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道訊きのマナー [日々の雑感 2]


こんばんは。


 皆さんは、誰かに道を訊ねられた時、上手に教えることが出来ますか?

 最近は、こちらがどれほど親身に教えて差し上げても、それが理解出来ないと、まるで、教えているこちらの方が悪いというような態度を露骨にする人も多くなりました。

 わたしは、一つの礼儀として、もしも、何処かの街で、商店などに入って道を訊ねる際は、必ず、そのお店の物を一つ買うことにしています。もちろん買うのは安いものですが、たとえ、ガム一個やチョコレート一枚でも、こちらは、そのお店の人の時間を煩わせてしまったのですから、買わせて頂くのは当たり前だと思っています。

 また、自動車で走っている時に、通りすがりの人に道を訊ねる時も、いったん自動車を路肩に止め、車から降りて訊ねるのが礼儀だと思います。

 もちろん、それで道順が判ればいいですが、もし判らなかったとしても、「お手数をおかけしてすみません。どうも、ありがとうございました」の言葉を言うのは、当たり前のことです。しかし、今は、そんな子供でも知っている常識さえも、出来ない大人が増えているのです。

 先だって、わたしは、こんな経験をしました。

 わたしが、いつもの散歩をしていますと、そばへ一台のワゴン車が来て止まりました。そして、運転席から三十代ぐらいの男性が顔を出し、「この辺に、共同浴場、ないかな?」と、訊くのです。敬語でもなければ、「すみません」もなく、車を降りる気配もありません。車内には、奥さんと二人の幼い子供が乗っています。

 わたしは、子供たちが楽しんで入浴することのできる、色々な施設を備えた外湯への道順を教えました。すると、その男性は、「そんな値段の高いところダメだよ。もっと、安いところはないの?」と、いうので、別の共同浴場を教えると、助手席にいた奥さんが、「もう、お昼だから、何処かでご飯を食べなきゃ」と、言います。

 わたしは、「そのお風呂にもレストランがありますから、食事が出来ますよ」と、答えたところ、いきなり、その男性がこちらを小馬鹿にしたような笑い方をして、「そこまで訊いていないよ!」と、キレたのです。

 これは、いったい、どういうことだと、わたしは仰天しました。こちらが、頼んで、道を教えさせて頂いている訳ではありません。呼び止めたのは、相手の方なのです。それを、まるで、顎で使うような言い方をして、平気な顔をしているどころか、まるで、こちらを馬鹿にするような態度です。

 こんな親を見て育つ子供は、どんな子になるのかと思うと、ぞっとしました。

 わたしも、そこまで言われて、黙っているつもりはないので、「じゃァ、好きなところへ行けばいい。この辺りは、足湯もあるし、コンビニでお弁当でも買って食べなさい。お金を出すのが惜しいのなら、子連れで遠出なんかしない方がいいですよ」と、捨てゼリフを吐いて、そこから離れました。

 親切が仇になるとは、このことです。

 ですから、その後は、やはり道を訊かれても、あまり言葉や態度が悪い人には、「さあ、知りません」と、とぼけるようにしています。でも、そういう人は、友人たちのところへ戻る時、大体においてこんな言い方をします。

 「ダメダメ、あの人知らないってさ。地元の人間なのに、バッカじゃないの~」

 旅に出て、気が大きくなると、たいてい皆そんなものなのです。それが、日本人の「地」なのです。自分が楽しければ他人がどうでも構わない。自分の方が、こんな人間よりも「上」。自分の気にそぐわない者には、礼など言う必要はない-----。

 つまり、皆さんが、道を訊ねる時、本当に行きたい所に到達できるか否かは、その人個人個人のマナーにかかっているといっても過言ではないのです。

    


老人の話し方 [日々の雑感 2]

 先日、友人たちと話をしていたら、「どうして、年寄りの話は、やたらにくどくなるのか?」という話題になりました。

 すぐに、言葉が口から出て来ずに、こちらが質問しても、相当時間が経ってから返事が返って来るのも、不思議だと、いうのです。

 特段、耳が遠いという訳ではありません。こちらの言葉は、はっきりと聞こえているのです。でも、返事をするまでに時間がかかる。質問の意味が理解出来ないのか?-----と、思うと、そうでもないのです。

 すると、ある友人が言いました。「経験がありすぎて、何から先にしゃべったらいいのか、どんな言葉で語ればいいのか、自分の話が間違っていたらどうしようとか、そんなことを色々考えているうちに、返事に時間がかかってしまうんだと思うよ」

 それを受けて、別の友人が、「わたしだって、この前、若い人たちに交じって、ある試験を受けたんだけど、最後に作文が出て、テーマが、『涙』でね、若い人たちは、みんな、何の躊躇もなくスラスラと書き始めているんだよね。でも、わたしは、すごく悩んじゃって、原稿用紙と十分もにらめっこしちゃった。だって、『涙』にも、いろんな『涙』があるでしょう?嬉し涙や、悲しい涙や、悔しい涙や------。わたしには、あんまりたくさんあり過ぎて、何を書いたらいいのか、判らなくなっちゃったのよ」

