分のことを「普通」だと思っていますか?

 しかし、「普通」の概念は、人それぞれなのです。あなたの「普通」、決して「普通」ではないのですよ。それは、とても特別な、贅沢で幸せな「普通」なのです。 

蛻晏、上・闃ア繝舌Λ+042_convert_20100905201043[1].jpg 

    


共通テーマ:日記・雑感

言語力を鍛えよう!! [日々の雑感 3]


おはようございます。


 では、皆さんに問題です。

 次に書くのは、ある本の読後感想文の文章ですが、何が足りないと思いますか?考えてみてください。

 「ぼくは、『日本の怪談』という本を読みました。ぼくが、この本を選んだのは、目次です」

 この文章を見て、「ああ、うちの息子も、よくこんな書き方をしているわ」と、思われたお母さんは、すぐに何が足りないのか判りますよね。

 足りない部分は、「------ぼくが、この本を選んだのは、目次を読んでみて面白そうだなァと、感じたからです」というところです。

 つまり、今の子供たちは、携帯電話などのメールの普及により、とにかく文章を短く収めなければならないという考えから、物事の理由や状況をすべて割愛して書くという癖が付いているため、頭の中で自分だけが判っていることを、相手も判っているものと判断し、言葉の赴くままに書いてしまうという習慣が出来上がってしまっているのです。

 そのため、自分以外の相手に対して、物事を端的に判り易く説明するという「言語力」がかなり不足しており、子供同士のコミュニケーションがとれず、それがイジメにまで発展するケースが多いのだそうです。

 ところで、「言語力」というものは、具体的にどういうことを指すのかといいますと、一言でいえば、「情報を整理し、短い言葉で組み立て直し、判り易く相手に伝える能力」ということで、言語に関する知識を示す「語学力」とは、まったく異なるものなのだそうです。

 今年のサッカー・ワールドカップ南アフリカ大会では、日本代表の活躍が光りましたが、前回のドイツ大会では、日本代表は一度も勝てずに完敗しました。その最も大きな敗因は、日本代表選手たちの「言語力」の不足にあったと言われています。つまり、サッカーは、試合中、監督が直に選手たちに指示を出すことが出来ないため、パスにせよドリブルにせよ、作戦はすべて選手間同士で伝えあわなくてはなりません。

 ところが、選手個人個人に自分の意思をはっきりと相手に伝える「言語力」が充分備わっていなかったために、いわゆる「コーチング(あるブロガーさんからの受け売りです)」が、ほとんど機能せず、いったい自分が何をすればいいのか判らないままに、試合が終わってしまったということだったのです。

 そこで、日本サッカー協会(JFL)は、中、高生の若い選手たちを対象に「言語力」を鍛えるためのセミナーを開催し、「他人に道順を教える」などの教材を使い、自分の意見をきちんと相手に伝えるための学習を始めているということです。

 また、大学生のための就職面接の準備にも、この「言語力」強化が課題として扱われているのだとか。

 たとえば、大学生は、就職面接の時、その企業を志望した理由などは、マニュアルに従って丸暗記をしているので、そつなくスラスラと答えられるのですが、その後、面接官に、「あなたは、岩手県の盛岡市の出身だそうですが、盛岡市について説明してください」と、不意の質問をあびせられた途端、頭の中が真っ白になってしまい、何からどう話をしたらよいのかも判らなくなってしまうという者が増えているのだそうです。

 専門家は、そういう時のアドバイスとして、即座に本題に入らず、「そうですね。あまり出身地については普段は意識していないので、何からお話したらよいか判らないのですが・・・・」などと、時間を稼ぎながら、頭の中で考えをまとめなさいと、アドバイスしているのだそうです。

 しかし、わたしに言わせると、もともと「言語力」に不安がある学生に、そのような臨機応変な対応が果たして可能なものか、その方が疑問です。(爆)

 さらに、小学校低学年からの「言語力」の勉強では、「なぜなら」を文章に組み込んで話を組み立てるという学習も有効だということです。要するに、「空は、青い。なぜなら------」と、いう具合に説明を持って行きなさいという教えのようです。まるで、旧司法試験で課せられた論文形式のようですね。

 ぶつぶつに切れた作文の文章しか書けなかった子供が、こういう勉強を繰り返すうちに、要領のよいつながりのある文章を組み立てられるようになって行くのだといいます。

 あなたのお子さんは、自分が考えていることを他人にはっきりと間違いなく伝える能力を、持っていますか?