 わたしも、聞いていて、確かにそうだろうなと、思いました。二十代の頃の『涙』にまつわる思い出などは、身内が、亡くなったこととか、飼っていた犬や猫が死んだこととか、怪我をしたり病気になったりしたこと、イジメに遭ったなどということぐらいの、ごく狭い経験しかありませんが、年を取るにつれて、『涙』の訳も、複雑に変化し、それに対する感受性も若い頃とは変わって来ます。

 「死」という概念一つにしても、「小さな女の子が交通事故で死亡」などというニュースに接した時、わたしたちは、「可哀そうに」「気の毒に」「ひどい話だ」などと、思いますが、ある高齢者の女性に意見は、それとはまったく違うものでした。

 その女性は、こう言ったのです。「死んでよかったんだよ。この世の中、女なんて、生きていたって面白いことなんか何にもありはしない。わたしみたいな寂しい年寄りになるくらいなら、子供の頃に死んじまったほうが幸せってもんだよ」

 そんな会話の途中に、一人の友人は、「だから、お年寄りの話は、やたらくどくなるんだね」と、言い出したのです。

 「わたしね、近所のお年寄りの人たちと世間話をするボランティアをやっているんだけれど、お年寄りの話って、すごく進み方がのろいのね。いつまで待っても、結論が出て来ないの。それこそ、お寺へお参りに行ったという話でも、朝起きて、庭の花に水をくれたところから始まるのよ。それも、まっすぐには進まずに、お隣のおじいさんが出て来て挨拶をしたという所から、そのおじいさんのお孫さんの話の方へ脱線して行ってしまうのね。こちらが、お寺の話の方へ話題を軌道修正しようとしても、また、違う方の話を延々と続ける訳よ。どうして、そんなことになってしまうのか、最初のうちは判らなかったんだけれど、この頃、ようやくその理由が判ってきたの」

 その友人が、気付いた理由というのが、

 「お年寄りは、みんな、寂しいんだよ。話をサッサと進めて、結論を出してしまえば、わたしたちが、早く別の人の方へ行ってしまうと思っているみたい。出来るだけ、長く自分のそばに引きとめておきたいから、わざと、話を長引かせているんだよね」

 そうなんです。そのことは、わたしも薄々気付いていました。

 これは、今から、五、六年前のことですが、近所の主婦が困っていたことがあったのです。ある時、その主婦が、買い物先で偶然に一緒になった七十代の女性に、何気なく「今度、うちに遊びに来て下さい。お茶でもどうですか?」と、誘ったところ、その夜さっそくその七十代の女性が主婦の家を訪れ、深夜の十二時を過ぎても帰らず、おしゃべりを続けていたのだというのです。さすがに、主婦のご主人が怒ってしまい、女性の家族に電話をかけて、迎えに来てもらったのだと、話していたことを思い出しました。

 高齢者は、心の中に、山のような憤懣や、寂しさを抱えている。話をしている時だけが、唯一、安心していられる時間なのでしょう。しかし、高齢者同士の対話では、自分の方が大変な思いをしているんだという被害者意識と自尊心の方が前面に出てしまい、とかく、トラブルが発生しやすくなることも事実なようです。

 これからは、ますます高齢社会が進み、自分の話を聞いてほしいと思う老人が急激に増えて行くものと思います。そういうことも考えて、高齢者自身もまた、話は出来るだけ簡潔に済ませるという努力をして頂きたいと、思うのです。

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死体は語る [日々の雑感 2]


 一昨年、全国の警察が扱った死因が明らかでない、いわゆる異状死体は約16万1800体に上るが、そのうち、司法解剖が行われたのは、約6300体であった。

    つまり、解剖医不足のため、全異状死体の3・9パーセントしか、解剖による確実な死因が見極められていないということなのである。

    解剖を怠ったことによる犯罪の見落としも少なくないと思われ、2007年には、大相撲時津風部屋の力士急死も、犯罪であることが見過ごされるところであった。

    そこで、実際の解剖をしなくても、かなりの精密度で死因を特定できるというシステムとして、今、「A i 」が注目されている。「A i 」とは、「Autopsy imaging 」の略で、死因究明のため、遺体をコンピューター断層撮影(CT )や、磁気共鳴画像装置(MRI)で調べる方法のことである。遺体にメスを入れずに、解剖が必要な体の部位を予め絞り込むことが出来たり、データの収集もできるなど、後に、事件性が発覚した場合でも、適切に対処できるという利点があり、解剖医不足の自治体などにも、大きな捜査戦力となり得る手法である。

    近畿大学では、このコンピューター断層撮影と三次元画像処理ソフトを組み合わせた機器を用いて、恐ろしいほどに鮮明な画像で死体全身の骨格から、脳の内部までを、1ミリ単位の正確さで詳細に見ることが出来るという。

    裁判員制度が始まり、最高検は「この制度でも、事実認定のため、裁判員にも相当に悲惨な死体の写真を示さなくてはならない」と、言う方針を打ち出しているため、もしも、実際に、頭部を解剖した写真が法廷の大画面に映し出されて、一般の裁判員が、冷静に正視できるかといえば、それは、かなり難しいと言わざるを得ない。

    しかし、この「A i 」の画像ならば、よく学校の理科室にある人体標本の模型とさほどの差はないため、裁判員にも比較的容易に受け入れられるのではないかと、専門家も話しているという。