 いや、それよりも、あなた自身は如何ですか?ブログを読んでいても、いったい何を伝えようとしているのか皆目理解できない文章を目にすることも間々ありますよね。

 日本人は、とかく、「おしゃべりはみっともない」とか「、沈黙は金」とか、「おれの眼を見ろ何にも言うな」などと、寡黙を美徳と思うところがありますが、これからのグローバルなコミュニケーション時代を生き抜くためには、これではどうも難しいようです。

 皆さん、「言語力」-----鍛えてみませんか?
    

続きを読む



共通テーマ:日記・雑感

江戸時代の医師 [日々の雑感 3]



 江戸時代の医師


    皆さんは、江戸時代の医師は、どのように医師になることが出来たのかご存知ですか?

    今は、難関の医学部へ入り、国家試験を通り、研修医となって一人前の医師になるというコースが当たり前ですが、江戸時代には、医師法もなければ、医師免許などという面倒な許可はありませんでした。

    つまり、法律上は、誰でも医者になりたい者は、なれたという訳です。そのため、中には、かなりいい加減な医者もいたといいます。

    どうして、そんな無法状態が長く続いたのかといえば、別段、そういう開業医を放っておいても、さしたる実害がなかったというのが事実のようです。

    第一に、医学の知識のない者がいつまでも医師を続けていることなど出来ませんでしたし、患者もバカではありませんから、「〇〇先生は、ヤブ医者だ」と、悪い評判が経てば、必然的に患者は減り、医者をやめざるを得なくなるからなのです。

    第二に、その時代はまだ、医療の効果そのものがはっきりと決められなかったこともあり、猛威をふるう伝染病などは、どんな医者が対処しても、患者を救うことなど出来なかったからなのです。要は、名医だろうとヤブだろうと、大差なかったということなのです。

    では、医師になるには、どのようにしていたのかといえば、医者になりたい人間は、医者に弟子入りし、医師の証として頭を剃り、(江戸時代の医者は、僧侶のように頭を丸めるのが普通で、よくテレビドラマに登場する頭髪を頭の後ろで小さく髷に結っているのは、古方家『こほうか』という流儀の医者に限ったものであった)患者の扱い方や、薬の種類、漢方医の理論などを見よう見まねで覚えれば、開業しても何とかやっていけたのです。

    漢方薬などは、何回か使ううちに効能なども次第に勉強できてくるので、経験を積むうちに、皆、そこそこの腕になって行ったのだそうです。

    「学医は匙(さじ)が回らぬ」-----と、いう言葉もあるように、医者は、とにかく経験第一ですから、大勢の患者を診ている医者が名医と呼ばれて行くのは、当然のことで、診察の実践もないのに、理論の勉強ばかりしているような医師は、有効な治療も出来ないと、江戸の人々は、よく知っていたということでしょう。

    しかし、これは、何も江戸時代に限ったことではないと思うのです。やはり、現代医学においても、経験にかなう治療法はないのではないかと考えます。

    では、どうしてもっと早く、西洋医学に切り替えなかったのかと思われますが、十九世紀末頃までは、ヨーロッパの西洋医学も日本の漢方医学も、それほど実際の治療効果は大差なかったのだそうです。

    たとえば、1823年(文政六年)に来日し、六年間を日本で過ごしたかの有名なドイツ人医師・フォン・シーボルト先生にしても、確かに解剖学に関しての知識は、日本の医師の及ぶところではなかったと思いますが、では、この当時28歳の青年医師に、盲腸の手術が出来たかといえば、それは、まったく無理であったと思われるのです。

    つまり、その時代、まだ麻酔の技術が開発されている訳ではありませんから、人体の臓器構造の知識がいくらあったとしても、シーボルトには、何もできなかったという訳なのです。

    そして、1846年にエーテル麻酔がアメリカで本格的に行なわれるようになってから、ようやく、簡単な手術が可能になったのです。

    では、麻酔が開発されたから、どんどん手術が成功して行ったかといえば、決してそうではありませんでした。ヨーロッパの医師たちは、汚れたままの器具や手を使っての手術で、ばい菌が身体中に入り込み、化膿や炎症がもとで死亡した患者は、大勢いたのです。

    むしろ、その頃には、漢方医学の経験のある日本の医師たちの方が、殺菌や滅菌に対する知識があったため、外科医の技量は、日本の医師の方が上だったとも言われているのです。

    しかし、明治の帝国議会は、明治二十八年十二月二十八日、ヨーロッパ医学の技術に目がくらんでいた政治家たちによって、漢方医師の免許制度を、あっさり否決してしまったのでした。

    では、本日の講義は、このへんで------。(ー_ー)!! 

    キン、コン、カン、コン・・・・

img292_convert_20100515115024[1].jpg

    

    

続きを読む



共通テーマ:日記・雑感

あなたのダイエットは、間違っている? [日々の雑感 3]


 ❤ あなたのダイエットは、間違っている? ❤


    こんな風に書けば、わたしがさもダイエットの達人のように見えますが、そういうことではありません。今回も、いつもの如く、テレビ番組からの受け売りです。でも、意外に、目から鱗が落ちますよ。興味がおありの方は、ぜひお読み下さい。


    皆さんは、これまでにダイエットを経験したことがありますか?手っ取り早いけれど過酷な「断食ダイエット」。朝、バナナを食べた後は、何を食べてもよいという「朝バナナダイエット」。一日リンゴだけで過ごす「りんごダイエット」。同じく「ゆで卵ダイエット」。「納豆ダイエット」。とにかくがむしゃらに体を動かす「スポーツダイエット」。

    数え上げると数限りなく巷にはダイエット方法が溢れています。そのテレビ番組でも、街を歩く女性たちにマイクを向け、ダイエットの経験を訊ねると、ほとんどの人が一度は挑戦したものの、結局、リバウンドなどで挫折したと、答えていました。

    すると、リポーターは、そういう女性たちにあることをして欲しいと頼み込みました。それは、まっすぐに立った格好での片足上げです。上げる足は、膝を伸ばした状態で前へ上げる。そして、両脚の開く角度を測定したのです。すると、インタビューに答えた女性のほとんどが、この角度が50度以下と、かなり狭いことが判りました。

    この測定で、何が判るのかといいますと、腰から下の筋肉の強さが判るのだそうです。下半身の筋肉といえば、大臀筋、大腿筋、大腰筋などが思い浮かびますが、この下半身の筋肉が衰えていると、両脚が開きにくいのだそうです。

    つまり、下半身の筋肉は、人間の身体の筋肉量の多くを占めていますから、これを鍛えることにより、エネルギー代謝を活発にして、食べても太らない身体を作ることが出来るのだといいます。そして、その筋肉の中でも、特にダイエットに重要なのが、「大腰筋」で、この筋肉は、背骨と両足をつなぐ筋肉で、歩く際に足を引き上げるのに使う大切なものなのです。

    これが衰えると、転倒しやすくなったり、姿勢が崩れしっかりと歩くことが出来なくなってしまいます。高齢者の場合、この筋肉の衰退が寝たきりの原因になることが多いのだそうです。また、ここが衰えると、骨盤がゆがみ、O脚、腰痛の原因にもなるといわれます。

    では、どうやったらこの「大腰筋」を鍛えることが出来るのかということですが、これが、案外簡単な運動で鍛えることが出来るのだといいます。

    まずは、四股を踏む時のように、大きく足を広げて膝を曲げます。そして、静かに片方の足の方へ体重を移動します。よく大リーガーのイチロー選手が試合前のルーティンで行っているポーズです。これを交互に繰り返します。でも、膝の弱い人は、充分に注意して行ってください。