    そういえば、わたしの好きな「チーム・バチスタの栄光」も、犯人の手口を見極めるために、この「A i 」を、使っていた。

    これが、全国の警察署に利用されることになれば、犯罪の検挙率も格段に上がるのではないだろうか?いや、それにすぐ結びつかずとも、死因がうやむやにされ、他殺が事故死で片付けられるようなことは、格段に減るのではないだろうか。

    「A i 」導入で、死体は、今後ますます多弁に語り始めることになるのだろうと、各方面から期待されている。

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夏の終わりの顔面マヒ [日々の雑感 2]


こんにちは。

 
 暑い夏が過ぎ、朝晩の風が涼しく感じられる頃になると、次のような症状を訴えてクリニックを訪れる患者さんがよくいるそうです。

 患者  「先生、朝起きたら、何だか顔半分が重だるくて、歯磨きをしたあと口をすすごうとしたら、口の端から水がみんなこぼれてしまって、うまくすすげないんですよ。それで、朝食を食べる時も、味噌汁がやっぱり口の端から流れ出てしまって、これはおかしいと思って来てみたんです」

 医師  「痛みは、ありますか?」

 患者  「いいえ、大して感じません」

 医師  「重だるいのは、顔半分で、もう半分は何でもないんですね?手足にしびれはありますか?」

 患者  「顔半分だけです。手足には、そういうことはありません」

 これは、たいてい、いわゆる「顔面(神経)マヒ」の症状なのだそうです。この症状になっている人は、麻痺している方の顔半分の目も、瞬きが出来ず、閉じることも出来ないため、眼球が乾燥してひどい場合は失明する恐れもあるといいます。

 ですから、医師は、症状に合わせた目薬と眼帯を併用すること、そして顔面のマッサージを勧めるそうです。こうした症状になった場合は、口笛を吹くということも出来なくなるといいますから、変だなと、思った時は、試してみるのもいいでしょう。

 では、何故、この「顔面マヒ」の患者が、夏の終わりに集中するかといえば、一番の原因と思われるのが扇風機の使いすぎなのだそうで、常に同じ方向からばかり風を受けるような生活を続けていると、そちら側の顔面半分に、そうした症状がでやすくなるのだといいます。

 これは、トラックの運転手のように、やはり開けた同じ側の車窓からばかり走行中に風を受けている人にも時々見られるもので、風に限らず、熱や一定の刺激に対しても起きることがあると聞きます。

 しかし、「顔面(神経)マヒ」は、「顔面(三叉)神経痛」とは、症状がやや異なるものだそうで、「顔面神経痛」のように、激しい痛みがあり、脳やその他の病気が原因(ウィルスが原因の場合もある)で起きるものとは違い、比較的完治(自然治癒)が容易なものだといいます。早い人では、二週間ぐらいで治りますし、遅くても半年ぐらいで元に戻るようです。(ただし「顔面マヒ」も、病気やウィルスが原因で起きる場合もあるとのこと)

 ただ、その間の生活には、不自由な面は否めません。言葉もはきはきとは話せませんし、食事にもある程度の支障はでます。

 また、これとは違った過程で「顔面マヒ」になる場合も、稀にあるそうです。それは、ひどいショックを受けるなどの心理的要因が元になる場合です。わたしの叔母が、十年前にくも膜下出血で倒れた時、そのあまりの痛がりように、そばで見ていた叔父の方が動転してしまい、この「顔面マヒ」になってしまったことがありました。

 叔母の手術中、患者の家族が待機する場所にわたしもいたのですが、叔父の右目が全く瞬きをしないことに気が付きました。わたしが、隣に腰掛けている母に、「顔面マヒみたいだね」と、言うと、母も気付いていたようで、「うん、そうだね。きっと急激なストレスが原因だよ」と、言いました。

 その叔父の症状は、叔母が退院するまで、半年弱続きましたが、叔母が退院した途端に完治しました。

 この夏、「扇風機に当たり過ぎたな」と、思う人は、時々、自分の顔に注意してみてください。

 そして、もしも、少しでも奇妙だと感じたら、即刻、医師の診察を受けて下さい。 



    (注)  上記の症例は、あくまで、わたしが取材した人たちの経験談に基づくものですから、医学的に正確なものかは判りません。

    

安倍晴明は、落ちこぼれ? [日々の雑感 2]

 
 皆さんは、陰陽師(おんみょうじ)の安倍晴明(あべのせいめい)という人物をご存じでしょうか?

 平安時代の有名な陰陽師で、印(いん)をむすべば、人形(ひとがた)の紙に生命を吹き込み、従者として使ったり、時には鬼神をも操り、都を追われた悪の陰陽師・蘆屋道満(あしやどうまん)と死闘を演じるなど、美貌の若きスーパーヒーローとして、女性たちの間に絶大な支持を得ている男としての印象が強いですが、実際の、安倍晴明は、どちらかといえば、意外にも遅咲きの叩き上げ官僚だったようです。

 安倍晴明は、若い頃、朝廷内の様々な雑用や雑役に従事する下級官吏である「大舎人(おおとねり)」でした。

 そんな生活では出世の見込みもないと思った晴明は、陰陽師の養成所で学ぼうと試験を受けますが、滑ってしまい、途方に暮れていたところを、陰陽寮の長官である陰陽頭(おんみょうのかみ)・賀茂保憲(かものやすのり)に見出され、運よく天文得業生として働くことになったのでした。