    次に、まっすぐに立ち、片足を上げます。膝は曲げた状態でよいそうです。これを、また、交互にゆっくりと繰り返します。その後は、まっすぐに立ったまま、片足を後ろへ上げ、両手は、万歳をします。後ろ足上げは、右左と交互に繰り返し、片足15回ずつ行うと効果的とのことです。

    最初から、無理をしてしまうと、大腿筋などを痛める可能性がありますので、少ない回数から、徐々に行うことが肝心です。

    これを毎日続けることで、かなり下半身の筋肉量もアップして、その筋肉で燃やされるエネルギーの量が増えることで、自然と太りにくい身体になれるのだそうです。

    人間は、毎日、ただ静かに横になっているだけでも、呼吸や心臓を動かすために、食事から摂取したカロリーの約70パーセントは消費している計算になるのだそうです。もちろん、食の過剰摂取は、それだけ消費カロリー量を少なくするということになりますが、特別に大食いをするわけでなければ、筋肉量を増やすことで、エネルギーの消費量も大きくなるということです。

    ダイエットしてはリバウンドを繰り返し、うんざりしているあなた、食事の量を極端に減らすことなく、痩せやすく太りにくい身体を作ってみませんか?

繧「繧ク繧オ繧、・・003_convert_20100428113759[1].jpg





共通テーマ:日記・雑感

保育ママ [日々の雑感 3]


 ★ 保 育 マ マ ★


    「保育ママ」という制度が、今から50年ほど前から、この日本にもあることを知っていますか?

    これは、海外などでは、当たり前のように設けられているシステムで、保育所や幼稚園などに入ることが出来ない、いわゆる待機児童のための民間施設として、自治体が独自に認可してる制度なのだということです。

    「保育ママ」には、チャイルドマインダーと呼ばれる民間の資格を持った女性や男性がいて、彼らは、自宅を保育所代わりに提供し、そこで、0歳~3歳までの幼児を預かり保育するのです。そのため、「保育ママ」の自宅には、保育に適した広さが必要で、また、預かる子供たちの定員が6人以上になると、「保育ママ」には、保育士、看護師、助産師、保健師の国家資格が必要となるのだといいます。

    民主党政権は、現在深刻な待機児童対策として、この「保育ママ」制度に目をつけ、これを各自治体ではなく、国の管轄において増やして行こうという姿勢を打ち出したそうです。

    仕事や介護で多忙な親たちの救世主ともいえる「保育ママ」ですが、この制度は、自治体からの委託とはいえあくまでも善意の上に成り立っているものですから、もしも、「保育ママ」の方の事情で保育が出来なくなったとしても、利用者側に代わりの施設を紹介する必要はなく、利用者は、再び子供の預け先を自分で探さなくてはならないことになるのだといいます。

    また、「保育ママ」を希望したいという人の側にも、もしも、人さまの子供を預かって、怪我をさせたり病気にさせたりしてしまった時に、責任を取らされては困るという心配もあり、すんなりと承諾してくれるまでには行きつかないというのも、自治体の悩みであるといわれます。

    さらに、今回、国が制度を管理し、「保育ママ」を増員する方向へ進んだ場合でも、これまでのような資格のハードルを下げることで、安易な考えで子供を預かる「保育ママ」が増えることが懸念され、この制度自体の信頼性を裏切る形になりはしないかとの不安も付きまとうというのです。

    少子化といいながら、その子供を預ける場所が極端に不足しているという矛盾。子供を安心して幸せに育てるために、仕事をしなければならず、それには子供を小さな時分から保育所で面倒を見てもらわなければならないという矛盾。

    今の世の中は、こうした矛盾の上に成り立つ、脆いガラス細工の積み木のようなものではないかと思うのです。何処かが一か所欠けただけでも、すべてが崩れて粉々になってしまう。そんな、危険をはらんだシステムの一つが「保育ママ」なのではないでしょうか。