 賀茂保憲は、この時四十四歳。晴明は、四つ年下の四十歳でした。

 しかも、保憲は、この時、天文博士の要職にあり、陰陽家としては、前代未聞の従四位下に叙せられているなど、時代を代表する天地陰陽術の異才でもありました。

 保憲は、晴明に見どころがあるとして、自分が得意とする天文道の教えを徹底的に仕込み、晴明は、師匠の保憲のあとをついで、972年には、自らが天文博士となったのでした。しかも、保憲は、晴明の次男である吉昌を、天文得業生に推挙してくれるなど、保憲の晴明に対する信頼と寵愛ぶりは、相当なものであったと思われます。

 そんな保憲が、977年、六十一歳で没すると、ここに来て、ようやく安倍晴明の時代が到来するのです。この時、晴明は、五十七歳になっていました。

 やがて、一条天皇が即位し、藤原道長が摂政・関白として絶対的権力を掌中におさめると、晴明は、保憲の子の光栄とともに、陰陽寮から離れ、天皇と直結する「蔵人所陰陽師(くろうどどころおんみょうじ)」となり、天文博士の職からは身を引くものの、その後も、長老として陰陽界に君臨し続け、師である賀茂保憲と同じ、従四位下に叙せられたのでした。

 これが、実際の安倍晴明の姿なのだということです。

 晴明は、その後、1005年9月26日に八十五歳で亡くなります。

 墓は、京都市右京区嵯峨門倉町の晴明神社の境内にありますが、一説には、晴明は、晩年信州の木曽福島町に移り住み、その地で没したという話もあるのだそうです。

 そのため、晴明の墓がある所から、その地を「清博士(せいばかせ)」と名付けたというのです。

 おそらくは、その頃流行りであった陰陽師と称する祈祷師などが移り住み、勝手に安倍晴明を名乗ったのかもしれません。こうした安倍晴明の墓なるものは、全国にさまざまあるようですから、信州のものも、その類なのかもしれませんが、もしも、本当に、安倍晴明が木曽福島の地に祈祷所を構えていたのだとしたら、ワクワクするような史実です。

 狐の子供ともいわれている安倍晴明のこと、そんなことが実際にあったとしても、何ら不思議ではないのかもしれませんね。


 因みに、皆さんは、「陰陽師(おんみょうじ)」という言葉のイントネーションをどのように発音していますか?

 「* 。。。。」ですか?------でも、正解は、「。* * 。 。 」だそうですよ。

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イジメは割に合わない [日々の雑感 2]



 イジメには、様々な物がありますが、一番手っ取り早く、しかもかなりのダメージを相手に与えるのは、暴力でも悪口でもなく、要するに徹底無視です。

 いじめられる側に、反撃を許さない「無視」ほど、卑劣で卑怯なイジメはないと思います。

 暴力でしたら、警察へ通報することも出来ますし、悪口でしたら、もっとひどいやり方での仕返しだってできます。それこそ、いじめた方が、その土地にいられなくなるくらいのことも、やろうと思えば正当防衛として出来るでしょう。

 よく学校で、いじめの逆転現象が起きるのは、こういう類のイジメがはびこっている場合です。実際、わたしが小学生の時、クラスでこの現象が起きました。今まで、派閥を作っていたイジメっ子のリーダーの男の子が、ある時を境にいじめられる側となり、転校を余儀なくされてしまったのです。

 子供の頃は、体格も知能もほんの一、二年で劇的に変わります。つい最近まで従属的だった子供が、イジメっ子よりも身長が十センチも大きくなり、頭も進んで、いじめっ子を見下すようになるなどということは、よくある話なのです。

 しかし、無視は、その反撃の機会を与えてくれませんから、いじめられた方にすれば、相当に傷つきます。その結果、この前に起きた、中央大学の教授殺害事件のようなことが起きるのです。

 実は、わたしが大学生の時、ある女子学生が、友人の女子学生から、わたしたち数人の学生が、彼女の父親のことを揶揄していると、ありもしないデマを吹き込まれて、それを信じ、わたしにいきなり櫛を投げつけて来たことがありました。

 「あなた達、わたしの父のことを馬鹿にしているでしょ。〇〇さんから聞いたわ!」

 その女子学生は、興奮状態で手が付けられません。わたしたちは、その子の父親のことなど大して詳しく知らないのに、どうしてこういうことになるのかと、攻撃の的にされた友人たちと話し合ったところ、その子が落ち着くまで、しばらくの間「無視しよう」と、いうことになりました。

 無視というイジメは、簡単にできます。その子とは、その日から口をきくことも、一緒に食事をすることもしなくなっただけで、阻害することができるのです。さすがに、意気消沈しているその子を見かねて、誤解を解こうと説得もしましたが、結局、その子は、わたしたちの悪口をでっち上げた友人の方を信じ、そのまま卒業して行きました。

 これは、今までにわたしが唯一イジメらしき物に加担した経験ですが、このように、かなり実験的な要素があったケースといっても、イジメられている当人にとってみれば、辛いことだったと思います。

 このように、誤解がイジメを誘発することもあるのです。それにしても、どうして悪口をでっち上げてまで、わたしたちと、その女子学生の仲を裂こうとしたのか、元凶となった女子学生の気持ちが判りません。

 要するに、これも友人を盗られたくないという、その元凶女子学生の嫉妬心のなせる技だったのでしょうか?