    シングルマザー・ファーザーや共働きの父母のためにも、「保育ママ」制度は充実させることが急務だと思います。しかし、その保育制度改革が、改悪制度にならないように、政府にはしっかりとした抜本的な対策を望みたいものです。

貂ゥ豕芽。・001_convert_20100429111612[1].jpg





共通テーマ:日記・雑感

食べるということの大切さ [日々の雑感 3]


 かつて、NHKのクローズアップ現代で、食事の大切さについて取り上げていた。

 最近の若者たちの間には、食事を楽しむという感覚が薄く、とりあえずお腹がいっぱいになればよいということで、朝昼晩と、アイスクリームだけで済ませてしまう女の子や、カップラーメンにサプリメントのみという男性の食事風景も取材していた。

 食べるということは、すなわち命を育むということである。しかし、人間は、ただ何でも口に入れて食べていればそれで事なしという生き物ではない。人の味覚はとても繊細で、視覚や触覚よりも先に社会を記憶する場所であるといっても過言ではない。

 赤ん坊は、身の回りにある物を確かめる時、とりあえず口でしゃぶってみる。それだけ、舌というものは敏感な部分なのである。その舌を疎かにした食事を続けていると、どのような弊害が出て来るのだろうか?味が判らない、食事をおいしいと感じない、そんな若者たちを入院治療している心療内科の病院もあるということだ。

 そこには、食べては吐きを繰り返す過食症や、食事を口に入れるものと認識できなくなっているような拒食症の患者なども入院しているが、とりあえず、全員が食事を一緒にとるということに主眼を置いた治療法を実践しているのだという。

 その病院長が話すことには、このような症状を患う患者の大半が、子供の時分に親や兄弟と共に食事をしたことがないという者だそうで、食事は楽しい、嬉しい、おいしい、といった感覚を持たないままに大人になってしまったのだという。彼らにとって、むしろ、食事時間は、寂しい、辛い、面倒くさい、まずい、という感情の方が勝ってしまっていたのではないかと考えるのである。

 しかし、この病院で、みんなで楽しくおしゃべりをしながら食事をするという習慣が付くと、次第に患者の方に食事に対する期待感も現われ、味覚も回復してくるということであった。これにより、食欲は、感情と密接な関係にあるということがよく判る。

 たとえば、癌の治療などで、食事を口から入れることが大変になっている患者たちに、それでも、口から物を食べて欲しいと、模索している病院では、最初、一度にたくさんの栄養を摂取してもらおうと、魚も野菜も一緒くたにミキサーにかけ、ドロドロ状にした得体の知れないものを出していたという。

 ところが、患者はほとんどこれを食べない。一人のお年寄りは、「なんの味だかさっぱり判らないので、おいしくない。もういらない」と、拒否してしまった。これでは、口から物を食べる訓練にもならず、栄養も補給出来ず、まったく意味をなさないため、フランス料理のシェフに頼んで、試作品を作ってもらった。シェフは、野菜も、ニンジン、カボチャ、ホウレンソウなど、素材の味を生かすためにそれぞれを別々にペースト状にし、皿に盛り付け、肉料理などと組み合わせて患者たちに提供したところ、患者たちは、ほとんど全員が完食したのであった。

 しかも、感想は、「素材の味が堪能出来て、本当においしかった」と、いうものであり、食事に大切なものは、食事の時の明るく楽しい雰囲気、料理のいろどり、素材の香り、舌ざわり、盛りつけられる器などなど、様々な要素が複雑に組み合わさったものでなくてはならないということが判ったのだということだった。

 食事は、口から取るのが基本である。口から取った食事ほど、しっかりとした栄養が身につく。それも、うまいと、感じて食べる食事は、なおのこと身体にとっての大切な役割を果たすものである。

 ただ、栄養分だけを補給すれば良いという食事が、どれほど身体に悪い影響をもたらすのかということを、再認識させられる番組であった。




    