 しかし、そんなことがあったばかりに、その二人の女子学生たちは、未だに、「変わり者」のレッテルを貼られたままですが・・・・。

 子供は、大人になります。しかし、大人になった時に、突然、目の前にかつてのいじめられっ子が現われて、「あなたにいじめられたことは、一生忘れない。絶対許さないから!あなたの子供に、昔のあなたの正体を教えてあげてもいいんだよ」などと罵(ののし)られることも、ないとはいえないのです。

 イジメや画策の代償は、将来、必ず払わねばならないことになります。それが、嫌なら、子供の頃から、わが身の処し方に気を付けるべきです。一生は長いのですから!


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睡眠時間の不思議 [日々の雑感 2]


おはようございます。


 人間の睡眠時間は、実に様々です。

 一日に三、四時間ほどの睡眠で充分だという人もいれば、八時間から十時間もたっぷり眠らないと調子が悪いという人もいます。

 これは、別に、長時間睡眠の人が怠けものという訳ではないのです。人間には足の速い人もいれば遅い人もいるように、眠りに関しても、同じことが言えるのだそうです。

 ここに、ある女性の例があります。

 五十二歳の女性のAさんは、二十代の時に一度結婚しましたが、子供が出来ないまま三年で離婚してからというもの、その後は、大手の電機メーカーで事務系の会社員をしてきました。

 そんな中、偶然知り合った取引先の会社の同年齢の男性と両想いとなり、男性も独身だったため、半年後には結婚。Aさんは、長年勤めた会社を辞めて、専業主婦になりました。

 根がまじめなA さんは、会社へ出勤する夫のために毎朝六時には起きて、朝食を作り、愛妻弁当をこしらえて、笑顔で夫を送り出していました。そんな生活が、三ヶ月ほど続いた頃、夫がAさんに言いました。

 「きみも、ただの専業主婦でいるのもつまらないんじゃないのかな?もしも、また働きたいと思うのなら、ぼくに遠慮せず、勤めてくれてもいいんだよ」

 この言葉は、Aさんにとっても渡りに船でした。実は、Aさんは、この頃既に、専業主婦でいることに物足りなさを感じていたのです。そこで、すぐさまハローワークへ行き、ブライダル関係の小さな会社の面接を受け、合格。営業ウーマンとして働き始めたのでした。

 もともと明るくて人当たりもいいAさんは、得意先やお客さまにも気に入られ、担当する仕事にも充実感を覚えて行きました。それでも、夫の身の回りの世話に手抜きはしたくありません。毎朝の起床を五時にして、家事もキッチリとこなすように努力していました。

 ところが、しばらくして、Aさんの体調に異変が起き始めたのです。出勤しても常に頭が重く、気分が憂鬱で、恐ろしいほどの眠気に苛まれることがあるかと思えば、心臓がドキドキして冷や汗をかいたりもする。そのことを同僚の女性に話したところ、「それって、更年期じゃァないの?」と、言われ、Aさんも、「きっと、そうね」と、思い込もうとしましたが、とうとう、ある日の朝、出勤しようとした時、ひどいめまいに襲われて、玄関先で倒れてしまったのです。

 Aさんは、連絡を受け、会社からとんぼ返りした夫に付き添われて、病院へ行きました。すると、担当医の言葉は、

 「寝不足ですね」

 Aさんは、驚き、「でも、わたし、夜の十一時には寝ますから、六時間はしっかり眠っているんです」と、答えると、医師は、

 「六時間が、あなたにとってベストの睡眠時間ではないということですよ。どれだけ眠ればその人が活動するに充分な体力が得られるかというのは、ほとんど子供のうちに決定されるのです。あなたは、子供の時分、何時間ぐらい睡眠時間をとっていましたか?」

 「わたしの家は、子供に厳しくて、夜の八時には寝室へ行くように言われていましたから、約十時間は眠っていたと思います」

 Aさんが答えると、医師は、「あなたの身体は、それだけの睡眠時間がないと充分な活動が出来ないようにインプットされてしまっているのです。大人になったので、それでもこれまでは七時間の睡眠時間がとれていたこともあり何とか持ちこたえていましたが、六時間睡眠では、もう限界を超えてしまったのでしょうね。旦那さんのために頑張るのも結構ですが、ご自分の身体のことを考えたら、五時起きはやめた方がいいですね」

 医師の説得もあって、それからは、Aさんは、以前のように朝六時に起きるように生活を戻しました。そして、家事にも少し手抜きをすることを覚えると、仕事と家事の両立も出来、また、一日を元気に過ごせるようになったといいます。

 つまり、睡眠時間は、子供の頃の生活に大きく影響するものなのだということです。

 だからといって、将来のことを考えて、子供に早寝をさせないなどという理屈は通りませんが、子供の頃とあまりにも差があり過ぎるような睡眠のとり方では、病気になる確率も高まるということは事実のようです。

 ですから、「早起きは苦手」と、いう人は、特にズボラな性格という訳ではなく、逆に、子供の頃は夜更かしもしない良い子だったということの証しなのかもしれません。

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認知症の兆候 [日々の雑感 2]


こんばんは。


 皆さん、右手と左手でそれぞれキツネを作って下さい。

 その右手のキツネの顔を自分の方へ向け、左手のキツネの顔を外側へ向けて下さい。

 そして、その両手を近づけ、右手の人指し指には左手の小指が、また右手の小指には、左手の人差し指が重なるようにつけ、それを、今度は、右手のキツネを外に向けて、左手のキツネを内に向ける------これを、交互に繰り返してみて下さい。 

 上手に出来ましたか?