共通テーマ:日記・雑感

拠点病院を作ることのメリット&デメリット [日々の雑感 3]



 最近、長野県では、地域の各総合病院間の連携により、診療科目の拠点化が進んでいるという話を耳にします。

 要するに、各総合病院が、診療科目ごとのエキスパート・ホスピタルを、目指しているということなのだそうです。

 Aという病気にかかったら、それを治療するのに最も適している病院は、B総合病院だ----と、いうように、病院ごとに専門分野を設け、地域医療の発展を、お互いに補い合おうということのようで、もちろん、そういうところには、その病気を治療するための専門チームや高度な技術や知識を有する医師、治療に必要な機械等が、充分に揃っているのだそうです。

 これまでのいわゆる総合病院という病院は、一応どんな病気でも診ることが出来ますが、一定レベル以上の治療は難しいということになるようで、やはり、最終的には、そうした拠点病院へ患者を回すことになるというのです。

 それは確かに、患者にとっても選択しやすく、医師のための技術研修にも効果的なシステムです。あの病院へ行けば、自分の病気がしっかりと治療してもらえるという安心感も、患者側には生まれますし、医師にとっても高い医療技術が学べるわけですから、いいこと尽くめのように思えます。

 しかし、問題は、その拠点病院間の距離が、あまりに離れ過ぎていることなのです。

 自分の病気は、C病院でしか治すことが出来ないと、判ってはいるものの、そのC病院まで行くことの出来ない患者は、いったいどうしたらいいのでしょうか?患者は、本来体調が悪いのが当たり前です。元気に自分の足で歩いて、そういう拠点病院へ赴くことが出来るなら、そんな人は病人ではありません。

 自分が体調が悪い時、別の病院まで運んでくれる家族がいる患者は、よいでしょう。検査のたびに、治療のたびに、必ず自家用車で病院まで連れて行ってくれる家族のいる人は、そうした高度治療を受けることも出来るでしょう。でも、世の中、そんな都合のよい家族を持っている患者ばかりがいる訳ではありません。

 足腰の立たない一人暮らしのお年寄り患者、自動車は運転できるが、日々仕事に追われていて診察日につきあうことなど出来ないご主人を持つ女性患者、自分でも車の運転は出来るが、病気で歩くのさえもやっとという男性患者、小さな子供がいるので、近くの総合病院なら通うことも出来るが、遠くの病院までなど行くことはできないシングルマザー、などなど、患者の事情は様々なのです。

 かくいうわたしも、本格的に治療するためには、もっと遠くの病院へ行かなくてはならないといわれている患者の一人です。でも、今のわたしの体力では、とても一人でそこまで行くことなど出来ません。「家族に自動車で連れて行ってもらえば?」と、他人は簡単に言いますが、家族だって、皆それぞれに仕事や事情を抱えていますから、そうそう甘えることなど出来ません。

 何が何でも、体力を回復させ、自力でその病院まで行けるようにならなくては、治療も満足に受けられないのです。

 しかし、外来通院で他の患者さんたちの話を聞けば、そういう不満を持っている患者さんたちの多いこと。

 「先生は、簡単にいうけれど、こんな状態のあたしに、どうやって独りでその病院まで行けっていうんだ!?」 と、怒鳴っていた女性患者もいました。

 テレビの医療関連番組で、とかく、「これからは、患者が病院を選ぶ時代だ」などという報道がなされますが、選んで行ける人間ばかりではないのです。何をトンチンカンなを放送しているんだと、わたしなどは常に思ってそういう番組を観ています。ましてや、この高齢化時代に、そんなに足腰の達者な患者が何処にいるんだと、笑いたくなります。

 最近、特に外科医たちが海外研修に出かける率が高くなったともいわれます。これも、おそらく、臓器移植法の改正に伴う現象なのでしょうが、臓器移植が出来るようなスーパードクターよりも、地道に盲腸の手術をしたり、風邪を治してくれるドクターの方が、一般の患者にはどれほど大切か-----。