 これは、2009年8月1日の信濃毎日新聞に紹介されていた、認知症の兆候を見付ける簡単なテストの一つだということです。

 もちろん、上手に出来れば認知症の心配はなし。うまく出来なければ、少々問題ありということで、専門医の診察を受けてみた方が良いということでした。

 まあ、このような、簡単な認知症の兆候を発見するテストは、色々あるようですが、わたしが、今回ここで話させて頂きたいのは、わたしの周りで、このような症状になってしまった人たちが、その最初の兆候としてどのような行動を取り始めたかという、一つの例です。

 わたしの家の近くに住んでいる七十代前半の女性が、二人、ごく最近立て続けにアルツハイマー型の認知症になってしまいました。

 一人は、つい最近まで薬剤師として働いていた、高学歴の真面目な女性です。家族は高齢の姑と、元会社員のご主人。結婚と共に他県へ移り住んだ一人息子さんがいますが、現在は三人家族でした。

 女性は、現在でいうマザコンのご主人と、性格の強い姑とに、若い頃からほとんど苛めにも近い嫌がらせを受けながらも、自宅で開業している薬局の仕事を誠実にこなして来た、非の打ちどころのない聡明な人でした。

 しかし、姑が亡くなり、ご主人に胃癌が発見された頃から、次第に言動がきつくなり、共同浴場で一緒になっても、やたらと声を荒らげるようになって来たのです。そして、わたしに向かって、ご主人の癌のことを話し出すと、いきなり声をあげて泣き出してしまったこともありました。

 わたしが、今の時代、癌といっても、それほど心配することはないし、すぐに元気になりますよと、慰めると、ようやくほっとした顔になり、「わたし、最近、感情がコントロールできなくて・・・・」と、困惑していました。

 しかし、それから数日後の早朝、今度は、その女性が自宅の前の道を行ったり来たりしている姿を、わたしの母が見付け、「奥さん、どうしたの、こんな朝早く?」と、訊ねると、女性は、「主人の姿が見えなくなっちゃったの。朝、起きたら、家にいないのよ」と、いうので、母が、「ご主人、もうお帰りになったの?まだ入院しているんじゃないの?」と、言った途端、彼女は、はっと我に返った顔になり、「そうだった。まだ、病院にいるんだった。わたし、何やっていたんだろう・・・・」と、言って、自宅へ入って行きました。

 ご主人は、その後手術をして退院しましたが、とても、病み上がりの身に女性の介護は荷が重すぎるということで、彼女は、養護老人施設へと、入所することになってしまいました。


    
 もう一人の女性のケースは、これもまた、同じ共同浴場でのことでした。

 その女性は、自分が脱いだ服と、他人が脱いだ服の区別が判らなくなってしまい、脱衣所で身体を拭いたのち、誤って他人の下着を着てしまったのです。

 一緒に入浴していた娘さんは、母親の突然の異変に仰天し、慌ててその下着を脱がせると、まだ浴室内にいたその下着の持ち主の婦人に、ことの訳を説明して、何度も頭を下げて詫びていました。

 この女性のご主人は、一度家を空けると半年は海外暮らしという仕事をしていたために、結婚生活のほとんどを、二人の娘さんとの三人で過ごすという状態を続けていて、そのご主人が定年になって四六時中家にいるようになると、ご主人への気遣いに疲れ果て、常にカルチャーセンターに通い詰めるという、実に変則的な日常を送っていたのでした。

 そして、そのカルチャーセンターでも、一年ほど前から、やたらに同じ教室の仲間に食って掛かるような態度を取るようになっていたのだそうです。

 そんなことがあって、女性は、カルチャーセンターを休むようになり、そんな矢先の共同浴場での出来事だった訳です。

 そして、その女性も、現在は、身の回りのことをすべて面倒見てもらえる、認知症のお年寄りが暮らす宅老所のような施設へ入所しました。

 それでも、始めのうちは、その娘さんが一生懸命、母親の面倒を見ようとしていたのですが、妻が認知症になったストレスからか、このご主人もまた、胃癌になってしまい、そちらの面倒も見なければならず、夫と三人の子供の世話もあり、とても、母親の世話までは出来なくなってしまったのでした。



 実は、ちょうどこの頃、この女性の家の隣の、やはり七十代の主婦も、認知症になっていたのでした。

 一家の主婦が認知症になると、家庭全体が崩壊状態のようになってしまうという例を、目の当たりにして、どうして、このような病気が主婦に起きやすいのか、わたしには、何とも不思議でならないのです。

 彼女たちの生活習慣に、何か、他の人たちとは違う共通性があるのでしょうか?

 また、ご主人たちが、同じ胃癌になっているということも、単なる偶然なのでしょうか?

 何か、特殊な原因でもあるのではないかと、疑問にかられる今日この頃なのです。

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職場のうっ憤は病院で晴らす [日々の雑感 2]


こんにちは。


 わたしが、入院していた時、同じ病室の五十代後半の女性が、とても深刻そうな顔付きで、近付いて来て、

 「ちょっと、わたしの話、聞いてくれない?」

 と、いうので、わたしも、どうせ暇を持て余していましたから、いいですよと、答え、二人して、病棟の談話コーナーへ行きました。

 時刻は、午後の八時を過ぎていましたので、談話コーナーには、わたしとその人以外誰もいませんでした。
 
 その女性は、乳がんで入院している患者で、もう手術も終え、毎日腕の上げ下げのリハビリをしているのです。乳がんの手術で、わきの下のリンパ腺まで取ってしまった患者さんの中には、一時的に腕が上がらなくなってしまう人もいるそうで、この筋肉を固まらせないためにも、毎日のリハビリは欠かせないのだといいます。

 でも、その人は、いつも理学療法士さんの指示で真面目に頑張っていたので、その頃、腕はもうかなり良く上がるようになっていました。

 おそらく、退院も間近だろうと思われるその女性が、何の話をしたいのかと、わたしは、訝しく思いながら聞いていたのですが、横並びの長椅子の隣に腰をかけながらしゃべり始めた女性の話を聞くうちに、わたしは、職場のイジメというものが、そこまですさまじいものなのかと、正直、仰天しました。

 その女性は、地元の小さな会社の機械部品組み立て部門で働いているとのことで、社長も彼女の正確で手際のよい仕事ぶりを高く評価していて、特に、お得意先の会社からは、彼女に部品の組み立てを頼みたいと、指名されるほどの腕前なのだそうです。

 そんな彼女の職場では、かなり以前からイジメが始まっていて、やはり有能な女性社員が一人、同じ部署の六十代の女性パート社員から頻繁にイジメを受け、体調を崩して会社を辞めてしまったことがあったというのです。そして、そのいじめのターゲットが、今度は、この女性になってしまったのだというのです。

 社長の信頼も厚い彼女は、何かにつけて、その六十代の女性から嫌がらせを受け始めたのですが、ある時は、せっかく組み立てて、あとは納品するだけという製品を、故意に壊されたり、社内に不倫の噂を流されたりもしたのだといいます。

 しかし、彼女の性格をよく知っている他の社員たちは、そんな噂を信じなかったので、とうとう六十代の女性は、キレて、彼女が社長室で次の仕事の指示を受けて出て来た時、階段を降りかけた彼女の後ろから近づき、いきなり背中を思いっきり押したのだといいます。

 彼女は、階段を転がり落ちました。でも、幸いなことに、怪我は、手足の打撲で済んだのだといいます。彼女は、そのことを会社側へ話しましたが、如何せん、目撃者が一人もいなかったために、犯人の女性が、処分されることはなかったのだとか。

 そんな陰湿なイジメや暴力は、六十代の女性の性格を表すに十分だと見えて、その女性のご主人も精神的に追い込まれ、自殺してしまったのだそうです。それからというもの、その女性はますます荒れはじめ、現在も、会社の鼻つまみ者なのだといいます。

 しかし、このイジメによるストレスが原因で、彼女は、乳がんになってしまったのだと、担当医師も話していたのだといいます。

 それでも、自分の中の気持ちを家族にぶつけると、家族も共に悩んでしまうだろうし、子供たちへの影響や、仕事をしているご主人の心痛を考えると、本当のことも言えず、退院してからも、再び、一人悶々と悩み続けなくてはならないので、今のうちに、言いたいことは全部誰かに聞いてもらって、すっきりした気分で、また仕事に復帰したいのだという話でした。

 わたしも、聞いているうちに、本当に腹が立って来てしまいました。焼きもちも、ここまで来れば、間違いなく犯罪です。自分の不幸を八つ当たりで解決しようなどとしても、無駄なことは、その六十代の女性も判っているはずなのです。それでも、幸せな人が憎らしくてたまらない。

 ふざけた話です!!

 わたしは、「そんなバカ女、やっつけちゃって下さい!そいつが組み立てた部品、今度は、あなたが、躓いたふりでもして踏みつぶしてしまって下さい」と、言いました。

 すると、彼女は、思いっ切り声を出して笑って、「そうね!今度、そうやっちゃおう。我慢しているなんて、バカ臭いもんね。こんな病気になったのだって、あいつのせいだもん。仕返しされたって、自業自得よね」と、晴れ晴れした顔で言いました。

 でも、話をしてくれたのが、どうして、わたしだったのか?と、その女性に訊ねると、

 「だって、病室の中で、一番元気そうだったから-----」

 「・・・・・は、そうでしたか」(^_^;)

 まあ、何はともあれ、お腹の中にある嫌な気持ちは全部吐き出してしまった方が、病気も退散するでしょう。自分の身体が大事だと思ったら、我慢して「耐える女」を演じる必要などないと思います。

 それにしても、こんな経験から思いました。病院には、患者の話を何でも聞いてくれるカウンセラーのような人が必要だと。それも、気軽に話が出来るような立場の人が------。