 もしも、病院の拠点化が避けられないものならば、せめて、半径25キロ圏内に拠点病院を整備して欲しいものです。

繝舌Λ・・019_convert_20100617202107[1].jpg

続きを読む



共通テーマ:日記・雑感

アクセス数の驚異的伸びの裏事情 [日々の雑感 3]

 
こんにちは。


 ブログを書いていると、突然、記事のアクセス数が急激に伸びるという現象が、起きることがありますよね。

 誰かのいたずら?それとも、ブログを頑張って書いている人へのご褒美?いやいや、何かのゲームに使われているのか?------これに対しては、様々な憶測を呼ぶようですが、どうやら、そういうことでもないようなのです。

 わたしも、詳しいことはよく判らないのですが、この一時的アクセス数の驚異的な伸びの裏には、「検索エンジン」なるものの存在が影響しているそうなのです。

 この「検索エンジン」とは、インターネットで公開されている情報を、キーワードを使って検索できるWebサイトのことで、サーチエンジンというものが、情報の全文を蓄えていて、専用プログラムで自動的に情報収集をし、キーワードによって検索する「全文検索型(ロボット型)」と、人の手でカテゴリー別に分類、登録される「ディレクトリー型」の2種類に大きく分けられているのだそうです。

 日本の検索エンジンの「全文検索型(ロボット型)」では、Googleやgooなどが有名で、「ディレクトリー型」としては、Yahoo! JAPANが有名だということです。

 また、Yahoo! の場合は、検索エンジンに登録しないと検索しないそうですし、ホームページを審査して登録するかしないかを決めるようです。Google は、登録しなくても、ランダムにロボット型のサーチが流れているので、自動的に検索が可能となっているようです。

 そして、この一時的にアクセス数が驚異的な伸びを見せるというからくりですが、どうやら、このロボット型の検索エンジンに原因があるようなのです。このロボット型サーチエンジンは、大量の登録ID を持っていて、これがあちらこちらのブログを勝手に閲覧してまわり、検索キーワードを探し集めているのだとか。

 ですから、このロボット型サーチエンジンが立ち寄ったブログは、一度に何百人もの閲覧者が集中したと同じ現象を、訪問アクセス・カウンターに反映してしまうのだというのです。

 つまり、そういう場合、あなたのブログを読んでいるのは、人ではなく、ロボットなのです。ですから、もちろん、コメントなどは残しませんよね。(笑)

 「おれ、ここしばらくは、ブログ更新していないのに、何で、こんなに訪問者が多かったんだろう?」

 「いつもは、20人そこそこの訪問アクセスしかないのに、今日は、200もあった。気持ち悪い~」

 「今までは〇〇サイト・アクセス・ランキングの150番目にも入っていないのに、今日はいきなり15位?!異状だよ」

 そんな驚きの声が、ブロガーの中から聞こえたら、おそらく、このロボット君の仕業ではないでしょうか?

 しかし、訪問アクセス数があまり伸びていないのに、閲覧回数の延べアクセス数であるPV が増えている場合がありますよね。これは、一人の人が、何回もあなたのブログを読んでいるということだと思うのです。つまり、あなたのブログのファンがいる訳ですね。まあ、中には、ファンではなく、ブログのあらさがしを楽しんでいるという、デバカメや下心人間もいるのかもしれませんが。

 とにかく、いきなりの訪問アクセス数増加の裏には、こういったからくりもある訳で、あまり、安直に一喜一憂しない方が賢明かもしれません。

 え?-----たとえ、ロボット君でもいいから閲覧してもらいたい?そうですね。あまりアクセス数が少ないと、そんな風に思う時もありますね。

 そんな時は、ちょっと感想でも書き残して行ってくれるといいんですけれどね~。 

 「キョウノブログ  トテモ  オモシロカッタデス  マタ  ヨルネ」

 な~んて、ネ!

続きを読む



共通テーマ:日記・雑感
前の10件 | - 日々の雑感 3 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。