 患者は、憤懣の塊なのだから、諭されるような話は聞きたくないのです。

 ともに、拳を振り上げてくれるような味方の出現を待っているのです。

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信濃の国 [日々の雑感 2]


こんにちは。


 ここでは、長野県歌『信濃の国』について、少しお話ししたいと思います。



 もしも、あなたが、長野県外から県内へ移り住み、新しく事業を興そうと考えておられるのなら、その第一歩として、長野県の県歌である、「信濃の国」を、六番まですべて歌えるようになることをお勧めします。

 事務所内に、この県歌の歌詞を額に入れて飾っておくこともよいでしょう。歌詞には、英語バージョンもあります。

 お得意さんを開拓する時などの飲み会の席で、これを一番でも二番でも披露できたら、もう、商談は50パーセントは成立したも同然だという営業マンさんもおられるくらいです。

 それだけ、「信濃の国」は、長野県民にとってなくてはならない重要な歌なのです。

 しかし、ここで、一つ大切なことは、決して「信濃の国」の発音の仕方を、間違えてはいけないということです。県外の人は、これを発音する時、「* ・ .. ..」と、発音しますが、長野県民は、「.・・ ...」と、発音するのです。これを間違えると、露骨に眉をひそめられます。    


 では、長野県民は、どうしてここまで、県歌を愛するのでしょうか?

 「信濃の国」という歌が正式に県歌となったのは、1968年(昭和43年)5月20日のことで、県歌としては、まだ誕生して間もないということを初めて知りました。

 わたしは、この「信濃の国」は、既に一世紀以上も前から長野県民に歌い継がれてきたものと聞いていましたから、その頃から県歌となっていたのかと思っていたのです。

 「信濃の国」は、長野師範学校の国語教師の浅井洌(きよし)が、信濃教育会の唱歌制作の依頼を受けて1899年(明治32年)に作詞し、同校の音楽教師の北村季晴(すえはる)が、翌年に曲をつけて完成したものでした。

 しかし、実は、その前に別の作曲者が曲をつけていたのですが、あまり曲調が古風だったために、ほとんど歌われなかったのだそうです。わたしも、その以前の曲のバージョンを一度聴いたことがありましたが、確かに、単調な音階がつながるご詠歌のような感じで、とても、当時の子供たちが喜んで歌うようなものには思えませんでした。

 「信濃の国」という県歌は、長野県民の八、九割が知っている、また、一、二番の歌詞ならば空で歌うことが出来るという、実に、特殊な知名度を持つ歌です。このように県民がこぞって空で歌うことが出来る県歌を持っている県民は、国内では、おそらく長野県民だけではないかと思います。

 わたしも、この「信濃の国」は、好きな歌の一つで、二人の甥が小さい時からこの歌詞を紙に書いて、ピアノで伴奏しては教えていました。その理由の一つに、この県歌が歌えると、長野県の特産品や地理、有名な人物、歴史上の出来事などなどが、一度に覚えられるという利点があります。

 また、歌詞の言葉の一つ一つがとても的確で、小気味よく、ポジティブなうえに、美しさまでも加味しているという理由もあります。そして、何より、曲の素晴らしさと巧みさには、脱帽の感すら持つのです。

 殊に、四番のメロディーが変わる部分などは、しっかりと音楽教育的視点までも考慮した、驚くべき技巧といわざるを得ません。

 長野冬季オリンピックの際には、入場行進にまでも使われ、正に、世界の「信濃の国」になった訳です。

 これをテレビで観ていた各国の県人会の方たちは、あまりの郷愁と誇りに、思わず涙したとも言われています。

 これは、以前、あるブロガーさんのコメント欄にも書かせて頂いたことですが、子供の頃からこの「信濃の国」を聴かされている県民の脳は、この歌を聴いている時に、どうなっているのか、脳波を調べた結果、モーツァルトなどの一般に癒しのメロディーといわれている曲を聴いた時よりも、「信濃の国」を聴いている時の方が、(リラックスしたり快感を感じている時に多出する)アルファー派が、より多く出ているということが判ったそうです。

 つまり、「信濃の国」は、多くの長野県民にとって、間違いなく「心の故郷」といっても過言ではないのでしょう。

 国会などでは、近年、道州制の議論なども巻き起こっているやに聞きますが、わたしは個人的には、信州は、やはり信州のままでいてもよいのではないかと思います。そうなると、「信濃の国」は、州歌ということになるのでしょうね。

 他の県と統合して、この県歌が歌われなくなってしまうのは、如何にも寂しく、もったいないと思うのです。

 わたしは、以前、アメリカに行った時、「どちらから来られたのですか?」と、ホテルの従業員に訊ねられて、即行、「長野です」と、答えました。極端な話、わたしの頭の中には、「日本」という概念はありませんでした。その従業員の方も、それで、判ってくれました。

 わたしの中では、「自分は日本人だ」という気持ちよりも、「信州人だ」という気持ちの方が強いことを、意識しています。

 わたしのような考えを持っている長野県民は、多いのではないでしょうか?そういう意味からすると、「信濃の国」という県歌は、今や、文字通り「信濃の国」の国歌なのだと、いえるのかもしれません。

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